23.あまえてねむって



悟はショートスリーパーだけれども、全く休息を必要としないわけでは勿論ない。
それを分かった上で、彼を疎ましく思う上層部は尋常でない量の任務を短期間に集中して課したのであり、それを分かった上で悟は涼しい顔で全て片付けてせせら嗤ってやろうと意地になった。
かくして五条悟は現在4徹目に突入したのである。

「悟、今日は休め」
「ア"?誰に言ってんだ余裕だわ」

明らかに大丈夫じゃないだろうと夏油は嘆息した。口調が荒いし目の下には薄ら隈が浮いている。

この4日間で補助監督は10回交代して悟の送迎や現場対応を行なっている。それだけ間断なく詰め込まれた任務の移動中に30分から長くて1時間程度の仮眠を挟んで、悟は動き続けていた。
その最中、11回目の補助監督交代のため高専に立ち寄った僅かなタイミングを、夏油が押さえたのだった。

「任務は私が代わる。無理を押して術式の誤作動でも起こせば街ひとつ消えかねないよ」
「誰がンなヘマするかよ」
「ヘマで街ひとつ消せるのは君ぐらいだろ」

夏油は強引に悟の後ろ襟を引っ掴んで仮眠室に放り込もうとしたけれども、悟がその手を払い退けた。そのまま申し送り中の補助監督を急かして声を荒げ始めるものだから、夏油はまた溜息を吐いた。

「分かった。ただ次の任務には私も同行するからな」
「勝手にしろ」

そうして慌てて駆けてきた補助監督と一緒に車に乗り込み、また次の任務へ出たのだった。
最初の内、悟は苛ついた声でスピードを上げるように後部座席から補助監督を煽っていたけれど、ある時点で間違いに気付いて止まれと言い出した。明らかに、車が彼の自宅へ向かっている。

「ざけんな俺はやれるって言ってんだろ!」
「あのなぁ悟、冷静じゃない自覚は持った方がいい。休むのが今の君の職務だよ」

夏油がいなければ恐らく悟は運転席を後ろからガツガツ蹴っていて、苛立ちのあまり力加減を誤った可能性もある。
そうこうしている内に車は悟の自宅前に停車して、今度は車を出せと捲し立てる悟のすぐ横でコンコンと窓ガラスがノックされた。覗き込んだのはミズキだった。

「おかえり、悟」
「っミズキ、なんで…」
「いいから」

ミズキが外からドアを開けて手を差し出すと悟は反射的にその手を取ってしまい、そうなれば羽毛を掬うような力だけで彼は車外に連れ出された。

「悪いね、寝かしつけてやって」

車の奥から夏油が身を屈めて覗いた。

「傑くんありがとう」

ミズキも屈んで軽く手を振り、彼が内側からドアを閉める。

「出して」
「はっはい!」

発進すると急に静かになった車内で、夏油はゆったりと背中を凭れさせてようやく一息ついたのだった。

「…夏油術師」
「何だい」
「先程の…その、すごい美人でしたが…」

ルームミラーで補助監督の男がチラチラと夏油を見た。その目には好奇心と僅かな期待が見て取れた。

「詮索は身の為にならないよ。何かのきっかけで死にかねない状況からせっかく解放してあげたじゃないか」

以後、車内に沈黙が戻った。





結局幼子のように手を引かれたまま玄関に入って、ドアが閉まった途端に悟はミズキを強く抱き締めた。4日ぶりである。
いつもであれば機嫌良くミズキの名前を連呼して盛大に愛を告白する悟が黙ったままなので、余程参っているらしいことがミズキにもよく分かった。

「悟」
「…」
「悟、お風呂入れる?着替えて寝よう?」

黙ったまま悟の頭が小さく上下したので、どうやら頷いたらしかった。
ミズキは弟の手を引いて脱衣場へ連れ込み、黒い上着のファスナーに手を掛けた。身長差の都合からインナーは自分で脱いでもらい、ミズキが腰のベルトに触れた時、悟が彼女の手を掴んだ。顔を見ると完全に目が据わっていて焦点も怪しい。半ば寝ていた。

「おねえちゃん…一緒に入る?」

呼び方に一瞬驚いたもののミズキはすぐに笑って頷いた。

「一緒に入るよ。洗ってあげるね」
「ん」

まだ悟が無下限呪術を自覚する前、つまりミズキに術式が備わっていないと発覚する前、その頃は家の人間達のミズキへの接し方が多少はマシだった。
勿論、六眼を持つ男児である悟との差別は既にあからさまで、ミズキは隔離秘匿されていたけれども、双子であれば同等の才能が備わっていても不思議ではないと思われていたのである。
周囲が悟に対して、そして悟が、ミズキのことを姉と呼称していたのは、その数年間だけだった。

「流すよ、目を閉じててね」
「ん」

悟はとろとろと瞬きをして、言われるまま大人しく目を閉じた。ミズキは温めのシャワーで悟の髪から泡を洗い流し、いつも彼女が使うトリートメントを手に取ってから間違いに気付いたけれどそのまま悟の髪に馴染ませた。もう一度流す。

「お湯に入る?」

悟が首を振った。

いつかミズキが熱を出した後で悟が彼女にしたように、ミズキはふわふわのタオルで弟をくるみ、丁寧に水気を取って服を着せた。目は閉じかけゆらゆらと頭を揺らす悟をスツールに座らせて髪にドライヤーを当て、また手を引いて寝室まで連れていった。悟はふわふわと覚束ない足取りでそれに従って、促されるままベッドに潜り込む。
長身の弟がベッドの手前で力尽きてしまう可能性を内心危惧していたミズキは安堵の溜息を零した。

「おやすみ、悟」

額にキスをして髪を撫で、風呂場の片付けと悟が起きた時に何か胃に優しいものを…とあれこれ算段しながらその場を離れようとしたものが服をくんっと引かれ、見ると悟の手がしっかりミズキの裾を掴んでいる。
何度か抵抗を試みたものの悟の手は姉を離すつもりがないらしく、ミズキは諦めて弟の隣に身体を滑り込ませた。



暗い部屋の中で悟はぱちりと唐突に覚醒した。彼の目には照度に関係なくそこが自宅の寝室であることが見て取れ、記憶の途切れた最後の時点を頭の中で手探りして引っ張り出した。次の任務へ向かうはずが自宅前まで送られ、車の窓にミズキが覗いたはずだ。温かくて柔らかい手を取った辺りで何かの糸が切れて、そこから記憶がない。
腕の中にミズキを抱いている。彼女は眠っている。
その時になって初めて、悟は自分が姉の背中で彼女の服を力一杯握り締めていることに気付いた。ぱ、と離すと軽く汗ばんだ手のひらが冷えた。

記憶が途切れる直前に夏油がいたことを、悟は思い出した。となるとこの状況は恐らく夏油のお節介によるものであろうと推測出来て、徐々に追い付いてきた記憶がそれを裏打ちした。

ミズキの額と頬に3回ずつキスをして、悟はベッドを出た。

明かりの点いたままのリビングに出て時計を確認すると、記憶の途切れる前から2時間ほどしか経っていなかった。それでも頭はスッキリと冴え、どこまででも走れそうに身体が軽い。睡眠を取らなかったことよりもミズキに会わなかったことの方が堪えていたのかもしれないと悟は思った。

悟はとりあえず顔を洗おうと洗面所に入り、そこで激しく混乱した。
浴室の床が濡れて使用の痕跡があるのだけれど、籠に自分だけでなくミズキの衣類も入っている。ふとミズキの匂いがしたと思って振り向くと、香りの源はどうやら自分の髪のようだった。
悟は咄嗟に夏油に電話をかけた。

「傑あのさ僕何した?何この状況?」
「挨拶のひとつぐらい言ったらどうだい?そもそもどこまで覚えてるの」

電話口に夏油の溜息が聞こえた。

「任務行こうとしたら自宅前に送られてミズキの顔見た辺りで電源落ちた。脱衣場に僕とミズキの服が脱いであって風呂の床濡れてて僕の髪からミズキのトリートメントの匂いがすんのに何ひとつ覚えてないって何だって聞いてんだよ!」
「それほぼ答え出てるじゃないか。一緒に風呂に入って洗ってもらったんだろ、ヨカッタネ」
「ふざけんなこの損失どう埋め合わせしてくれんの?」
「残念だけど私に野郎と入浴する趣味は無いんだよね」
「丸刈りにしてやろうか」

ハハと夏油が笑い、悟は乱暴に髪を掻き乱した。風呂場を軽く片付けながら夏油の話を聞くに、彼が悟から引き継いだ任務はまだ呪霊の出現待ちなのだという。この後悟が向かって引き継ぎ直すと言い出したことに対しては、夏油も今度は反対しなかった。

その後悟はミズキを起こさないように静かに家を出て、結局上層部から振られた任務の全てをあっさり片付けてしまった。わざといつもより丁寧に書いた報告書を上司達に叩き付けて鼻で笑い、煽り倒して遊び、胸のすく思いで高専を後にしたのだった。
今回の嫌がらせについて夏油が総監部へ隙のない抗議を叩き付けたことにより、悟の翌日は休暇になっていた。悟はその貴重な休みをミズキとどう過ごすか考えながらケーキを買って帰宅して、心配顔の姉を抱き締めて盛大に頬擦りした。
そしてニコニコと機嫌良く笑うミズキに理由を尋ねて、自分が寝惚けた頭で彼女を「お姉ちゃん」と呼んだことを知らされて羞恥心に身悶え、開き直り、以後戦略的にお姉ちゃん呼びを使うようになる、五条悟という男である。



***

2023年の五条悟生誕祭にてひとまず書くのを避けたお姉ちゃん呼びです。
アンケートへのコメント
・しんどい時にふと出てると可愛い
・最強の五条さんもたまには甘えてもいい
・最強の弟が最弱の姉に甘えるのだから何をしても許される(意訳)
参考にさせていただきました。
ありがとうございました!



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