警備員:虎杖悠仁(後)
「あのですね悠仁くん」
「はい」
「ここはどこでしょうか」
「改札口」
「昨日はどこで会いましたか」
「改札口」
「一緒みたいに言わないの。昨日は自宅の最寄り駅だったけど今日は職場の方!」
夕方の駅である。
忙しなく人の行き交う中、ミズキは虎杖の腕を引いて壁際に避けた。
「あのね、私子どもじゃないの。深夜でもない普通の退勤はひとりで出来ます!」
虎杖と彼女が付き合うきっかけになった出来事が少々危なっかしかったことは否めない。ミズキは痴漢被害に遭いかけて、虎杖がその不審者を伸したのだ。
始まりがそれだったものだから、虎杖は心配して仕事終わりのミズキを自宅へ送っていくようになった。元々は彼の退勤に合う時にだけ、彼の職場近くからだったものが、段々と頻度が増し、落ち合う地点もミズキの退勤経路を遡ってきていた。それが本日とうとう、彼女の職場の最寄駅にまで到達したというわけである。
虎杖は困り顔で笑って見せた。
「俺が心配でじっとしてらんねーの。俺休みの多い仕事じゃないからデートもあんま出来んしさ、会いたくて」
「…そう言ったら私が強く言えなくなるの知っててずるい」
ミズキがむぅっと口を尖らせると、虎杖はうっとりと目を細めた。彼にとってミズキはずっと、勤務中に偶に会える高嶺の花だったのだ。すらりとした脚で歩いてきてにっこり挨拶をしてくれて、綺麗な声で「いいお天気ですね」、ほのかに良い匂いを残して歩いていく。彼女の後ろ姿に見惚れて隣の伏黒から「勤務中」と小突かれたことは一度や二度ではない。
だからあの暴行未遂事件だって、いつか起こりかねない事態として元々虎杖の頭の隅にあった。
「だってさ、こんな可愛いのに混雑した電車乗って大丈夫かなって心配するだろ普通?せめて可愛さ半分ぐらいになってくれんと安心できん」
「そんなの言うの悠仁くんだけだよ。他の人に可愛くないって言われても気にならないけど」
「自分の可愛さ自覚しててな?あと無いと思うけど可愛くないなんて言われたらそいつの名前だけ俺にそっと教えてほしい」
「何する気かな警備員さん」
こうなると話はいつも流れてしまって、ミズキの望む結論には至らない。あまり口の上手い方ではない虎杖が一生懸命に話を逸そうとするとミズキは絆されてしまうというのが大きい。
とにかく結論持ち越しのまま2人は電車に乗った。虎杖はミズキの隣にぴったりと立って、もうじき公開となる映画の話をしながら、隙のない本職の警戒を張っていた。スーツ姿の男がミズキの尻に手が触れかねない距離をわざと通ろうとするのを、自然な仕草で遮る。ミズキは気付かないで笑っていた。
そうしてミズキの自宅最寄り駅に着いて、昨日落ち合った改札口を通った。
夕飯のメニューを話し合いながら駅前のスーパーに入り、虎杖が鶏団子鍋を提案したので鶏ミンチをカゴに。その後ミズキはふと飲料の並んだ棚に目を留めた。彼女は炭酸をあまり飲まないけれど、虎杖はコーラを好んで飲む。映画を観る時には特に。
「悠仁くん今日は泊まる?さっき話してた映画の前作、ネトフリにあるよね」
虎杖はぎくりとカゴを持つ手を強張らせた。
「あー…残念だけど今日夜勤でさ、メシ食ったら行かなきゃ」
ミズキは「そっか」と返したものの、釈然としない部分があった。
「…ねぇ、この頃夜勤多くない?生活リズム崩れて辛いって聞くけど大丈夫?」
「無問題、俺頑丈だし。夜勤の方が給料いいからさ」
「それはそうだろうけど…ますます私のこと迎えに来てないで、ちゃんと寝なきゃ」
「や、それじゃ何のために………あー、いや、うん」
「…虎杖悠仁くん」
ミズキの目が虎杖のことを真っ直ぐに見て、見られた側は目を泳がせて乾いた笑いを零した。ミズキがずいっと虎杖に迫り、彼はたじろいで顔を赤らめる。
「私のことを家まで送るために勤務時間をずらしてるのね」
「ち、違うって!」
「悠仁くん、私が喜ぶと思ったの?」
ミズキは虎杖に詰め寄っていたのをすっと離れて目を伏せてしまった。それを見ると虎杖は血の気の引く思いで、買い物カゴを置きミズキの細い腕に触れた。
「ごめん、俺自分の考えばっかで…心配してくれてんだよな」
「当然でしょ」
「ありがとな」
「許してないけどね」
「ごめんて」
虎杖は眉尻を下げてミズキを覗き込んでいて、ある時ぐっと口を引き結んだ。「あの、さ」と切り出す声が力んでぎこちないので、ミズキも顔を上げて彼を見る。
「提案なんだけど…もし、良かったらさ、…………一緒に住み、ません、………か」
ミズキがぽかんとして彼を見ている間に、虎杖の顔はどんどん赤くなって頬を掻く程度では誤魔化せなくなってきた。
「やっあの、やましい気持ちはなくてさ?!女の人が危ない目に遭うのって通勤だけじゃないかもしれんし?!毎日顔見られれば安心かなーって、そう安心、安心だから!同棲の先のことだってちゃんと俺考えて、」
その時スーパーの店内放送でお気楽な音楽が鳴り響き、続いて威勢の良い声が本日のお買い得品を宣伝した。完全に話の腰を折られた上、本当はまだ温めておこうと思っていたことまで勢いに任せて口を滑らせたことに気付いた虎杖は手で顔を覆った。近所のスーパーで鶏ミンチをカゴに持って言う予定では少なくともなかったのである。
ちょっと5分くらい消えたい、と彼は思った。
「…悠仁くん」
「はい…面目ない…」
「お会計して帰ろ?そしたらさっきの、もう一回言ってほしいな」
「え」
「私いいよってお返事するつもりだから」
虎杖が顔を覆っていた手を退けるとミズキはいなくなっていて、慌てて見回すとカゴを持って角を曲がっていくところだった。すぐに追い付いてカゴを取り戻し、会計をしてミズキの住むアパートに帰り着く。
今度はちゃんと落ち着いて、彼女を抱き締めて同棲を申し出て、色好い返事を貰った虎杖はふわふわと浮いた頭で得意の鶏団子鍋を作ったのだった。
食後少しすると虎杖にはもう出勤の時間が迫っていて、彼は後ろ髪を引かれる思いで靴を履いた。
「悠仁くん」
玄関に座っている虎杖の背中にミズキがぴったりと抱き付いて、「い"っ?!」と彼は妙な声を上げた。温かくて柔らかい彼女の身体は虎杖の筋肉質な背中とはまるで違い、肩甲骨の辺りに当たる丸い柔らかさを、虎杖は堪えようもなく意識した。
「…私、ひとりで寝るの寂しいな」
「ちょ、ちょ、ぅえ?!俺仕事今から!のに、立てなくなっちゃうじゃん?!」
「立てないの?」
「そりゃ脚は平気だけどさ社会的にダメなんよ男は!」
「ふぅん、知ってるけど。悠仁くん柔らかいの大好きだもんね?」
「………ぁ"ぁ"ぁ"仕事行きたくねぇぇぇ!!」
虎杖は盛大に頭を抱えた。ミズキはくすくすと悪戯っぽく笑って、後ろから彼の頬にキスをする。
「一緒に住むのは嬉しいけど、許してないって言ったでしょ?お仕事頑張って、でも時々この背中のこと思い出して」
「待って本当ごめんなさい許して悪気なかったんです…一晩ムラつきながら警備してたら俺が不審者じゃん…」
結局虎杖は時間ぎりぎりまで玄関で蹲っていて、リミットを迎えると無駄に全速力で職場に向かった。
入れ替わりで退勤時間を迎える伏黒に、虎杖がこれから日勤メインに戻すつもりだと話したところ、伏黒の反応も好意的。内心で虎杖のことを案じていた伏黒である。
ただ、話す途中で『背中のこと』を思い出して虎杖が蹲ってしまったことについて、伏黒は後から理由を聞いて呆れ返り、虎杖のことを強めに殴ることになる。
***
ネタポストより『職業パロ虎杖くんの続き』でした。
夜勤を増やして結婚資金を貯めたい思いもあった虎杖くん。