恵に会いに行く話 前

ミズキは自室に戻るとドアの内側に背中を預けてズルズルと座り込んだ。つい先程耳にした言葉を嘘だと思いたかったけれど、自らの動揺ぶりを見るに残念ながら真実であるらしかった。

「恵、今度の土曜にまた行くから」

五条の声が、確かにそう言ったのだ。姿を見られる前で良かった、そっと立ち去ることが出来た。
五条の言う今度の土曜というのは、任務だと聞かされていた。
五条は、今度の土曜に、任務と偽って、『メグミ』に会いに行くのだ。

ミズキは、五条の愛情を疑うつもりはなかった。大切にされている実感があるから。
ミズキは寒さに震える時のように、両手でそれぞれ反対側の二の腕を強く擦った。それから交差した腕に額を預けて、肺の中の空気を全て出すように深く息を吐いた。

分かっていたことだ、と彼女は思う。
御三家の当主に妻ひとりという方が(呪術界の常識に照らせば)可笑しい。愛人も妾も公然の秘密で、呪術界の権力層にとって女は子宮と同義なのだ。
そんな中で五条はミズキを心から愛してくれている。子宮ではなく女性として。そのことが既に有り余る幸せというものではないか。
笑っていなければいけない。五条が針の上に立つ足を下ろすふわふわの寝床でいたいのなら。
ミズキは立ち上がって手のひらを強く両目に押し当てた。泣くな、それが御三家に、五条悟に嫁ぐということだ。ミズキは深く決心をした。

ところが、ミズキの決心を薙ぎ倒して距離を詰めるのが五条悟という男だった。

「言うまで放さねぇからな」

何をかというと、ミズキの笑顔の違和感について。
五条が愛人を作ることについてミズキが黙認を決めた翌日には、「昨日から態度ぎこちないけど何かあった?」から始まり、「僕何かしちゃった?嫌なことあんなら言ってよ」と来て、ミズキが首を横に振り続けるのに業を煮やしてその日の夜には強硬手段に出た。それが、ベッドの上に彼女を組み敷いて「言うまで放さない」というわけである。数年前までの口調に戻りかけている辺り、そこそこ頭に来ているらしい。

「ミズキ」
「本当に何もないんです、態度が悪かったなら謝りますから」
「それで誤魔化せると思ってんならこのまま抱く」
「らしくないですよ」
「そっちがな」

六眼というのは隠し事まで見抜くのだろうか。五条が何故こうも確信に満ちているのかミズキには分からなかったけれど、『何もない』を貫くことはどうやら無理なことだけはひしひしと分かった。
それでミズキはぽつりと、「私にも時間が必要です」と零した。

「…ひとりの時間とか、そういうヤツ?」
「ではなくて…その、愛人だとか、当然のことだって分かってます。でも心の整理がつくまでは少し、」
「待って何の話?何が起こってんの今?」

五条がその青い目をぱちくりとさせると、ふたりの間に掴みどころのない間抜けな空気が数秒間流れた。
それでようやく、『メグミ』というのが小学1年の男の子で、愛人云々というのは全くの誤解であるというのがお互いに共有されたのだった。
ミズキは羞恥心から紅潮した顔を手で覆った。メグミだとかカオル、ツカサ、ヒカル辺りはそういえば男女どちらでも違和感なく使える名前だと今になって気付いた。

「でもさぁ心外だよね」

五条がミズキの顔から手を退かし、掴んでそのまま顔の両横へ縫い付けた。
そういえば体勢は、ミズキがベッドに組み敷かれてそのままである。

「愛する奥さんに浮気を疑われて?相手は小1のクソ生意気な男の子だってのに?こちとらもうAV観ても抜けない身体にされちゃってんのにさ?」
「最後のは知りません」
「最後のしか知らなくていいわ。とにかく僕は愛人も妾も作らないし不倫もしない。ミズキがしたら相手の男殺す、OK?」
「OKではないですけど…私だって悟さんだけです」
「可愛い勃った」
「うそ!?」
「ホント」

ゴリッと不穏なものを押し付けられて、ミズキは自らの発言を後悔した。
しかしやっぱり、五条の愛情が自分だけに向けられていることを断言されて嬉しくないはずもなく、シーツの上で手のひらを合わせている大きな手をきゅぅっと握り返したのだった。



「…けどそれなら、任務だって嘘つくことなかったじゃないですか」

行為が終わって、掠れた声に五条が水のペットボトルを差し出してくれたところで、ミズキが反論した。
よくよく考えてみれば、嘘を吐いたり紛らわしい行動を取った五条にだって責はあるはずなのだ。
五条はミズキに背を向けてベッドの端に腰掛け、がしがしと髪を掻き混ぜた。

「…その恵って子さ、禪院の血筋なの」
「?はい」
「ミズキ、子どもの頃禪院と見合いするとこだったって言ってたでしょ」
「はい。9歳の頃に」
「その相手が父親。で、僕が殺した」

ミズキは五条の背中を見た。広々として、過不足のない筋肉が乗り、およそひとりの人間に背負わせるべきではない量の重圧と苦難が乗せられた背中。
彼女は五条の肩甲骨辺りに頬を寄せた。

「ミズキ、怖い?」
「いいえ」

夜の海のように静かな呼吸を、寄せた頬に感じた。

「悟さん」
「ん」
「土曜日、私も行っていいですか?」
「…いいよ」

五条の返事は積極的に承諾するというよりは、諦めの声色をしていた。出来れば避けたかった道をどうやら通らざるを得ないらしい、という風に。

「怖いですか?」
「少しね」

ミズキは、怖がることはないと五条に伝えたくて、裸のまま彼の背中にきゅっと抱き付いた。

「あのーミズキさん」
「はい」
「元気になっちゃうんですけど」

ミズキは背中にくっ付いたままくすくすと笑った。

「えっちな映像でできないって絶対うそ」
「嘘じゃねーよ自分のおっぱいの威力分かってる?いま背中めっちゃ気持ちーの」
「知らなーい」

ミズキがぱっと身体を離し、布団を抱き込んで五条に背中を向けて寝転ぶと、五条はにやりと笑って細い背中に指を這わせた。

「くすぐったいっ!」
「あっち向いてていいよ、勝手に我慢出来なくさせる」
「もー」

体温に馴染む布団の中で幸せな戯れ合いを繰り返す、この時間が五条の形を保っている。




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