フォーメーションB:あきらめるには眩しい(七海建人)



久しぶりのデートだからと少し背伸びをした服を選んだし、控えめに化粧もした。そのことをミズキは少し後悔した。服も化粧も、七海の自宅で会う日にしておくのが無難だったのだ。それを外で待ち合わせをする日にしたことが裏目に出てナンパになんて遭ってしまって、彼女は悲しくなった。

元々実年齢よりも少し上に見られがちな美しい少女であるし、今日は特に七海の隣を歩くのに恥ずかしくないよう心を砕いた。
目の前の男はミズキの努力の成果をしきりに褒めてくれるけれど、この男のための努力ではない。彼女が褒められたいのはこの男ではないのだ。
ミズキは一応礼儀を失わないように控えめに誘いを断り続けていたのだけれど、男には有効打にならなかったらしい。強く断らない割に思い通りに動かない彼女に焦れて、男はある時ミズキの手首を掴んだ。

「だから奢るって。いいじゃん、遊ぼうよ」
「っ離してください…!」

にわかに鳥肌が立って冷や汗が滲んだ。武術の心得もなさそうな力任せの掴み方、冷静に考えれば振り払うくらい造作もないことなのに、ミズキは恐ろしくなって身体を強張らせた。

「…失礼、その手を離していただけますか」

背後からミズキの肩が抱かれ、血管の浮いた大きな手が男の手首を掴んだ。ミズキを掴む手とはまるで違う、無駄も隙もないスマートな掴み方で、ミズキがパッと顔を上げて見ると無表情の七海がいた。無表情ながら彼女は七海から若干の怒りを感じ取って、しゅんと心を萎ませた。ナンパのひとつもあしらえなくて七海に面倒を掛けてしまった、と。
男の方は七海の体格や髪の色、日本人離れした顔立ちに呆気に取られて、ミズキの手首を掴んだままそのことを忘れている。
七海の手に力が入って男の手首が軋んだ。

「…離せと言っている」

一段低くなった声と怒気に圧され、男は転がるように逃げていった。七海が「フー…」と長い息を吐いた後、彼の「申し訳ありませんでした」とミズキの「ごめんなさい七海さん」がかち合って、双方が目を丸くした。
先に沈黙を破ったのは七海だった。

「私が遅れたから貴女が不快な目に遭った。謝るのは私の方でしょう」
「、まだ、待ち合わせ時間の前ですし、私ひとりで上手く対処できなくて…」

「ごめんなさい」と重ねたミズキに対して、七海は彼女の手を取ってほんのり赤くなった手首を撫でた。

「…痛みますか?」
「い、いえ」
「他に触られたところは」

ミズキが首を振る。

「…次からは必ず私が迎えにいきます。貴女が男をあしらえるようになるのは望ましいですが、今回のようなことで場数を踏むのが私には不快だ」

七海の中で結論付けられた後の言葉が上手く飲み込めず、ミズキは何度か瞬きをして首を傾げようか迷った。彼女が七海の求めるものをいまいち理解していないことを彼は読み取って、男慣れしていない婚約者を可愛く思った。

「分かりませんか?」
「、えっと…」
「私のために着飾った貴女を他の男が先に見てあまつさえ手を触れたのが嫌だと言っているんです」

七海の怒りの矛先を理解してミズキの頬に赤みが差す。彼の目は優しく細まり、指がミズキの目元に掛かった髪をそっと流した。

「よく似合っていますよ。私のために少し背伸びをしてくれたのが、とても可愛い」
「…『可愛い』じゃなくって、大人に見られたかったんです」

以前気の毒にも叔父と姪、あるいはパパ活に見られたことのある2人である。
ミズキが艶を乗せた唇を窄ませると、その幼い仕草をまた愛らしく思いつつ、七海は心からの謝罪をした。

「女性に対して失礼でしたね。よく似合っていて綺麗ですよ…デートを申し込みたいぐらいに」

七海は改めてミズキに手を差し出して、彼女はその白い手をそっと預けることでもって彼を許してやった。
ミズキが嬉しさをやんわり隠すように笑うと、七海はいつも目の眩むような心地がする。彼女は目一杯に感情表現することを未熟さと思って避けようとしていて、それはひとえに七海の隣に相応しい大人になりたいと願う彼女のいじらしい努力なのだ。

「あのね七海さん」とミズキが彼の上着を軽く引くので、七海は身体を屈めて耳を近付けてやった。

「今日は外泊申請してきたんですけど、いいですか?」

控えめで照れ屋で内向的、それなのに妙なところで大胆で甘えん坊。七海を惹きつけてやまない愛らしさである。
彼はミズキの上着の内側に手を差し入れて、柔らかなワンピースの腰をするりと撫でた。

「勿論。帰さないつもりで来てますよ」

ミズキが「ふふ」と笑った。子供と大人の境目をふわふわと行き来するような、七海の好きな笑い方で。

「あのね七海さん」とミズキがまた耳打ちをした。楽しい秘密を共有する時、彼女はこの言い方をする。

「洋服は他の人に先に見られちゃったけど、下着も大人っぽいの選んだんです。楽しみにしててね」

ミズキの腰に置いていた七海の手がぴくりと強張った。頼りないワンピースの布地一枚隔てた内側を、手が想像した。
七海はフー…と細く長く息を抜いて下心を抑えつけた。

「…男を煽るとどうなるか、知らないわけじゃないでしょう」
「興味ないですか?スルスルして気持ちいいですけど」
「無いとは言ってません」

ミズキがまた七海の好きな笑い方をする。
七海にしてみれば10も歳下の婚約者の手のひらで簡単に情緒を転がされてしまう情けなさはあれど、どうにも心地良さが勝ってしまって抜け出す気にならないのである。
ミズキは嬉しそうに目を細めた。

「真希ちゃんも綺麗だって言ってくれたんです」
「………ほう」

彼女に悪気はなくとも、実のところこの話は七海の地雷の直近である。七海のこめかみがピクリと引き攣った。

「念のため聞きますが…着けて見せたんじゃないだろうな」
「違いますけど…え、でも真希ちゃんですよ?」
「それが嫉妬しない理由になりますか」

そう言って七海が本当に不快そうに、精悍な鼻梁に皺を寄せるので、ミズキは可笑しくなって口元を隠してくすくすと笑った。
七海にとっては不本意、彼にも言い分がある。禪院真希は『女の子同士』と安心しておくにはどうも男前すぎるのである。あと、顔を合わせる度明らかに煽ってくるし。

「買ってきて袋のまま見せただけです。だから、着けたところを見てもらうのは七海さんだけ」

こう言われるといとも容易く気分が浮ついてしまって、やはり手のひらで転がされている実感に七海は情けなくなって溜息を吐く。着用しているところを見るのが自分1人だという点にはとても安心したのは別として。
七海は軽く上向いて長く息を抜いた。

「…全く情けない、こっちは貴女に幻滅されないように必死ですよ」
「奇遇ですね、私と一緒」

ミズキが悪戯っぽく笑うと、七海は切長の目を丸くした。
ミズキと過ごしているとどうも、七海は屈託のない学生にでも戻ったような気分になる。好きな相手と想いが通じる喜びだとか、デートの前の服装の悩み、未熟な嫉妬心、独占欲、青くてきらきらとして、不安定で抗えない。実年齢が学生だった頃には持っていなかった心を、30近くなった今になって愛しい少女から溢れるほどに与えられている。

「ミズキ」
「はい」

愛しい目が七海を見ている。

「私は貴女のことが大好きですよ」

青くて拙い好意の言葉を彼女は心から喜んで、背伸びをやめた愛らしい笑顔で彼に応えてやった。




***

ナンパ撃退の場面はアニメの「仲間の数と配置は?」の感じで想像していただきたいです。
七海さんがたまに敬語抜けるとギュンてなるの私だけじゃないですよね(確信)







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