短編 | ナノ

黒く塗りつぶす前に、早く

『貴方はどこか特別なように感じます。』

ふと口を突いて出た言葉を、次の瞬間ガウェインは激しく後悔した。誤解を招く発言であるのはもちろんだし、魔術などには縁遠い―もしかしたら、このような事態にならなければ一生触れることもなかったであろう、つまり元一般人のマスターに向ける言葉ではなかったからだ。なぜそんな言葉を口走ったのかも分からない。呆気にとられたような顔をしたマスターに、謝罪するためにガウェインが口を開きかけたとき、何を勘違いしたのかこのマスターは、『ああ!』と声を上げて頷いた。

『妹、だからじゃないかな。』

『は…?』

『私年上の兄がいるんだよ。ガウェインも妹さんがいるんでしょ?だからじゃないかな?』

特別に感じる、という言葉を、なぜか親近感を覚える、という意味で取ったらしいマスターは、そうだそうに違いないと頷く。一方のガウェインも、マスターの言葉に成程、と頷いていた。確かにマスターは、容姿も性格も異なるが、どこか自分の妹と似ている。


そう、だからこれは、妹を大切に思う気持ちなのだ。


近頃マスターは、つい先日召喚したニコラ・テスラとよく話している。聞いた話によると、マスターは理工系の学徒であったらしい。そんな彼女にとって交流の生みの親であるニコラ・テスラはまさに憧れの人なのだろう。―憧れの。雷電が神の力であった頃を生きたガウェインには、到底理解できない話をあの2人はしていた。羨ましい、訳ではない。人には分相応というものがある。マスターの話し相手に相応しいのがあの男であっただけの話だ。

「ガウェイン卿?」

「ああ、ベティヴィエール卿。どうかなされたか。」

「いえ…気難しいお顔をされていたので。」

―そんなに顔をしかめていたか、とガウェインは額に手を当てる。そんなガウェインの様子を伺って、気になりますか、とベティヴィエールが声を掛けた。

「気になる、とは?」

「あのお方…ニコラ・テスラ博士のことです。」

よくマスターと一緒にいらっしゃいますよね、と続いた言葉に、ガウェインは眉間に皺を寄せた。そんなこと、分かっているのだ。分かっていても、許せない。

―許せない?何を?



「ははーん、そう来たか。」

理解しがたい自分の感情に動揺したガウェインは、万能の天才の手を借りようとダ・ヴィンチちゃんの工房を訪れていた。しかし仔細を話せば、返ってきたのはこの言葉。当の本人はニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべ、へぇだのふぅんだの声を上げている。

「うんうん…そういえばガウェイン卿、貴方は確か年下の女性が好きなんだっけ?」

「いえ、必ずしも年下という訳では…これは何の話です?」

「カウンセリングだよ。」

大切なことさ、と目の前の美女は語るが、当人の顔が実に楽しそうで、弄ばれているように感じる。言葉と表情が一致していない。

「しかし貴方がねえ…ふんふん。」

「女史よ、ご説明いただきたいのですが。」

何かを掴んだらしいダ・ヴィンチちゃんに丁寧な口調で、しかし有無を言わせぬ重圧を含ませて尋ねる。このままではガウェインとマスターの間に亀裂が走りかねない。

「では一応確認をしておこう。貴方はメルセデスちゃんを妹のように思っているんだね?」

「はい。私の妹と雰囲気が似通っているので。」

「ふむ。それで、近頃テスラ博士と一緒にいるのを見るともやもやすると?」

「もやもや…そうですね。」

正直に答えると、相槌かはたまた独り言か、だよねぇとダ・ヴィンチちゃんが零す。

「しかしこれは、貴方には少し苦しいことかもね。」

「苦しい…?」

「貴方には、ね。」

まあ私には分からないけれどね、と告げて、ダ・ヴィンチちゃんは姿勢を正す。釣られて、ガウェインも居直った。

「では私の所見をお聞かせしよう。ガウェイン卿、貴方はメルセデスちゃんに恋をしているんだ。」

その言葉に、ガウェインは硬直し、ついで生前の記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。恋。思い出すのは叫び声が響く白い部屋、飛び込んできた青紫の鎧―地に倒れ伏した弟妹が流す命の赤。

「貴方はテスラ博士に嫉妬しているのさ。」

「そんなことはない!」

恋、ああ、なんと甘美でおぞましい言葉だろうか。恋という病によって円卓は瓦解し、ブリテンは滅び去った。たった一度の心の迷いで!

「落ち着きたまえガウェイン卿。貴方が思い出していることと、貴方の心は別物だ。」

「何が違うというのです!?あの男と何が、」

「不義ではないからさ。」

「だからと言って主君に恋慕など、そんなことはあってはならない!」

吠えるガウェインに、でも否定はしないんだね、とダ・ヴィンチちゃんは告げた。その言葉に、ガウェインは自らの口を覆う。そうだ、何故自分は先程から否定ではなく、拒否をしているのか。薄暗い狂気が、背後に忍び寄るような気がした。

「どうして?夫婦とは互いを敬い合い、助け合うものだ。主従関係に適用しても問題はないんじゃないかな?」

「あまりにも不敬です!主君にそのような、」

「じゃあ君はメルセデスとどうしたいのかな?」

「それは…」

ダ・ヴィンチちゃんの問にガウェインは口ごもる。思い描くのは常に駆け続けるうら若い少女。嫌われたくはない、離れたくはない。終わる世界で最悪の出会いを果たした少女と、まともな契約を交わせたのだ。恋慕の情なんていらない。ただ傍で、彼女の剣になれたならそれで―。

「私は、メルセデスのサーヴァントでいられるのならばそれで良い。それだけで良い。」

「本当に?」

「…ええ。」

「じゃあ、この話はこれで終わりだね。」

ほら帰った帰った、とダ・ヴィンチちゃんに追い出される。無機質な廊下に出たところで、突きつけられた真実がぶり返してきて目眩がした。恋。どうして今更、なぜ彼女を。

「あれ、ガウェイン?」

―どうして、こうも。

「ここにいるの珍しいね。あ、ダ・ヴィンチちゃんいた?」

こちらの気持ちも知らず、ガウェインよりも幾分目線の低い少女が歩いてくる。輝く赤橙色の瞳が太陽のようだ、と思った。

「女史ならば中に。どうされたのです、マスター?」

「新しい礼装のテストで。まだまだ何があるかわからないからね。」

「ご立派な心がけです、マスター。」

「ふふん、そう?」

じゃ、行ってくるね、とメルセデスが手を上げて挨拶をする。笑顔が眩しくて、胸が締め付けられる。だが、彼女を手に入れるのは私ではないのだ。

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