ベルベットの小箱

「ん」との一文字と共に差し出されたベルベット張りの小箱を、ミズキは戸惑いと共に凝視した。ティーンエイジャーの身でも一応それが何かは知っているけれども、もしかして漫画やドラマで男性が夜景とかシャンパンとかと一緒にパカッとやる、その『パカッ』なのでは?と思うと、何故それが今ここで登場するのか解せなかった。
分からないまま半ば押し付けられるように受け取ったその小箱を恐る恐るミズキが開けてみると、確実に庶民は一生お目にかかることのない大きさの宝石が輝く指輪が堂々鎮座していた。

「…ご、…悟さん」
「なに」
「一応伺いますが、こちらは…?」
「婚約指輪に決まってんだろ」

いやいやいや『決まってんだろ』じゃないですよ、とミズキは頭痛を覚えた。学生から学生に渡される代物では絶対にない。

「…もとの場所に返してきなさい…!」

傍から見ていた夏油と硝子がまた爆笑した。





「あのね悟、確かに『贈り物は喜ばれる』って教えたのは私だけどね、適切な時期と価格帯っていうのがあるんだよ」
「ハァ?」

ひとしきり笑い終えた夏油がどうにか呼吸を整え、五条に諭してやった。
しかし当の五条は不満げである。

「出会い頭にアラブ人から油田あげるって言われたら戸惑うだろ」
「あっまさに今その感覚です、さすが夏油さん」
「知るかよ俺石油王じゃねーし」
「似たようなもんですよ」

夏油は呆れ顔、ミズキは困り顔、五条は不満顔、その3人を眺める硝子は傍観に徹する構えでちらと窓の外を見て、煙草欲しさに口が疼くような気分がした。
非常に今更ながら場所は女子寮のミズキの部屋である。無駄にデカい野郎が2人もいると部屋が狭いな、と硝子は思った。

「じゃあお前何やれば喜ぶんだよ」

ミズキのベッドに無遠慮に凭れた五条は、苛々と指でローテーブルを叩きながら、彼女を直視することは出来なくて無意味にカーテンの模様を目で追っていた。
回答を求められたミズキは、夏油から『何か答えてあげて』と言わんばかりの顔で促され、ウンウン唸った末に「じゃあ、チロルチョコ」と言った。
五条はまた「ハァ?」と不機嫌な声を出した。

「なんでソレ」
「それなら私にも返せるから」
「…もういい、クソ」

美しい唇をへの字にひん曲げて五条は立ち上がり、床に八つ当たりでもするように踵を踏み鳴らして部屋から出て行ってしまった。
残された3人の中で、夏油が困ったように笑った。

「ごめんね、私の伝え方が曖昧だったみたいだ」
「曖昧だったからって15歳相手にこんなハイブランド買ってくるのはぶっ飛んでると思います」
「それは否定しない。…まぁでも、悟も分からないなりに君を喜ばせようとしたのは分かってあげてほしいかな」

ミズキはローテーブルに燦然と輝く指輪を見、五条の去ったドアを見、ひとつ溜息をついた。
彼が何を思って偽の婚約者にこんな高価な指輪を渡したのかは計りかねるけれども、夏油の言うように喜ばせようと考えてのことだったのであれば、自分はその好意を突き返したことになる。少し心が痛んだ。
まぁだからと言って即座に『大きなダイヤ!嬉しいっ』と言える図太さをミズキは持ち合わせていなかったけれど。
ともかく、ミズキは立ち上がった。

「夏油さん、硝子さん、ごめんなさい。ちょっと出てきます」
「そうだね、私たちもお暇するよ」

お高い指輪は貴重品入れに一旦仕舞って鍵を掛け、3人で部屋を出たところで、沈黙していた硝子がニッと笑ってミズキの頭を撫でた。

「あのバカ見付けたら、ミズキ言っといてよ」
「はい?」
「鑑定書も添えて寄越せって。あと今度いい質屋紹介する」

冗談と受け取ったようでミズキはからからと笑って走り去ったけれど、彼女を見送った夏油は「さすがに気の毒じゃないかい」と言った。
硝子は『どこが』とでも言いたげに肩を竦めた。





五条は歩きながら舌を打ったけれども、それは相手に対してではなく自らに向けてのことだった。去る前の「もういい、クソ」からして、クソは自分だという自覚があった。
『察してちゃんかよキッショ』と第三者視点から自分を殴りたいと思ったのは生まれて初めてのことだった。
思い返せば、女性から物を贈られたことは数知れずあるし、ねだられて『まぁいいか』程度にカードで支払いをしてやったことも数知れずあるけれども、自分で選んで女性に贈り物をしたのは生まれて初めてである。確かに初手としてはちょっと強すぎた気がしなくもない。

背後から自分を呼ぶ声に思わず足を止めたけれど、振り向くことが出来ずに間を持て余しているとミズキが追い付いて隣に並んだ。

「五条さん、ごめんなさい」
「…別に。要らなきゃ売れよ」

つい今し方自分の面倒臭い発言を悔いていたばかりだというのに、開けば勝手に憎まれ口が出る自分の口を五条は呪った。
「売りませんよ」とミズキは困ったように笑った。

「気軽に受け取れる金額じゃないので…預かっててもいいですか?」
「…好きにすれば」
「そうします。…あの、五条さん」
「ん」
「嘘の婚約だけど、意識的にドライでいる必要はないですよね」

五条がサングラスの内側で目を丸くしているのはミズキから見えない。彼はせめて口元でなるべく気のない表情を作ってミズキを見下ろした。
彼女が手のひらを差し出すと、五条は咄嗟にその意図が汲めないままその白く小さな手を眺めていた。「お友達になってくださいますか」とミズキが言ってやっとそれが握手を求める手だと気付いた。

「握手でオトモダチって、餓鬼すぎんだろ…」
「餓鬼でいたくて共犯なんでしょう」

ミズキが清純な美少女らしからぬ悪巧みの表情でニッと笑うと、五条はへそを曲げているのも保てなくなって、似たような顔でニッと笑って彼女の手を握った。

「そんじゃ改めてオトモダチとして?ヨロシク」
「その言い方だとこれも嘘みたいですねぇ」
「あ?トモダチなんだろ握手したんだから」
「悪そうな顔」

五条がわざとらしく手をにぎにぎとすると、ミズキは声を上げて笑った。
ひとまず出会い頭のアラブ人を脱し、正式なお友達に昇格したことは、五条にとって今日の収穫と見て間違いない。
夏油の言った『卒業までに好きになってもらえば』は尤もである。五条は今まで求めずとも異性から寄って来る経験ばかりで自覚する機会がなかったけれど、手に入らないと燃えるタイプだった。




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