SS 喧嘩とは何であるか



「…ふたりって喧嘩することあんの?」

レストランの個室でランチを囲んでいる時に、唐突に硝子が言った。
悟にサラダを取り分けていたミズキとミズキにパスタを取り分けていた悟が同時に手を止めて、数秒間目をぱちくりとさせた。それから同じ表情を向き合わせて、『喧嘩』という言葉について、『ねぇ意味知ってる?』というように一緒に首を傾げた。
硝子にとってそれ即ち答えであったし、そういえばこの2人マジの双子だったと再認識する羽目になった。

この双子の間では『喧嘩』という語彙がヒットしなかったと見えて、見つめ合っている内に先に検索を切り上げた悟がすいっとミズキに顔を寄せてそのままキスをした。

「びっくりした、どうしたの?」
「ごめん、つい」

悟は温かく蕩けたチョコレートのようにとろりと笑った。
突然のキスに驚いたミズキがサラダ用のトングを手から滑らせそうになったのを彼の手がしっかり
握っている辺り、『つい』という供述は信じるに値しない。

悟が何事もなかったかのようにパスタを取り分けに戻った。

「まぁこんな具合だからさ、喧嘩らしい喧嘩は無いかな」
「聞いた私が馬鹿だったよ」

硝子は先にミズキが取り分けてくれたサラダにフォークを立てた。パキッと瑞々しい音がした。

「ミズキは何かないの、五条に不満とかさ?」
「不満…」
「ちょっと硝子ォ、無理に何か引き出そうとすんの辞めてよー」

ミズキが『喧嘩』に続いて初めての外国語みたいに『不満』を思案している横で、悟が唇を尖らせて不満を表明した。
そのわざとらしい猫撫で声に、こいつミズキの前だから猫被ってんな、と硝子にとっては鳥肌の立つ思いである。

「ミズキの言うことは世の真理だから受け入れる一択なんだよ。目玉焼きひとつにしたってミズキが半熟ってんなら火の通し過ぎは罪悪になんの」
「お前が強火過ぎだろ」
「あ、不満あったかも」

悟の前にサラダの皿を置きながらミズキがぽつりと零すと、悟は目に見えて動揺した。

「えっ何やだ言って、すぐ直すマジでミズキが嫌なこと一生しねぇから」
「私に合わせすぎなとこ。私だって悟の好きなようにしたいのに」
「うそ可愛いどうしよう法外に課金したい」
「だめだからね」

くすくすと笑って悟からパスタを受け取るミズキが彼の課金発言を本気に捉えていないことは明らかだった。
悟はミズキが笑うのを眩しそうに見ていて、彼女がカトラリーを動かし始めると満足気に頬を緩めた。

「僕は根本的なとこで大きい我儘通してるからさ、他に通したいことって実際無いんだよね」

それもそうかと納得して、硝子は「あー…」と声を漏らした。目の前の五条悟は、双子の姉を欲するあまり倫理も道徳も捨てて家から攫ってきてしまった男である。
ミズキがミニトマトを口に入れようとしていたのを止めて、首を傾げて見せた。

「悟がそんな我儘言ったことあった?」
「ふふっナイショ」
「硝子ちゃんは知ってるの?」
「んーあんまり」
「ふぅん…?」

釈然としない様子で、ミズキは一度止めたトマトを小さく確認して口に入れた。味を確かめるように噛む。
隣の悟はミズキの食べる様を見ているだけで満足という顔をしていて、硝子は『こいつもしかしてミズキから栄養摂取してんの』と非医学的な可能性に思いを馳せた。

「僕は今サイコーに幸せって話」

硝子は晴れ晴れとした笑顔の悟を見、いまいち状況は飲み込めないながらも嬉しそうなミズキを見、一組の美しい双子を眺めて小さく嘆息した。
少なくとも高専に身を置いていた頃の悟から『サイコーに幸せ』なんて言葉は出てこなかっただろう。五条家に閉じ込められていた頃のミズキからも。美しき哉、というやつだ。

「あ、ミズキがひとつお願い聞いてくれたらもっと幸せ」
「うん?いいよ」

硝子が『やめときな』と忠告する前にミズキは無防備に了承してしまって、悪巧みの表情をした悟がそっと耳打ちをすると彼女はみるみる赤くなって愛らしい唇をわなわなと震わせた。

「ありがとミズキ、楽しみだなぁ」
「五条、セクハラはふたりの時にしろ」

この美しい双子、片方は純正の天使でもう片方は天使の皮を被った悪魔である。






ネタポストより『繭の内側のふたりが喧嘩する話』
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