フォーメーションB:ハニー・アンド・シロップ(五条悟)



小さな映画館のレイトショーでリバイバル上映を観る程度ならバレないだろうと踏んだ。その判断の甘さを、ミズキは切実に悔いていた。
元々、外出してファンに気付かれるのは棘の方が多く、ミズキは伊達眼鏡を掛ける程度で問題なく過ごしてきたのである。次第に、伊達眼鏡すら自意識過剰かもしれないと思うようになっていた。それで今日、眼鏡すら掛けずに出歩いた結果がこれである。

気付かれ慣れていないものだから、「もしかしてイヌマキのミズキさんですか?」と聞かれて咄嗟に肯定してしまった。そうすると相手は声が大きくなって、握手だとかサインを頼み始め、その声がまた注目を集めてしまった。

ミズキは切実に悔いた。
何しろ、今日は五条との待ち合わせなのである。
「たまには外でデートしたいよね」という軽い雑談が実現したのだけれど、この状況に五条が合流してしまうと騒ぎの大きさ的にも週刊誌的にもまずいことは間違いない。
もうじき待ち合わせの時間になってしまう、その前に五条に待ち合わせ場所を変えるメッセージを…と思っている内、唐突に手首を掴まれた。

「握手いいっすか、俺ファンなんです!」

その場を取り巻いていた中の1人、若い男だった。
夢のない言い方をすれば歌手というのは人気商売であって、ファンをありがたいと思うのは本心である。しかし初対面の男性にいきなり、しかも握手ではなく手首を強く掴まれるのは単純に恐怖だった。拒否する言葉が出ずそもそも咄嗟に声も出ず、ミズキが必死に笑顔を作っていると、突然横から現れた大きな手が、男の手を取り上げた。そのまま大きな手が男と握手をする。

「祓本五条とも握手しとく?」

五条だった。いつものサングラスをずらして真っ青な目でニヤッと笑っている。

「……ご、ごっ、…ほ、え、ほん、」
「うん。五条で、ホンモノ」

五条はぎゅむぎゅむと男の手を握って上下に振り、パッと離した。ミズキの手首を取った時には大きく思えた男の手は、五条と比べると子どものように小さく見えた。男は、予期せぬ芸能人との遭遇が重なりすっかり放心してしまっている。テレビで見るよりもさらに大きく感じる五条の上背のせいでもあるだろう。
五条がミズキに向けて明るく笑った。

「ミズキちゃん、待機場所変わったってさっきマネージャーさん言ってたでしょ?忘れちゃった?」
「えっ、…ご、ごめんなさい、そうでしたっけ…」
「そーなのほら行くよ。もう撮影始まるってさ」

勿論嘘である。ミズキは五条の嘘に合わせてこくこくと頷いた。

「放送日決まったら告知するから公式SNS見てねー」

実に堂々として手慣れている。取り巻きの人々も嬉しそうにして五条に手を振った。誰も傷付けず確実で手っ取り早い方法だった。肩を抱かれたまま目的の映画館に入り、人のほとんどいないロビーでやっと止まる。予告映像が大音量でループする大きなシネコンとは違い、そこは静かで薄暗い。

「ミズキちゃん大丈夫だった?先に着いてなくてごめん」

五条がミズキの顔を覗き込んだ。身長差が大きいせいで、背中を丸めるだけでなく腰から折るような姿勢で。
ミズキはわずかに目元を震わせた。

「五条さん」
「うん?」
「五条さん、」
「…ちょっとこっち、おいで」

ロビーから一歩通路に踏み込んで柱の影に入ると、五条はミズキを壁側にして覆い隠すように抱き締めた。側から見えるのは五条の背中だけで、彼の足の間に華奢な靴があることに気付かなければ、奥にもう1人いることは分からない。
通路の先には無愛想な扉と緑色の非常口の電灯がある。

「外でごめんね」

五条の胸元でミズキの頭が振られた。

「ファンって言ってもらって、嬉しいです。…ごめんなさい、これくらい平気で対応できなきゃ」
「芸能人以前に女の子なんだから、知らない男に手首掴まれて怖いの当然でしょ。さっきは僕のミズキちゃんに誰の許可得て触ってんだゴルァぐらい言ってやりたかっ………やっぱちょっと言ってきていい?」

五条の腕の中に小さく笑う音がして、ミズキが「だめですよ」と言った。ミズキは今の五条の言動を、彼の気遣いから出た冗談と思っているけれども、五条にしてみれば至って本気だったし、現に先程男と握手をした際は握り潰さないよう努力をした彼である。
五条は彼の脇腹辺りで服を握っているミズキの手を取って指を絡めた。少し冷えていた彼女の手に彼の体温が移る。

「ミズキちゃん怖くなっちゃった?映画やめとく?」
「やです、五条さんとデート、したい…」
「…ン"ン"ッ」

五条が幸せそうに頬を緩めながら、喉の奥を絞ったような唸り声を上げた。
後日五条はこの時のことを夏油に惚気た際「もうちょっとで血ィ吐くとこだった」と真剣に語る。
ミズキの方は意図せず五条に致命の一撃を与えたことに気付かないで彼の胸に顔を埋めていた。

「、じゃデート始めよっか。…えっとねぇ今日観る映画、実は裏切り者がもう1人いてさ」
「ほぼ映画観たくらいの情報量ネタバレされちゃった」

五条は何度か観たことのある、ミズキは未鑑賞の映画である。しかし今日までに細切れなネタバレが何度もあって、知らない映画を初めて観る感覚とは程遠い。ミズキは五条の胸から顔を上げてからからと笑った。

「もうこうなったら絶対犯人当てますから!」
「おっいーね何か賭ける?」
「え、どうしよう…ジュース、は今から買うし…」
「ミズキちゃんが勝ったらお祝いで50万あげて、僕が勝ったら楽しいから50万あげるね」
「五条さん賭けって知ってます?」
「JUJU PAY送金もご利用いただけます」
「決済方法の話じゃないんですよね」

2人は笑いながら柱の影を出てチケットカウンターに向かった。勝負の行方はさておき、手を繋いで映画を観、ミズキが驚いたり怖がったりする様を隣でデレデレと眺めながら、五条はこの50万はどうにかしてミズキの懐に捩じ込んでやろうと映画の間中考えていたのだった。







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