Prince of betrayer | ナノ


▼ 1

 美しい人だった。
もう記憶も朧気になってきてはいるが、これだけは言えた。
真白い顔にこの国では珍しい深く暗い金色の髪、そしてその目は紫水晶のように美しい。
名をフィンリアと言った。
「私たちの呪いが貴方に降り懸からぬよう。それだけが心配です」
 日に日に弱りゆく母は譫言のようにそう言っては、私の頭を撫でていた。
母とは似ても似つかぬ濡れ羽色の髪を力無く撫でていた。
心労と、心労からの病でやせ細ったその頼りない腕から、私は目を逸らしていた。
健常だった母を脳裏に描いて目を逸らし続けたのだ。
 そして、母は死んだ。
アーネイは言った。
「忌まわしき血を住まわせる墓地はない」
、と。
その目は嫌悪に満ち、濁っていた。
忌まわしいのはお前の方だ、喉まででかけた言葉をぐっと飲み込んだ。
 母がトワルの離れへ眠らされた後、私とルージは首都へ連れていかれた。
今に比べれば、ずっと幸福であった頃であった。

「テイラー、行くんだよ」
 回想から引き戻す声。
王座のアーネイが己を見下ろしていた。
「君に選択肢はない」
 柔らかな物言いに反した凍てついた声が、己を刺し貫く。
逃げる術が無いことくらい、分かっていた。
己が逃げれば誰が、この任を背負わねばならなくなるか……。
「行って参ります」
 心はまだ凍りきらないまま、私は宵闇に身を投じた。

 今宵も月がない。
忌まわしきこの任を命ぜらるる日は、酷く静かであった。
身に纏う衣は、夜の帳。腰の刀だけが月の如く青白く光っていた。
(全てはルージを守るために)
 何度も何度も言い聞かせて、私は標的が住まう屋敷へ忍び込んだ。
ーーそう、私が背負わされた任は暗殺。
王が命じるようにただ淡々と、始末していく。
それが、私に与えられたただ唯一の道であった。
幼い弟を生かすための。
 今更、失敗は恐れない。
標的に何の思い入れも無いのだから、躊躇いなど無かった。
手始めに、何も知らずに安らかに眠る家主の喉を掻き斬って、その後はその家族を……。
躊躇いはなかった、躊躇ってはいけなかった。
赤子ですら生かしてはならない。
血に染まることにまでは慣れては居なかった。

 任を終えれば、何の変哲もない朝が来る。騎士見習いとしての、日常が戻ってくる。
朝の日差しに起こされて、身を起こせば、同室の住人クオレ・クレイシャがにこやかに挨拶をしてきた。
「やあ、テイラー。今日も酷い顔ですね」
「お前は今日も楽しそうだな、クオレ」
 皮肉を込めても、彼には効かず、
「そりゃあ、人の数だけゴシップは尽きませんから」
と、笑顔で返される。
「悪趣味なやつだ」
 思わず笑みがこぼれた。
「だが、確かにゴシップは退屈しない」
「でしょう?」
 ケラケラと笑うクオレ。
その笑い声に隠れながらも、扉の向こうからの鐘の音が耳に届いた。
「時間か」
 寝台からおりて、壁に掛けていた制服を手に取る。
真白いそれに腕を通せば、あの衣も血濡れた感触も、忘れることが出来る気がした。
「さあ、今日も頑張りましょう」
「盗み聞きをか?」
 粗末な剣を受け取りながら、皮肉る。
「人聞きが悪いですね」
 元から開ききっていない目をさらに細めて、口だけ笑んで言った。
「どっちもですよ」
 鼻歌が聞こえてきそうなほどの軽やかな足取りで、彼は先に部屋から出ていった。
「本当に悪趣味な奴だな」
 扉の向こうに消えた背に呟く。
そして自嘲的に笑った。
「ま、知っていたがな」
 一人ごちて、その背を追った。

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