Aliis si licet, tibi non licet.
残る一機、レイテルパラッシュの沈黙を確認し、セレン・ヘイズは管制室で安堵の溜息を吐いた。
『よくやった、メルセデス。』
彼女が誇るリンクスは、少し沈んだ声で、ありがと、と短く返す。仕方ない、敵対したとはいえ、数ヶ月前には僚機として共闘した相手を手にかけたのだ。少年の心中はいかほどか。
『戻れ。これから忙しくなる。』
ORCAが掲げたクローズプランは、クラニアム占拠によってようやく第一段階終了である。宇宙に人類の道を開くというその計画は、ようやく軌道に乗りだしたに過ぎない。これからやるべきことは山ほどある。
少年もそれを理解しているのだろう。分かった、と返事をして、クラニアム中枢から出ようと機体を回転させる。
その瞬間、メルセデスの機体に搭載されたレーダーが、ネクストの到来を告げた。
「…え?」
『何?ネクストだと?』
ここに来て不可解な襲撃。企業の差し金か?いや、そんなはずはない。既にORCAと企業連の間で話は付いており、今日クラニアム防衛に出たウィン・D・ファンションとロイ・ザーランドが例外的に独断で行動していたぐらいだ。まさかここで敵が現れるはずが―
呆然とレーダーを眺めていた二人のうち、現場にいるメルセデスはその機影を確認し、次いで驚愕のあまり声にならない声を零した。
「…ぁ?」
「終わったか。」
―どういう、こと?
「マクス……?」
ー死んだのでは、なかったのか?
聞き慣れた声に、メルセデスは条件反射的にその名を呟く。マクシミリアン・テルミドール。馬鹿な、とセレンは声を上げる。マクシミリアン・テルミドールは死んだはずだ。数日前、ここ、アルテリア・クラニアムで死んだと、間違いなく死んだと、戦闘詳報にあった。
「な、え?……マクス、なんだ、生きてるじゃん。」
メルセデスは嬉しそうにそう零した。そう、彼にとっては嬉しい事実だった。例えそれが、違和感だらけの事実でも。
だが、それを否定したのは、他ならぬその男だった。
異様に後ろに配置された肩関節から伸びる腕が、その先に握られたライフルを持ち上げ、銃口をメルセデスが乗る機体に向ける。
「マクシミリアン・テルミドールは死んだ。ここにいるのはランク1、オッツダルヴァだ。」
え、とメルセデスが呆ける。セレンも同様に呆気にとられ、次いで彼が何を言ったのかを理解して激昂した。
『おのれ、裏切ったかテルミドール!元より貴様らの始めたことだろうが!』
機体内に響く音声は、通信を繋いだオッツダルヴァにも届いたらしい。ふん、と傲慢に鼻で笑い、いつものように―オッツダルヴァの、冷酷な声音告げる。
「動かないのか、メルセデス。いい的だぞ?」
引き金を引けば、はっとしたようにメルセデスがクイックブーストで避ける。それでもプライマルアーマーを掠った弾丸に、信じられないとでも言うようにメルセデスは口を開いた。
「な、なに…?おれ、何か悪いことした?」
恐怖か、驚愕か、はたまた怒りか。微かに震える声は何を表すのか。
『応戦しろ、メルセデス!』
避けるばかりで構えすらしないメルセデスに、セレンは怒鳴った。このままでは嬲り殺しにされてしまう。
「でも、セレン、」
『死にたいのか!?アイツはもう、お前の知る男ではない!!』
ステイシスのPMミサイルがメルセデスを追う。咄嗟に、メルセデスは全弾をライフルで撃ち抜いた。
「なんなの、これって…!」
『撃て!!』
そうしなければ死ぬ、冗談などではない。メルセデスは信じられない現実に、その銃口を向けた。
彼は臆病だった。
それでも、彼はなさねばならない。
彼以外に、最早誰もいないのだから。
彼はこの革命を、なさねばならない。
その重責に、彼は怯え、竦み、恐怖した。
人類の未来が、彼一人にかかっているのだ。
だから彼は理想に溺れた。溺れなければ、やっていられなかった。
全てを順調に進め、彼はその務めを果たそうとしていた
しかしどうしても、避けられない未来があった。
クレイドルを下ろせば、この地上は人で溢れ返る。
この、汚染された地上に!
一体どれだけの人が死ぬだろうか?―いや、一体どれだけの人が生き残れるだろうか?
企業が宇宙へ至る手段作り上げるまでに、何人が生き残れるだろうか?
大勢が死ぬ。それは避けられない。
もし避けようとするならば、それはクローズプランではなし得ない。クレイドル体制を認め続けることは、いずれ人類が壊死する未来を認めるようなものだ。
避けられない。避けてはならない。
たとえどれほどの、人の屍で山を築こうと。
その先に未来を見出だせるのだから。
だがそれでは、人々はORCAを、クローズプランを憎むだろう。その先に希望があると分かっていても、目の前の絶望のほうが勝る。
だからせめて、その怒りを、憎しみを、全て引き受けてやりたかった。
そんなことをすれば、後世の人は彼を、狂気の革命家として評するだろう。彼の名は悪名高く人類の歴史に刻まれ、千年先にも語り継がれるだろう。
それで、よかった。
歴史に彼の悪名が残るほど、人類が存続してくれるなら。
そして、彼を打ち倒したものとして、少年の名が輝かしく歴史に刻み込まれるなら。
それで、彼は満足だった。
「嫌だ…!マクス、マクス…!!」
『やめるんだ!死ぬ気か!?』
まだ生きている通信機器から、メルセデスの泣き叫ぶ声が届く。機体から出ようとしているのか、それを制止するオペレーターの大声までもが聞こえた。
「嫌だ…こんなの、こんなの、おれは…!!」
『やめろと言っている!!…ええい!』
一際大きな音が響いて、メルセデスの機体の駆動音が掻き消える。オペレーター側から無理矢理停止させられたらしい。
―ああ、それでいい。コジマ粒子が撒き散らされた死地に、生身で出るものではない。
これでいい。これで、オッツダルヴァは悪者で、メルセデスは英雄だ。彼の最期には相応しい幕引きだ。
『アンサング…とはよく言ったものだな。』
突如として、オッツダルヴァに回線が繋げられる。既に返事をするほどの力もなく、虫の息で死を待つばかりのオッツダルヴァに、セレン・ヘイズは語りかける。
『讃えられない。貴様は永遠に讃えられない。貴様が何を思い、何を守り、何を夢見たのか。誰も知り得ない。貴様が殺した数が教科書に太字で記載され、貴様を倒した者としてメルセデスは崇められる。これで、満足か?』
満足だ、と彼の朧気な思考は弾き出した。今の彼を見るものがあれば、死に顔にしては安らかな笑顔に驚いただろう。
『ならば、そのまま死ぬがいい。讃えられない英雄。』
メルセデスの泣き声は、もう彼には届かない。勝者が泣き、敗者が笑う。千年の呪いを讃えながら。