対 七海建人(27)



※短編【あきらめるには眩しい】と同設定です。


事情と都合に引っ張られて少々強引に為された部分はあったにしても、七海とミズキの婚約はお互いに望んでのことだったし、七海は彼の歳若い婚約者をとても大切にした。
ミズキにとっても七海のそういう紳士的な部分がまさに好きになったきっかけであるし、不満などあるはずもない。
ところがやはり、不満と不安は別物である。

「逆ナンされてんなぁ」
「…やっぱり真希ちゃんにもそう見える?」
「当たり前だろ」

真希は溜息を吐いた。自分なら目視から2秒以内に間合いに詰めて低く構えて『おい』とー…いや、そもそも興味ないし婚約しねぇわ、という寸劇が彼女の脳内で閉じた。
隣のミズキは眉尻を下げてしょんぼりとしている。

休日、真希と街に出掛けた後、七海と落ち合って食事をする予定だったのである。七海は当然のように先に到着していて、待つ間にいわゆる逆ナンに遭っていた。

「何しょぼくれてんだよ。婚約者だろ?フォーメーションA、殴り込め」
「真希ちゃんもうちょっと穏便に」
「素手は穏便だろ」
「刃物を前提にしてる?」

物騒な女子高生がいたものである。しかしそれは別として、ミズキが七海に声を掛けられないでいる理由が、真希には分からない。
「…でも、だって、」とミズキが呟いた。

「いま私が話し掛けたら、七海さんが変に見られちゃう」
「なら電話しろよ」
「…なんだけど、うん」

ミズキ煮えきらない態度に真希は軽く苛ついた。
以前からミズキはどうにも引っ込み思案で、この状態に陥った時の心を汲み取るのは乙骨の方が明らかに向いている。実際、乙骨とミズキは仲が良い。
真希は軽く首を鳴らして苛立ちを逃がし、ミズキが言い出すのを待ってやった。経験上こんな時は、本人が話し出すのを折らないでやるのが最善なのである。

「…あの女の人、大人っぽくて綺麗だなぁって」
「ハァ?」

真希は眉間に皺を寄せた。他人にあまり興味のない彼女は『どの女の人だ』と一瞬探してから、七海を逆ナンしている女のことだと思い至った。まぁ確かに七海と年齢が近そうで、年齢相応の化粧と服装をしている…という程度しか真希には分からなかったけれども。

「そりゃあっちのが歳上だろうけど…婚約者はお前だろ、胸張っとけよ」

ミズキは「ありがと」と言いつつも、その笑顔にはまだ元気がない。要は本人の自信と納得しかこの状況を解決し得ないのだ。

「…ったく面倒臭ぇなぁ」

真希はミズキの肩に手を回して引き寄せ、近付いた頬をむにむにと強めにつまんだ。

「お前旦那の顔良く見ろ、あんないかにも迷惑みたいな顔してんだから心配する必要ねぇだろ」
「え…ぁ、ほんとだ」
「ったくこんな可愛い顔しといてまだ不安かねぇ、分かんねぇな」

真希が言うと、ミズキは頬をつままれたままキョトンとした後、絡まった糸が解れるように柔らかに笑った。

「ありがと。真希ちゃんに言われると嬉しい」

今度は真希が目を丸くする番になった。ミズキは基本的に引っ込み思案なくせに偶に妙に大胆で、懐いた相手にはどこまでも素直に甘えるところがある。真希はつまんでいたミズキの頬を離し、指の腹で押し戻すようにして周囲と馴染ませた。
それから「そーかよ」と小さく言って照れを隠した。

「…失礼。真希さん、そろそろ私の婚約者を離していただけますか」

ミズキはもう少しで悲鳴を上げるほど驚いて、咄嗟に待ち合わせ場所と至近距離の七海とを視線でニ度往復した。逆ナン女性はもういない…と思ったら去っていく後ろ姿が見えた。
目を白黒させているミズキに対して真希は余裕そうで、堂々とミズキをさらに引き寄せた。

「どーも。こいつ寂しがりなもんで、七海さんが忙しいなら連れて帰ろうかと」
「それはご親切に。以後はどうぞお気遣いなく」

これはもしかして空気がヒリついているのだろうか…とミズキは一瞬肝を冷やした。しかし真希はミズキの肩を抱いていた手をパッと離すと、七海に向けて婚約者を押し出した。
七海に受け止められて振り返ったミズキに「フォーメーションA、上手くいったろ」と笑って見せる。

「不安にさせられた分美味いもんで取り返してこいよ」

ひらひらと手を振って去っていく後ろ姿にミズキは礼を言った。七海は『不安』というところで真希が一瞬寄越した視線の意図を汲み取って、ミズキの肩を抱く手に力を込める。
彼は親指と薬指でサングラスの両端を押し上げ、ミズキに気取らせないように静かに息を吐いた。

「…ミズキさん、先に少し早い夕食をと思っていましたが、予定を変えても?」
「?はい、もちろん」

七海はその場でレストランに予約変更の電話をした。肩を抱かれたままでミズキはそれを聞いていて、嬉しいような少し身の置き場がないような、微妙な気分で彼の顔を見上げていた。
電話を終えると七海はミズキに向かって彼の左腕を軽く浮かせるようにして見せた。ミズキはまだほんのり照れを覚えながらも、自身の腕を絡めて彼と同じ方を向く。

「あの、七海さん…どこに行くんですか?」

歩き始めて少し、ミズキは七海の顔を見上げて問うてみた。彼はいつも最初に行き先だとかどれくらい歩くだとか、そういうことを自然に伝えてくれるから、聞かない方がいいだろうかと迷った末のことだった。

「…見えてきましたね」

七海が行く手に見える看板の文字を読み上げると、ミズキは目を丸くして立ち止まった。有名な宝飾品店だった。

「今日は最初からそのつもりでしたが…不安の解消に役立つなら、早い方がいいでしょう」
「え…あの、ごめんなさい…真希ちゃんはそんな意図で言ったんじゃないです。私もそんな、」

学生の身では入る機会のないような店である。
狼狽えるミズキを七海が黙らせた。

「言ったでしょう、今日は最初からそのつもりだと。貴女が私の婚約者だと示したい私の都合です」

「受け取っていただけますか」と言いながら、七海はミズキの手を取って薬指の根本を指先で撫でた。
ミズキは、七海に薬指を弄ばれている自分の手を眺めていて、それから彼の精悍な顔を見上げた。美しく流された金色の髪、シャープな頬の輪郭、冷たく厳しい印象を持たれがちな彼の目が優しくミズキを見ている。彼女は七海の肩に額を押し当てるようにして顔を隠した。
「うれしいです」という小さな返事に彼は笑った。

「それは良かった。ですが顔を見て聞きたいものですね」
「いま、無理、です…」
「可愛い人だ。あぁそれと、次の土曜日には外泊許可を申請しておいてください。明日は朝早くから仕事なので来週にしましょう」

七海の優しくも淡々とした声色に、ミズキは照れていたのも忘れて顔を上げた。

「どこか行くんですか?」
「いえ、愛情の伝わり方が不充分なようなので一晩かけて分からせます」

本格的に硬直してしまったミズキの肩を抱いて、七海は何事もなかったかのように宝飾品店への歩を再開した。
目下、到着までの数十秒間で、煌びやかな宝石の並ぶ場所へどんな顔で立ち入るか、ミズキは決めなくてはいけないらしい。



***

短編の方で使い損なったネタ(七海さんと真希さんの会話)の供養でした。
またしてもフォーメーションはあまり関係ありませんでした。







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