わるいこ
※未成年の飲酒描写があります。
「恵、今晩ちょっと付き合えよ」
そう言って真希さんが持ち上げて見せたビニール袋は、瓶や缶で歪に膨らんでいた。透けて見えた商品名と6%という数字から、普通に考えて未成年だと法に触れるヤツだと分かる。興味本位で飲んだことはあるし人の飲酒を止めようとも思わないが。
「辞めときます」と返すと、真希さんがいつも通りにニッと悪い笑い方をした。
「ミズキも呼んでんぞ」
最初に言ってくださいよそれ。
日が落ちてから一応人目を避けつつ真希さんの部屋まで行けば、俺のノックに扉を開けたのは真希さんでなくミズキさんだった。ミズキさんは俺を見て意外そうに目を丸くした。
「伏黒くんだ」
「…真希さんに招集されました」
「そっか、入る?真希ちゃんの部屋だけど」
「…ッス。これ持ち寄りです」
ミズキさんは袋を受け取って俺を招き入れると、廊下に顔だけ出して左右確認をした。が、その確認も俺の注意も無駄にする声量で、真希さんと狗巻先輩とパンダ先輩が談笑しながら堂々と廊下を歩いてきたのだった。
「真希ちゃんおかえりー」
「おー、留守番悪かったな」
「いえいえ、紙コップとかお皿勝手に出しちゃったけど良かった?」
「助かる」
「狗巻くんとパンダくんも久しぶり」
とりあえず、俺が人目を忍ぶ必要は一切無かったらしい。
そういえば釘崎や真希さんも頻繁に男子棟を闊歩していることを思い出した。何の為に棟を分けてあるのかは考えるのを辞めた。
床で車座になって酒やツマミを開けると、手をつけるのもそこそこにミズキさんはパンダ先輩と女子高生のノリで写真を撮り始め、狗巻先輩もそれに加わった。ちなみに一番女子高生ノリなのはパンダ先輩だ。
そのせいで俺は何故か真希さんとサシ飲みの状態に陥って、真希さんはコップの中身を一息に煽ってから、どこか含みのある視線を俺に向けた。
「ま、撮影大会はいずれ落ち着くから我慢してろ」
「…何も言ってませんよ」
「『ミズキさんが良かった』って顔に書いてあるぜ。随分仲良くなったみたいじゃねーか」
否定出来ずに、せめてもの抵抗で眉間に皺を寄せた。
真希さんは辛口の酒をつるつると胃に流し込んでいる。コップの中身は水道水かと思うほどだ。
減り具合からして明らかに今日調達したのではない一升瓶が、床から堂々と聳えている。その足元には対照的に果物の色をしたパッケージの小ぶりな瓶や缶。
「その辺の甘いのは飲むなよ、ミズキのだから」
「飲みませんよ」
桃だとかカシスとか、真希さんの酒豪と同じくミズキさんの酒の趣味も予想を裏切らない。
撮影会の方を見ると、狗巻先輩が撮った写真をアプリで加工しているようで、ミズキさんとパンダ先輩は画面を覗き込んで楽しそうにしている。女子3人って雰囲気だ。
突然真希さんがコップを口から離してパンダ先輩を呼び、『察しろよバカ』と言わんばかりの表情で顎をしゃくった。その言外コミュニケーションを受け取ったパンダ先輩は天啓に撃たれたように口をかっ開いた。
「ミズキ、ミズキっ!」
「なぁにパンダくん」
「写真はこれぐらいにして、久しぶりなんだしもっと飲めばいいだろ?ミズキの好きな酒がほら、伏黒恵の近くに密集してる!」
「突然のフルネーム」
「すじこ!」
「気にするな的なこと?」
「しゃけしゃけ!」
「ふぅん」
逆に何故それで納得したんだと思う会話だったが、とにかくミズキさんは立ち上がって俺の傍へ来て、今度は真希さんが他の先輩達のところへ行って入れ替わるような格好になった。
パンダ先輩と狗巻先輩の期待に満ちた目がこっちを向いてるのが居心地悪いが、努めて意識を向けないことに決めた。
少し酒が入ってひとしきりはしゃいで酔いの入り口にいるらしいミズキさんが、普段よりも緩い笑顔で俺の前に腰を下ろした。
今更ながら、普段の作業着でなく出掛ける時の服装でもない、部屋着のミズキさんだ。丈の短いボトムスから覗く白い太腿に目が行った自分を脳内でぶん殴った。
「うふふー、伏黒くん飲んでる?」
「まぁ少し…ミズキさん何飲みますか」
「あっカシスある!ソーダで割るの」
「はいはい」
「ありがと、伏黒くんはバーテンダーとか似合っちゃうねぇ」
「見た目より酔ってますか」
新しいコップにミズキさん指定のものを注いで差し出すと、渡す時に触れた指が熱かった。
ミズキさんは受け取ったコップに口をつけて、ちびちびと飲み始めた。子どもみたいな仕草がむしろ、目を逸らしたいような見逃さずに凝視したいような、グラグラ揺れる阿呆みたいな感情を掻き立てた。
「何だかちょっと意外かも」
ミズキさんがくふふ、と俺の初めて見る笑い方をした。「何がですか」と返すとミズキさんは俺とコップを交互に見た。
「伏黒くんが思ったより悪い子だってこと」
「…優等生名乗った覚えもないですよ」
「そうね、そうね」
「俺からすりゃミズキさんの方が意外です。未成年の飲酒を咎めるタイプの人かと」
「うぅん」
「そうねぇ」と言いながらミズキさんは手元の酒をゆらゆらと揺らした。
「むかし、同級生がねぇ、お酒飲まないうちにさよならになっちゃったの。私よりだんぜん強かったのになぁ…だから楽しいことは、子どもだからって制限したくないの」
「………」
「私だって悟くんが来てくれなかったら中2の冬で死んでた」
心臓が肋骨の内側で、周りを押し退けるみたいに大きく波打つ感覚がした。『ミズキは身寄りがないからね』という五条先生の声か頭の中で反響した。ミズキさんの過去、五条先生との関係、後見人に至る経緯、…あの人がミズキさんに似た女性ばかり選ぶ理由。
考えない決心をして間もないが、どうやら考えても無駄なこととどうしても知りたいことは、根が絡まったように繋がっているらしかった。
「ごめんね、暗い話おしまいっ!伏黒くん次なに飲む?」
ミズキさんがことさら明るく笑った。俺がふと手元を見ると、コップを少し傾ければ底が見えるほどになっていた。少ない残りを一息に煽った。
「…じゃあ、ミズキさんと同じの」
「カシスすき?美味しいよね」
そんなわけねぇだろ、初めて飲みますよ。
ミズキさんはにこにこと機嫌良さそうに、俺の差し出したコップに、自分が飲んでるのと同じ酒を注いでくれた。
味は良く覚えていない。何せ、表情や仕草を目で追うのと声を漏れなく耳で拾うのに忙しかったから。後はまぁ、白い太腿を見ないようにすることだとか。
そこそこ酒の進んだ頃合いでミズキさんにせがませて玉犬を出すと、脚を畳んで行儀良く伏せているのをミズキさんが「いいこいいこ」とまた撫で回して抱き着いて、その様に心が癒された。先輩3人の下世話な視線を睨み返したが、途切れさせるには至らなかった。
「恵が愛玩用に式神出してやるなんてな」「こんぶっ」「ミズキさんボクも撫でてって言っちゃえば?」というこの世に必要ない言葉がミズキさんの耳に届かなかったのが、心底有り難かった。
しばらくすると時間の都合と酒やツマミの減り方から、その場をお開きにする雰囲気は誰からともなく自然と持ち上がった。
適当に片付けていると真希さんが俺の手からゴミ袋を取った。
「片付けはいいから、恵お前ミズキを職員寮まで送ってやれ」
ピスタチオの殻をちまちま拾っていたミズキさんが「えっ」と声を上げた。
「真希ちゃんいいよ、ひとりで帰れるよ?」
「いーから恵行け。持って帰ってもいいぜ」
残り少なくなった一升瓶を簡易キッチンの棚に仕舞いながら、真希さんは『持って帰っても』を強調して意地悪く笑った。
「うん?お酒残ってるのある?」と足元を見回すミズキさんと年齢が逆の方がしっくりくる。
先輩3人の生温かい見送りは心底要らなかったが、好機を与えられたことには違いなかった。
考えてみれば酒に誘われた時点から、先輩3人の目論見はここまでワンセットだったわけだ。
[ 8/22 ]
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