短編 | ナノ

H.M.

その街は、丁寧な手仕事が売りの服飾の街だった。復路の途中に立ち寄った際、何の宛もなく観光と探索ついでに、彼はきらびやかに彩られた石畳を歩いていた。航路にあるというのに、この島は食料品や日用雑貨よりも圧倒的に服飾関係の店が多い。まあ、それを目当てに来る船も多いというから、それはそれで良いのだろう。

やはり何か売りがあるというのは大きいな、と、彼は自分が預かっている国に思いを馳せつつ人々の間をすり抜ける。明らかに周囲より頭2つ3つ分ほど飛び出した高身長で、その他大勢の行き交う人たちの頭上からちょっとした買い物気分を楽しんでいた。

「ん?」

そんな中、ふと目が止まった店が合った。お役所仕事で磨かれた通り抜けスキルを存分に行使し、人並みをかき分けその店に歩み寄る。

ショーウィンドウに飾られているのは黒いツイード地のハイヒール。

女性物を扱う靴屋だった。

「…ふーん?」

店の中に入るのは流石に憚られるのだが、気になって入り口近くに並べてある幾つかの商品を見比べる。さて、母親の足はこれくらいの大きさだったような。こっちがいいか、それともこっち―と、背の高い男が悩んでいるのを見かねた店員に乗せられ、ついついその靴を購入してしまったのが、三日前の話。




「―で?」

「ええ、まあ、そういうことで買ってきたので、よろしければお使いください。」

サイズはあっていると思うんですけど、とわざわざ蓋を開いて中身を綺麗に見せてから、メルセデスは恭しくそれを母親に差し出した。

赤いエナメルのハイヒール。
なるほど、見事な造りだった。

「赤いわね。」

中身を取り出してドフラミンゴは率直な感想を零す。夕日のような、あるいは彼女たちの虹彩のように、真っ赤だった。

「赤がお母様にふさわしいと思いましたので。」

「どうして?」

赤い生地を指で撫でながらドフラミンゴは息子に尋ねた。彼女は常日頃あの、自己主張の激しいピンクの羽コートを着ているというのに、この息子はあえて赤を選んだという。

尋ねられたメルセデスは、彼にしては珍しく答えかねているようだった。

「何故でしょうね?ただ、他の色よりも似合うだろうと思いました。」

白も黒もピンクもあったそうだが、赤がいいと直感的に決めたらしい。何かと深く考える―考え過ぎと言えなくもない―質のメルセデスにしては、本当に珍しい。

「そう。」

手の上でくるくると眺め回す。自分の服装は地味なくせに、買ってきたものは、少なくともドフラミンゴが納得できるぐらいには派手だった。
試しに履いてみるか、と揃えて足元に置いたところで、ふと視界に息子の姿が映る。自分が買ってきたものが母親の気に入ったのが嬉しいのか、微笑を口元に浮かべて、母親が履くのを待ち遠しそうに眺めていた。

―そういう手もありか。

「メルセデス、ちょっとこっちに来て。」

そう、息子を呼び寄せる。はい、と一つ返事で近寄ってきた息子に、高慢に足をつと差し出す。その動きだけで母親が何を求めているのか把握したようで、メルセデスは恭しくその足首を取った。

「履かせなさい。」

「仰せのままに、お姫様。」

時折こういったわがままを言う母親に付き合わされているからもう手慣れたもので、メルセデスはポインテッドトゥパンプスを丁寧に足から離す。そして真っ赤なハイヒールを、爪先に注意しつつ被せる動作を二回繰り返せば、ドフラミンゴの足は華やかな赤色に彩られた。

「ふぅん、結構良いじゃない。」

高い音を立てながら数歩歩いてみて、ドフラミンゴはそう感想を漏らした。ヒールは高めだが、これぐらいの高さのものは履きなれているので問題ない。

「よくお似合いですよ。」

そんな母親の姿を見て、メルセデスは満足そうに頷いた。最も、彼は母親のなすことすることはおおよそすべて、最大の賛辞を持って迎えるのであまり信用ならないのだが、今回は心の底からそう思っているようだ。

「でも、ちょっとヒールが高すぎましたか?」

人体の構造に反するようなその角度に、綺麗ですけど痛そう、とメルセデスは表情を曇らせる。考えれば、彼の母親はいっそ高すぎるほどに高身長であるので、わざわざヒールで背を高く見せる必要はないのだ。

「大丈夫よ、これくらい。」

かつかつと音を響かせて部屋を一周してみせると、ヒールなどはいたこともないメルセデスはすごい、と目を瞬かせた。

「それに、この高さならメルセデスと目線が近いし。」

いつの間にか母親の身長を越していた息子の前に立つと、確かに、とメルセデスは頷く。

「でも、痛くないですか?」

「痛くても耐えるものよ、こういうのは。」

そうやって女は美しく生きているの、と教えると、メルセデスは感心したような溜息をついた。

「それにいざとなればメルセデスが私の足になってくれるでしょう?」

「ええ、もちろん。」

当然です、とメルセデスは胸を張る。そんな頼りがいのある息子の頬に手を伸ばし、よろしくね、と囁いた。

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