短編 | ナノ

雪の朝、二の字二の字の

紅炎の正室は、ひきこもりである。

それも重度の。

もっとも、彼女のみならず、高貴な女性というのはめったに姿を見せないものだが、それでも多少部屋と部屋を行き来したりぐらいはするものである。だが紅炎の正室はそんなこともしない。もともと人付き合いが苦手な上に、本人が望んでもいないのに紅炎の正妻などというたいへんな身分になってしまったものだから、もっぱら自室に篭り、せいぜい寝台と長椅子を行き来する程度の、運動不足も甚だしい生活を送っている。

さて、そんな彼女の手を引いて、紅炎は庭を散策していた。昨晩から朝方にかけて降った初雪は、葉を落とした木々の姿を一変させていた。
新雪を踏む足音が二人分だけ響く世界。紅炎が時折気まぐれに足を止めても、メルセデスは何も言わない。ただ静かに待っている。少々控えめすぎる性格だが、やたらでしゃばってこられるよりは格段に好みである。それに母とはまた違った系統の美しい姿、加えて頭も良いと来れば、紅炎が惚れない理由はなかった。いきなり正室を娶ることになったときは驚愕したものだが、こんなに素晴らしい女性ならば、むしろもっと早く出会いたかったとまでも思う。

「寒くはないか?」

足を止め、振り返って尋ねる。紅炎よりも頭一つ分ほど身長の低いメルセデスは、首を振っていいえを示す。握っている手もまだ温かいし、部屋を出るときになるべく厚着をさせたから、もう少し歩いても大丈夫だろうか。第一王子にして西征総督である紅炎は、冬といえど多忙であった。だからこそ、めったに会えない妻と、できるだけ長く過ごしたい。

「もう少し歩いても?」

「はい、大丈夫です。」

ならば、と歩みを再開する。早朝の冷え切った庭には彼ら以外の誰の姿もなく、庭に面した回廊でさえ人の姿は見当たらなかった。こんな寒い朝に好き好んで外に出るのは彼らぐらいしかいない、ということだ。
吐く息が白い。屋根に積もった雪が、昇り始めた朝日に照らされてきらきらと輝いていた。

「綺麗だな。」

「はい。」

二人して、並んで冬の朝日を眺める。夏の強い陽射しこそないが、穏やかに光を降り注ぐその様もなかなか良いものだ。なかなか見る機会のない景色に目を細め、ふと目線を下げて彼の妻を覗けば、何やら瞼を下ろして、太陽に手を合わせて願い事をしていた。

「…何を?」

目を開けたメルセデスに尋ねると、彼女は手のひらを合わせた繊手を口元まで持ち上げて、小さく微笑む。

「紅炎様が健康であられるように。」

遅くまで仕事をなさっているようなので、と彼女は付け加える。―全く部屋から出ないというのに、風にでも聞いたのか、夫のことをよく知っている。
敵わないな、と紅炎は苦笑した。彼女を前にしては嘘一つとしてつけない。

「ならば俺も何か願うか。」

妻を倣って、紅炎も日輪を拝む。同じように、何を願われたのですか、とメルセデスが尋ねた。

「ん?…メルセデスが、元気な子を産めるように。」

包み隠さず申告すると、メルセデスは顔を赤らめた。

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