陶器の人形たち
※さらっとnot離反ifのハイパー平和軸
卒業証書を入れる紙筒の蓋あるいはシャンパンのコルク栓、それを外す時の音に近かった。
ぽんっと小気味良い音がしたのと同時にミズキがよろめいて小さな悲鳴を上げて、五条は咄嗟に彼女の腕を掴んだ。よろめいた拍子にミズキの髪が肩から前に流れて目尻や頬にかかり、どうにか転ばずに済んだ彼女は髪越しに五条の顔を見上げて目を丸くした。
「悟さん…?え、どうして、」
「は?…お前、何か雰囲気…」
疑問符が飛び交うばかりである。
直前まで、五条とミズキは自販機を目指して廊下を歩いていた。2人とも高専の制服を着て、連れ立って歩いていたのだ。それが今この瞬間、ミズキの服は黒のスーツに変わっている。五条の言う通り雰囲気も違う。17歳の五条に対して彼女は今、27歳である。
そこから数往復の質疑応答を経て、お互い状況を把握するに至った。
「つまりミズキは今27歳で補助監督で、学生が回収してきた呪具の誤爆で16歳のミズキと入れ替わった、と」
「そうなります、恐らく」
「アー確かに妙な残穢が付いてんな…」
五条はサングラスを外し、まじまじとミズキを見て、グッと息を詰めた。
偽の婚約者で片想いの相手だった関係から、つい最近ようやく本物の恋人になった。その女の子が突然成熟した大人の女性になって目の前に立っているというのは、思春期男子の目には毒である。間違いなくミズキ本人なのだけれど大人びていて、柔らかな艶を増している。更に言うなら胸の膨らみだとかヒップラインも。
それから五条の目はミズキの左手、その薬指に留まった。指輪。彼自身も先日からミズキと揃いの指輪をつけるようになったけれど、それとは別物のようだった。『相手は俺か』という一言が喉の奥で二の足を踏んだ。
ミズキは彼の視線に気付いてふっと目を細めた。
「悟さんからもらった指輪ですからね」
「…別に聞いてねぇし」
「いま悟さんがしてるのとペアの指輪もちゃんと取ってありますよ」
「………あっそ」
五条はなるべく気のない風を装って後ろ首をガシガシと掻き、ミズキはそれを微笑ましそうに見て楽しそうにしている。いとも簡単に手玉に取られる感覚は彼にとってむず痒くて手に負えなかった。ただそれがミズキ相手であれば、全く悪い気はしないのである。
五条の目で視たところ、今回の事件を起こした呪具の作用は半日程度で解けそうだった。それならばと五条はこの何ともご都合な状況を堪能すべく、ミズキを当初目的の自販機まで連れていったのだった。
16歳のミズキがいつも好んで飲む紅茶を手渡してやると、窓を背にしたベンチで大人の彼女は目を輝かせた。五条はその隣に腰を下ろした。
「懐かしい、これ学生の頃好きだったなぁ」
「今は?」
「いつの間にか自販機から無くなっちゃって。美味しいのに」
情けなく眉尻を下げて、よく勝手にいなくなってしまう愛猫を見るような目でミズキは懐かしい缶のパッケージを見た。その表情は入れ替わる前の学生の彼女とまるで同じで、五条の心をふわふわとさせた。落ち着いているようで浮ついているようでもある、何とも不思議な気分だった。
口元で缶を傾ける、こくんと小さく喉が鳴る、缶が離れて濡れた唇が弧を描く、白い手が大切そうに缶を持っている。五条はその様を見逃すまいとして見つめていた。ミズキと隣り合ってジュースを飲むのは勿論初めてではないのだけれど、何度も何度もそれを繰り返していくとミズキが『こう』なるのか、と高揚した。
気付けばミズキも夫の懐かしい学生姿を見ていて、五条は慌てて視線をミズキの唇から引き剥がした。
「懐かしいな。背丈はほとんど変わらないけど、やっぱり雰囲気が違いますね」
「…どう変わってんの俺」
「大人の悟さんは飄々としてて、あと俺じゃなくて僕っていうの」
「ハァ?あり得ねーそれマジで俺?」
五条が苦い液体を舌に垂らされたような顔をすると、ミズキはくるくると笑った。28歳の五条はこんな顔をすることはない。芯の部分に悪餓鬼めいたところは残しつつも、冗談で受け流すだとか茶化して煙に巻くだとか、摩擦の少ない方法を身につけたから。四方八方に尖っている若い五条の態度は、ミズキには懐かしく微笑ましかった。
それに、背丈は同じでも身体の厚みがやはり違う。彼女自身も学生だった頃には充分逞しく思っていたけれど、大人の五条に比べると随分ほっそりとして見えた。
「この頃の悟さん、華奢で可愛い」
少しの悪気もない、懐かしさと慈しみからの発言だったけれど若い五条は黙ってしまった。ミズキははたと自らの失言に気付いて隣の彼を見上げた。
「…あんまガキ扱いしてんなよ」
「ごめんなさい、男の人には嫌でしたよね」
「華奢で可愛い旦那とキスしてみる?」
五条は窓枠に腕を乗せてミズキの方を向き、柔い髪ごと彼女の後ろ首をぐっと引き寄せた。
「…おい、ミズキ」
「だめですよ」
五条とミズキの唇の間には紅茶の缶があって、キスにはほんの少し遠い距離から彼はムッとした目で不満を訴える。
「なんで。いーじゃん」
「16歳の私が嫉妬しちゃう」
「嫉妬することあんの?見たことねぇよ」
紅茶から口を離した五条は口元を不機嫌にひん曲げて、骨を鳴らすように首を傾けて見せた。
「しますよ。悟さんが胸の大きいグラビアアイドルを携帯の待ち受けにした時とか」
五条は目を丸くしてミズキを見た。
ミズキにとっては10年以上前、五条にとっては先日の出来事である。嫉妬されたくてこれ見よがしに待ち受けをグラビアアイドルにして、思ったような結果は得られなかった。
「…特に何も言われなかったけど?」
「内心嫌で、後から硝子さんに慰めてもらいましたね。懐かしいな」
「はー…それ俺に言えよ彼氏だろ」
「何て言ったらいいか分からなかったんですもん」
ミズキは『今となってはいい想い出』という様子で楽しげに目を細め、五条は深々と息を吐いた。それから片側の腰を浮かせてポケットから携帯電話を取り出しパキッと開いて待ち受けを眺める。
「…すぐ戻したよ」
「え?」
「嫉妬してもらえなかったから用済みになったし」
五条はだらりと背後に凭れて、隠す素振りもなく太腿の上で開いた画面を眺めている。ミズキからもその画面に映るのが誰であるかは簡単に見て取れた。
彼女にとっては少し幼いとはいえ毎日鏡に見る顔、しかしその写真を撮られた覚えはない。何しろ寝顔である。
「悟さん」
「んー」
「16歳の私ね、悟さんのこと大好きですよ。こっち見て、抱き締めて、キスしてって思ってるんです」
五条は口や目をどんな形にすればいいのか分からないような顔をして、声にならない音みたいなものを喉から漏らし、自分の太腿に覆い被さるようにして頭を抱えた。
「あーもーミズキお姉さん悪い大人じゃん…いたいけな悟くんをどーしたいわけ?」
「ふふ、どうもしないですよ。だって16歳の私が泣いちゃう」
「何かしろよあ゛ーミズキ会いたい俺のミズキ今すぐ会いたい」
「大丈夫ですよじきに帰って……あ、」
「え何、なんかあった?」
「16歳の私に大人の悟さんが何してるかなって」
ミズキがこれを言った途端に五条は動揺して彼女に詰め寄った。ミズキを間近に凝視したり背中側を覗き込んだりして、彼女に作用している呪力を紐解こうと六眼が糸口を探している。その焦った表情をミズキはまた微笑ましく眺めていた。
「クッソ…見た感じまだ戻りそうにねぇ、原因の呪具も手元にねぇし!」
もどかしそうに目元を歪める五条に対して、ミズキは至って落ち着いている。
その時また卒業証書だかシャンパンの音がして空間にいきなり大人の五条がひょいと現れ、ミズキの姿を発見して「お、ビンゴ」と笑った。彼の腕には16歳のミズキが大切に抱えられている。
大人の方の五条は軽快な足音で床に降り立つと、横抱きにしていたミズキを割物のようにそっと降ろしてやった。降ろされたミズキは母親に再会した迷子のように学生の五条に駆け寄って、安全な腕の中に入り込んだ。対して大人のミズキは夫に駆け寄ってするりと腕の中に収まる。まるで、それぞれがぴったりと組み合うように作られた陶器の人形みたいに。
「よしよし、怪我はないみたいだね。心配したよ」
大人の大きな手がミズキの髪を撫でると、彼女は心地良さそうに目を細めた。
「せっかくだけどもう未来に帰るよ。六眼が対面ってのが呪具には負荷高いみたいだからさ」
つい先程まで16歳のミズキを抱いていたように今度は妻を抱き上げて、五条は音もなくその場から消えてしまった。ものの数秒のこと、大人の2人が去った部屋の中は日常と変わらない光景を取り戻した。
五条は腕の中に戻ってきた16歳のミズキを抱き締め直し、頭の丸みを確かめるように髪を撫でて、安堵からフー…と長く息をついた。
「おかえり、…よかった」
五条はミズキの頬に手を添えて上向かせようとしたのだけれど、彼女は五条の胸に額を押し付けて顔を隠したまま抵抗を見せた。
「なぁどーしたの。キスしてぇんだけど」
まだ眠い子供のようにミズキは五条にくっついていて、彼が顔を覗き込むとようやくおずおずと顔を上げた。目は逸らしたまま。その頬がどう見ても羞恥心に赤らんでいるので、五条は少し面白くない思いがした。
「…なぁ、大人の俺に何言われた?」
ぴくりと分かり易くミズキの肩が揺れ、困ったように眉尻が下がる。五条の耳の奥で大人のミズキの声が『16歳の私に大人の悟さんが何を…』と言った。
「内緒…です。悟さんこそ、大人の私とどんな話をしたんですか」
それを言われると五条も都合が悪い。大人の色気を帯びた彼女に動揺したことだとか、携帯の待ち受けをグラビアアイドルにしてミズキの嫉妬を引き出そうとしたことだとか、不都合な話が多いのである。結果、迷った末に彼の方も「内緒」と言ってしまうしかなかった。
軽い音を立てて五条の靴が床に降りると、ミズキは辺りを見回してそこが『いつ』であるのか探ろうとした。ただ、その答えもヒントも掴めないでいる間に五条が「ん、無事に戻ったみたいだね」と答えを口にしたのだった。
ミズキは床に降りようと重心を傾けたけれど、五条の腕はそれを許さず彼女をぐっと引き寄せた。五条の大きな手がミズキの頭を彼の首元に押し付けて、丸みを確かめるように髪を撫でた。
「おかえり、無事でよかった」
「ただいま。ありがとう、迎えにきてくれて」
五条の目で視れば、呪具の効果切れによってじきにミズキが戻ってくることは明らかだった。しかし五条にとってただ座して待つ選択肢は初めから存在しない。
彼は無事に取り戻した妻の柔らかな髪に頬を擦り寄せた。
「どうだった、久しぶりの若い悟くんは?」
「可愛かったですよ。グラビアアイドルを携帯の待ち受けにした時のことだとか、教えてくれました」
「えー黒歴史バラされちゃった感じ?嫉妬されたい大作戦が」
「ふふ、だからね、ちゃんと嫉妬したんですよっていうのと…いつも抱き締めてキスしてほしいって思ってるのをお伝えしておきました」
「いいね、しようか」
五条はミズキを横抱きにしたまま顔を上げさせ、学生の頃から変わらない、小さく艶々として愛らしい唇にキスをした。
ちゅくちゅくと水音が自販機の並ぶ部屋に響き、窓から差す光は傾いて赤みを増しつつある。
唇を離すとミズキは五条の青い目を覗き込んだ。
「悟さん、16歳の私に何か言ったでしょう」
「んー?懐かしくて可愛かったからつい、ね」
「泣きそうに照れちゃって可哀想に」
ミズキが揶揄いを含んで目を細めて見せると、五条は楽しげに笑った。
「17歳の悟くんは君のことが大好きで仕方なくて、いつでも抱き締めてキスしたがってるよって教えてあげただけだよ」
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ネタポストより『フローレスの水槽番外で、ご都合呪霊により五条さんと付き合う前と後のヒロインがタイムリープして入れ替わった甘話』
リクエスト内容の改変すみません!
あとネタ提供いただいたの2022.04.20でした。お待たせしすぎすみません!見てもらえるかなー!
この後高専組は五条さんの携帯(開いてベンチに置きっぱなし)にメールが来て待ち受けがバレます。
大人組は「キスの続きしよっか」と早退気分のところに伊地知さんから任務のお知らせが入ります。