五条先生とエクストラホイップ
バイト先のカフェによくいらっしゃるお客様がひとりいる。勿論常連さんは他にもいるけど、その人はとにかく目立つのだ。
髪が白いけれども高齢ではなくて艶々サラサラ。とてもとても背が高い。そして恐ろしくお美しいお顔立ちの、男性。
その人は来店するたびにとびきり甘いマキアートを注文して、甘いトッピングを盛り盛りにする。
私も甘いものは好きだけど、さすがにこれは胸焼けしませんか…?といつも思っている。
「ねぇ、君が好きなのはどれ?」
一瞬呆けてしまった。
いつものお兄さんだから手はもういつものマキアートをレジに打とうとしていたところへ、この一言だったから。
お兄さんはカウンターに腕を乗せて、寄り掛かるようにしている。そのおかげで、いつもは見上げる顔が比較的フラットな高さに近付いていた。
いつものサングラスの向こうに覗く真っ青な目が、きらきらとしている。
私が返事をしないままでいるとお兄さんが軽く首を傾げて、『どうしたの?』というような表情を作った。
「っすみません。甘いのがお好きでしたら…」
「あー違う違う。僕の好きそうなやつじゃなくて、君の好きなのが知りたいの」
私の好きなの。
少し不思議な気分がしたけど、忖度なしのレビューが聞きたいということだろうか。
手元のメニューに視線を落として、普段お兄さんの注文するマキアートより遥かに甘さ控えめなものを指し示すと、お兄さんは「じゃあソレで」と言った。
「えっあの、これあんまり甘くないですよ?甘い中で好きなのだったら…」
「いいの、いいの。条件付けずに決めたらコレが一番好きなんでしょ?」
「そうですけど…」
釈然としないままでいる間にもお兄さんはクレジットカードを出してしまうから、急いでレジを打った。
そうだ、もうひとつこのお兄さんが印象深い理由。このお兄さん、ブラックカードをお持ちなのだ。ものすごい富豪なんだなぁ…見た感じ20代なのに。
私がクレジットリーダーの挿入口をお兄さんに向けると、お兄さんはカードを差し込まず私の前に差し出した。
「五条悟、僕の名前ね」
「はぁ…」
トントンとお兄さんの指がカードを打つので見ると、当然ながらお兄さんの言う『ゴジョウ サトル』がカードにアルファベット表記されていた。
「あの、お客様のクレジットカードをじろじろ見ちゃいけない決まりなんです」
「真面目だねぇ。番号控えてもいいんだよ?」
「犯罪を誘発しないでください」
「セキュリティコードも見る?」
「カードをお預かりします。お支払い回数は1回でよろしいですか?」
へんなひと。
本当はお客様ご自身でカード挿入していただくマニュアルになっているけど、私の方で済ませて淡々とレジを打った。
「赤いランプの下でお待ちください」
「うん、ミズキちゃんのおすすめ飲んでみるね」
名前、どうして。
一瞬遅れて自分の左胸のネームプレートを思い出した。
お兄さん改め五条さんは、へんな人に加えて恐らく女誑しである。
それから五条さんは、来店の度に私の勧めたそれを飲むようになった。
もしかして好かれているのだろうかと思い始めていた。だって、同じバイトの男の子から「昨日あの白髪の人が来たけど、ミズキちゃんいないって知ったら帰ってったよ」なんて聞かされたら。
そんな折、ある日、スーツ姿の女性がひとり、私を名指しで呼び出した。
女性がネクタイって珍しいなぁと思っていたところへ、その女性から「大事な話がある」と切り出された。バイト中であることを理由に終業時間まで待っていただいて、バイト終わりにその女性と少し離れた喫茶店に入った。
「五条さんのことです」から始まったその話は、にわかには信じ難いものだった。
なんでも、私は目に見えない悪いものを引き寄せ易い体質なのだそうだ。その悪いものを祓ってくれる職業の人達がいて、その中で最高位の実力者が五条さん。以前たまたま私を見かけて、その悪い引き寄せ体質を見かねた五条さんはお仕事のついでに私を『巡視』してくれていた。
ただ、忙しい五条さんにこれ以上負担は掛けられない、御守りを渡すから後は自分でどうにかしろーーーとどのつまり、そういうことらしい。
これで、その御守りとやらが今なら特別に10万円…なんて話になったら確実に詐欺だったけれども、その女性は御札を1枚テーブルに置いて去っていった。何ならその喫茶店のお代を私の分まで払ってくれた。
1人残された席で、暗くなった窓の外をボンヤリと眺めた。
正直、霊的な?あれこれの話は完全に信じられてはいないけれども、五条さんが立場のある人で、私に好意を持っているわけじゃないってことだけは腑に落ちた。
バイト、辞めようかな。
学業が忙しくなってきてるし、その内就活も始まるし。五条さんに好かれてるかもと期待して、今日は来てくれるだろうかと窓の外を見ていた自分が恥ずかしい。
何となく結論を出せないまま、次の日もとりあえずバイトに出た。終業後に店長に相談してみようかな…というくらいの気分で。
その日は朝から頭が痛いし肩も凝っていたけど、バイト中は特に何事もなく時間が過ぎて、もう少しで上がりの時間という頃だった。
五条さんの白い髪が窓の向こうに見えて即座に緊張した。咄嗟に隣のバイト仲間に腹痛と嘘を伝えてバックヤードに引っ込むと、擦れ違った店長から「時間だしそのまま上がっていいよ」と心配してもらい、ドキドキしたまま更衣室に駆け込む。
よく考えてみたら、急に避ける方が可笑しいのかもしれない。五条さんは私のことを好きでも何でもない、勝手に期待と落胆をしたのは私の方だ。
五条さんは、前も今もただのお客さま。私が何か霊的な?ものに取り憑かれていないか巡視してくれてるとしても、五条さんがお金を払ってこちらはコーヒーを提供する関係に変わりはない。
自意識過剰、恥ずかしいことしちゃった…と思いながら裏の通用口から出たところで、
「ねぇ」
肩が跳ねた。
五条さんが、通用口のすぐ横に背中を預けて立っていた。
「逃げるなんて悲しいなぁ。僕のこと意識して恥ずかしくなっちゃったとかなら可愛いけど」
「ど、どうして…」
「ミズキちゃんから僕が見えたってことはね、僕からもミズキちゃんが見えたってこと」
「それも、ですけど…どうしてわざわざ」
「ソレなんだけどね、鞄の中身見せてくれる?」
はい?
訳が分からず無意識に鞄を抱いた。
「昨日今日で新しく鞄に入れたものってあるかな?」
心なしか、五条さんの声が少し苛立っているような気がした。言われて思い当たるものといえばスーツの女性から渡された御札くらいだ。でもそれなら何で、五条さんがこの御守りのことを知らないのだろうか。五条さんの負担軽減措置のはずなのに。
私が鞄から御札を出すと五条さんはすぐに毟り取った。
「舐めた真似してくれるね」
五条さんの艶やかな唇が左右非対称に吊り上がって、次の瞬間にはマジックみたいに手中の御札からボッと青い火が上がって見る間に燃え尽きた。
「さて」と五条さん。
「頭痛と肩凝りは治ったんじゃない?」
言われてみると、その通りだった。
それから、五条さんに私のバイト先と同じ系列店の違う店舗に連行されて、事の次第を答え合わせするように話をした。と言っても、五条さんはほとんどの事情を察していて、私は教わるばかりだったけれど。
あの女性から渡された御札は御守りどころか悪意の込められたもので、今日の私の頭痛と肩凝りの原因だったらしい。
「僕の関係者がごめんね。もう二度とミズキちゃんには近付けさせないから」
「いえ…ほとんど実害も無かったですし」
「だーめ。思っきり規定違反だから厳格に対処します」
五条さんと私の間には、それぞれが好んで注文するコーヒーが置かれている。エクストラが乗りまくったパフェみたいなコーヒー、久々に見た。
五条さんは私が好きな方のカップを引き寄せて手元に置き、指の腹で優しく水滴を拭った。
「それでね、ここからは僕の告白なんだけど」
何か暴露話が始まるのかと思っていたら。
「ミズキちゃんみたいな引き寄せ体質の人ってね、珍しいけど偶にいるんだよ。だけど僕は全員見て回れるほど暇じゃない。それに巡視するだけならミズキちゃんの名前も好きなコーヒーも知る必要ないしね。この意味分かる?」
五条さんがサングラスを外した。
宝石みたいな目が私を見ていて、目を離すことが出来ない。
「好きになっちゃった。だから頷いて、僕に守られてあげるって言って」
五条さんの目が、私を下から覗き込むように見ていて、見間違いでなければ、その目は不安そうな表情をしている。何を不安になることがあるんだろう、こんなに美しくて実力もあ(るらしく)って経済力もある人が。
私が黙ったままでいると五条さんは「何か言ってほしいな、はいとかイエスとか」と少し拗ねたような顔をした。だけど何となく分かる、これは拗ねているフリをして不安を隠している。
「…五条さんみたいなひとも、不安になったりするんですね」
私が言うと、想定していなかった答えに五条さんが目をぱちくりとさせた。睫毛が羨ましい長さだ。それから、ふっと困ったように笑った。
「そりゃ不安にもなるよ。好きな子に告白して返事を保留されてればさ」
好きな子…というのは私のことらしい。何だか実感が湧かない。
少し風変わりな常連さん、目に見えない霊的な話、だけど実際に頭痛が治ったりとか、この綺麗な人が縋るように私を見ていることとか。目まぐるしい。
私は五条さんの前に置かれたパフェみたいなコーヒーを引き寄せて、ストローに口を付けた。頭を殴られるみたいに強烈な甘さ。
「ものすごーく甘いですね」
「そりゃあね。効率的な糖分補給だよ」
「やっぱり私、そっちの方が好きです。けど、一緒に飲んで、時々替えっこしてくれますか?」
五条さんはワクワクした子どもみたいに笑って、「いいね、それ」と言ってくれた。
そこから悟くんとの交際が始まったわけだけれども、数ヶ月後に就活を始めようとした時には既に「卒業したら高専の事務員になってね」と就職先が決まっていて、就職したら「僕と一緒に職員寮に住もうよ」と住む場所も決まっていた。
入寮したら「コレ好きに使って」と悟くんがあの日名刺代わりに私に見せたクレジットカードを渡されたけれど、身に余るツールに恐れ慄いた私は厳重に金庫に仕舞ったままでいる。
「その内結婚するんだし、カード好きに使えばいいのに」
「金銭感覚が馬鹿になっちゃうじゃないですか。あと結婚って私初耳です」
「プロポーズはちゃんとするから楽しみにしててね。夢の国を貸し切るとしたらランドとシーどっちがいい?」
時々とびきり甘いコーヒーと甘さ控えめなコーヒーを交換しながら飲んでくれたら、私はそれで充分なんですよ。