ピンクのリボンで飾り立てたら
方向音痴ではないと思う。
地図さえあれば初めての場所でも迷わず目標地点にたどり着けるし、多少複雑な経路でも3度ほど通れば完全に覚えられる。
流されてしまっただけだ。随分と人の多い街だったから。
寄港した先で迷子になった理由を、ドルシネアはそう決めつけた。
「とは言えどうしましょう…。」
港に帰ろうにも方向がわからない。磯の香りはするものの、建物に阻まれて船のマストは一つたりとも見えない。残念かなネアの嗅覚は平々凡々であるし、あれよあれよと人混みに流されたため来た道すらわからない。
迷子になったときは下手に動かないほうがいいんだっけ、とかつて聞いた話を思い出す。聞いたのはネアが5つか6つのときのことだ。まさかこの歳になって迷子になるなんて。恥ずかしいというか情けない。これでもドンキホーテ・ドフラミンゴの娘か。
しかし人混みの中に混じるのも状況を悪化させるような気がして、ネアは仄暗い路地に飛び込んだ。
観光地であるが、道一つ変われば景色も一変する。人の姿は消え、隠すようにゴミの集積所が設けられていた。ふと見れば集合住宅が1つ2つ。入居者のための階段が上に伸びているのを見て、あ、とネアは声を零した。
建物の上から見れば、港の方向がわかるのではないだろうか。
船にさえ戻れたならばこちらのものである。もし捜索隊が出されていても、電伝虫を持っているであろうし、連絡して戻らせることは容易い。
名案だ!とネアは一人で頷き、少し階段をお借りしようと足を踏み出―したところで、お姉さん、と背後から声を掛けられた。
「私?」
「そうそう。お姉さん、美人だね。」
振り返ればネアと同じか、やや低い程度の身長の青年が笑顔を向けていた。突然の出来事にネアは戸惑う。
「何か御用ですか?」
「いや、用ってほどじゃないけどさ。お姉さん、観光客だろ?その道、危ないからやめといたほうが良いよ。」
植木鉢を落とす高層階の住人がいるんだ、と青年はネア耳打ちする。なるほどそれは危ない。感謝の言葉を述べ、ついでとばかりにネアは尋ねた。
「この島の方ですか?」
「そうだよ。」
「あの、差し支えなければ港までの道を教えていただけないでしょうか?」
「港?いいよ。」
その返答にネアほっと安堵の溜息を吐く。よかった、船に帰れそうだ。事情を話せばドフラミンゴに怒られはするだろうが、このまま迷い続けて時間を浪費するよりかよっぽど良い。
ついてきて、という青年の背中を追いながら、そういえばこの島は観光客狙いの犯罪が多いんだっけ、と思い返す。この青年もそういった島の状況を憂い、ネアに助けの手を差し伸べてくれたのだろう。
親切な良い人だ。彼の背中を追ううちに、気づけば周囲の人はまばらになり、やがて二人だけになった。観光客が集中しているのはほんの一角らしい。港からは随分と多くの人がいるように見えたけれど。
―港から?
おかしい、と気付き、ネアは足を止めた。ここは島だ。観光客が来る手段は船しかない。観光客狙いの店が港付近に多いのは地理学的に当然。この島に港は一つしかない。観光客が少ない方に港があるはずがない!
変な警戒を抱かれないよう、武器を船に置いてきたのが悔やまれるが、ネアはそのままでも強い。負けることなどないし、それは許されはしない。思い出せ、心臓に命じろ、お前の父親が誰であるかを。足を止めたネアを、青年が振り返った?
「どうかした?」
「どこに行くんです?港はこちらではないはず。」
そうネアが告げると、青年はゆっくりと首を横に振る。
「いいや、港だよ?――俺たちの、ね。」
瞬間、強い風がネアの金髪を巻き上げた。
「ネア!!無事!?」
「万事何事もなく。助かりました、デリちゃん。」
デリンジャーのハイヒールの先に、蹴り飛ばされ意識を失った男の血が付いている。あとで拭いてあげないと、と考えるネアを囲むように、周囲に隠れていたらしい男たちが現れた。
「美人が増えた、こりゃあ良い値が付くぜ。」
「お前ェら!顔に傷つけるんじゃねえぞ!できれば体も避けろ!」
なるほど人間屋か、とネアは納得した。対峙する男たちは知らないだろうが、ドルシネアは人身売買など、そういった裏の世界の重鎮の娘である。もしかしたら商売的には味方かもしれないが、だからといってこの身をくれてやる訳にはいかない。
「ネア、行ける?」
「勿論。ドンキホーテの名に賭けて。」
普段こそ剣を握ってはいるが、それ以外の戦い方も当然叩き込まれている。とは言え随分久しぶりだ。こういった―やや品のない言い方をすると、ステゴロは。
ドンキホーテの名に動揺する男の顔に、ネアの拳がめり込んだ。
ネアの横顔が好きだ。
勿論、正面から見た顔も好きだ。けれど、横に並んで一緒に歩く権利を持つからこそ見られる横顔は特別だ。この権利を持つのは幹部の中でも極少数。ドレスローザを得る前から若様に付き従っている者だけ。その中でもこうして二人きりで出かけられるのなんて、ベビー5とデリンジャーくらいだろう。
可愛い可愛い、私たちのお姫様。冷え性なのか、少し冷たい指先をきゅっと握る。赤い瞳がこちらを向いて、どうしたのかと尋ねる。
「これ?はぐれないように!」
「そうですね。置いて行かないで下さいね?」
お願いします、と微笑むネアに答えるように、もう一度手を強く握る。デリンジャーは女の子だけど男の子だから、お姫様をエスコートする騎士になれる。
死屍累々たる荒野を後にする。帰ったら若様からの説教ね、と言うと、ネアは苦笑した。
前へ