短編 | ナノ

絶対決定権

※ダンバト準拠

教務室の引き戸を開けると、ちょうど訪れていたらしい一人の女子生徒と目があった。これが他の生徒だったならともかく、彼女は見知った―一つ屋根の下に住む少女だったので、ロシナンテは瞠目する。珍しい、優等生の彼女がなぜここに。呼び出しを喰らったはずがない、しかし進路指導でもなさそうだ。何故―
そう内心首をひねるロシナンテに、件の少女が話しかける。

「ロシー、晩ごはんどうします?」

「…せめて先生をつけなさい。」

まるで家にいるかのようにファーストネームを呼ばれ、ロシナンテは兄のように目頭を押さえたくなった。一方の、衝撃発言で教務室中の視線を集めている少女は、昨日はお魚でしたね、と暢気に夕飯の献立を考えている。少女の言葉を耳にした教師陣は一様に目を丸くし、次いでその言葉を発したのが彼の少女であることを確認して、納得したように視線を元に戻した。

彼女―メルセデスは、ロシナンテの兄の娘、つまり姪である。ロシナンテが家を飛び出して一人暮らしをしている間に、彼の兄は子どもを作っていたらしい。まあいい歳なので子どもがいてもおかしくはないのだが、兄の性格を知っているロシナンテは娘がいるという事実にも衝撃を受けたし、母親であるはずの女性ではなく兄が育てているのだということがにわかに信じがたかった。しかし現実はこうである。メルセデスは誰がどうどこから見ても才色兼備の優等生、家事も卒なくこなす。あの兄が、どんな育て方をしたらこんな娘に育つんだ。

「そういえばそろそろ野菜室がいっぱいになってたかも…」

そしてどう見ても主婦。この学校に移って、兄ともども娘の世話になってからというものの毎日のようにロシナンテはそう思っていた。さすがはあの(見た目は)物騒な兄を荷物持ち兼足としてスーパーに連行するだけはある。あるいはあの兄にしてこの娘、ということなのか。

「あー、じゃあカレーとかどうだ?」

悩む姪に一つ提案すると、自分から聞いてきたくせにメルセデスは難色を示した。

「カレー粉はなかったはずです…それに明日のお弁当に詰められないのはちょっと。」

「おれは皿にカレー盛ったやつでもいいぞ?」

口に出したら食べたくなってきた。うん、カレーがいいな。

「そんなことお父様にさせる訳にはいかないでしょう。貴方のお弁当のおかず全部冷食のパスタにしますよ。」

「ちょっと待て。」

それはおかずじゃない。あまりの仕打ちにロシナンテは頭を抱える。彼女としては父親にみっともない真似をさせるのは許しがたいことらしい。いいと思うけど、カレー弁当。

「ン?メルセデスじゃねえか。どうした?」

「文化祭の会計担当なんです。それよりもお父様、ちょうどいい所に。」

偶然だろうが、まるで見計らったかのようなタイミングで現れた兄に、思わずロシナンテは目を逸らした。彼も兄も同じ教師という職についているが、自分はともかく兄は見た目が派手すぎると思う。資質を疑われかねないが、実際のところ―担当教科が違うので伝聞でしか知らないが―兄はなかなか優秀であるらしく、その点は見逃されているらしい。

「今日の晩ごはんを考えてたんです。」

お父様はなにか食べたいものありますか、とメルセデスが尋ねる。そういやこいつらは学校だろうと家だろうと何ら気にせず『メルセデス』『お父様』って呼び合ってるんだな。いいのかそれで。確か兄はメルセデスの授業担当ではなかったとは思うが。

「あー…肉じゃが、とか。」

庶民的!とロシナンテは驚愕した。無論、メルセデスはロシナンテの知る限りでもこれまでに何度も肉じゃがを作ったことがあり、兄は特に何の文句も言わず食べていたが、まさか自ら進んで食べたいと思うとは。てっきり無理難題を押し付けるかと。

「なるほど。そうします。」

材料も揃ってたはずですし、とメルセデスはひとり頷いた。ロシナンテの提案は却下されたようだ。分かってはいたが、やはりメルセデスにとって優先すべきは父親であるらしい。…まあ、父親がいるのに叔父を優先されてもそれはそれで困るが。

でもカレー食いてえな。今度ローでも誘って食いに行くか。

[ 戻る ]