企画 | ナノ

霧雨が地を穿つまで

思い返せば、ドンキホーテファミリーが抱えていた幼子たちの歪なことよ。そもそも海賊団に幼児が何人もいるということがおかしい。その内訳も、皆親に捨てられたり、あるいはローのように親を失ったり。親切心で、ではないことは、ローはその身に沁みて分かっていた。何の道理もわからぬ子供、ただひたすらに自らを孤独に追いやった親を、家族を、世界を憎む子供は、さぞ扱い安かろう。だからドンキホーテファミリーは、ドフラミンゴは、まだ何の役にもたたない幼子を飼い育てていたのだ。いつか役に立つ日が来ると睨んで。

だが、その中で一番幼い娘―ドルシネアだけは、別だった。
あの娘は怨恨憎悪いずれにも触れずに生まれてきた。なんなら、彼女の親はすぐ近くにいたのだ。きらきらと輝く赤い瞳。自らの未来を、それを受け入れる世界を、辛いものだと、恐ろしいものだとは露ほども考えていなかった。彼女だけは違った。ドフラミンゴの娘だから。手を伸ばしてねだれば、欲しいものはなんでもその小さな掌に溢れかえり、小首を傾げればあの男はいつでも娘を抱き上げていた。娘だから、ドフラミンゴの血の繋がった娘だから。彼女だけ、別世界に生きていた。



降り立ったのは秋島だった。朝晩は冷え込むが、日中は気温が上がりにくく、過ごしやすい。冷涼な気候のためか、製本産業が盛んな島で、それに伴ってか書店も、取り扱われている本の種類も豊富だ。資料探しにも、娯楽の読み物探しにも向いている、いい島だ。その日も飽きずに書店巡りを敢行し、さて船に戦利品を持ち帰るか、と港へ向かう道中で、海賊同士の小競り合いに遭遇する。なぜ往来のど真ん中で喧嘩を始めるのか、よそでやってくれ。道が通れないと立ち竦む島民も、きっと同じ気持ちだろう。
律儀に知らぬ海賊の喧嘩を待ってやる理由もないし、買った本が重い。全員まとめて何処かへ転送するか、と能力を発動する準備をする。だが、そこで漣のように、小さなざわめきが起こり始めた。

「嬢ちゃん、止まりな。危ないよ。」

「は…?ええと、ご忠告はありがたいのですが船に戻らないと…。」

「海賊が喧嘩してて道が塞がってるんだ。怪我したくなかったら待つしかないよ。」

「それは…困りました。」

人が集まりすぎたせいか、その先で何が起こっているか見えず、人だかりに突入してきたやつがいるらしい。周囲を見回せばなかなかの人数が集まっていた。いよいよ大迷惑だ。さっさと排除するか、と足を踏み出しかけたところで、その姿が目に止まる。
光を通す金髪。あれはメラニン色素が少ないせいだ。肌がやや赤味がかっているのは、皮膚が薄いから。父親と全く同じカラーパレット。背が高いのも、父親譲りか。
ドンキホーテ・ドフラミンゴの愛娘。

「困りました。迷惑です。」

はあ、と溜息を一つ吐き、ドルシネアは背負った剣の柄に手を伸ばす。―斬るつもりか。考えるより先に、おれは能力を展開していた。

「"シャンブルズ"」

道の端に積まれていた木箱と、海賊共を入れ替える。突如として切り替わった風景に目を瞬かせる人々。その中で、唯一赤い虹彩がこちらを射抜いていた。

「ロー……?」

「そうだ、と言ったらどうする、ドルシネア。おれを捕まえてドフラミンゴの前に引き出すか?」

滞っていた往来が、再び流れ始める。そんな中、おれとドルシネアだけがただ立ち止まって、お互いを観察していた。

「そうですね、私はそうしなければならない義務がある。―あなたが、真に"トラファルガー・ロー"であるのならば、ですが。」

赤い目を細めて、ネアが言う。蛇の目だ、と漠然と感じた。

「ならば答えよう。おれはローだ。」

そう、答える。トラファルガーであるかそうでないかは伏せて。ネアはおれがローであるか否かしか尋ねていない。そしてネアが連行しなければならないのは『トラファルガー・ロー』。とんちの効いた答えに、ネアは目を丸くし、ついで小さく笑い出す。

「ふふっ、随分丸くなりましたね?面白い答えです。まあ、本名を名乗っていただいても、道を通していただいた御恩がありますから、今日限りは見逃して差し上げますよ。」

「お前は変わらねェな、ドルシネア。今も昔も、繊細そうな顔して面倒ごとは力で解決しようとする。」

つい先程、道を塞ぐ海賊たちをまとめて斬り伏せようとしていたことを暗に指摘すると、ネアは遺伝でしょうか、と微笑む。

「しかし、久しぶりですね、ロー君。まさか海賊になってしまったとは。」

残念そうに、あなたならきっといいお医者さまになれたのに、とネアが呟く。

「死の外科医なんて、いいお医者さまからは程遠い。」

「おれがどう生きるかは、おれが決めることだ。」

「その考えは否定しませんけれど。―お父様に復讐しよう、とか考えていませんよね?」

息が止まる。

こちらを見つめるネアの瞳は揺らがない。

「お父様の意思に反することですけど、私はロー君には長生きしてほしいと思っています。幸い、お父様はルーキーとか興味ありません。このままなら、ロー君は平穏無事な海賊生活を送れます。―あなたからお父様に関わらない限りは。」

「そのつもりだと言ったら?」

空気が冷える。目の前にいるのは、ただの小娘ではないと、全身の細胞が訴えかけてくる。

「勝てませんよ。」

「本当にそう思うか?」

「ええ、勝てません。」

ネアの目がこちらに問いかけてくる。お前は何を言っているんだ、と。

「いえ、たとえあなたがお父様より強いとして―あなたでは、私に勝てない。あなたたちでは、私に勝てない。」

「っ、どういうことだ…?」

「私はそのために生まれてきた、ということです。」

重い沈黙の中、ローは痛感していた。そうだ、ドフラミンゴの娘も同じだ。同じことだ。ただ、生まれ育ちが恵まれていただけ。ドフラミンゴが娘を育てていたのも、ロー達を養っていたのも同じ。いつか、それに相応しい見返りがやってくるからだ。
不意に、どこからかネアを呼ぶ声がする。その声を耳にした瞬間、ネアは身に纏っていた空気を一変させた。今日のことは秘密にしておきますねと囁き、声の元へ駆け出した。

ドンキホーテ・ドルシネア。そうだ、あの娘の戦い方を知らなければならない。情報が足りない。どこか、誰か、知っているものは。知らなければ。学ばなければ。いつかローが本懐を果たす、その時の為に。

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