企画 | ナノ

路地裏からお送りします

ロシナンテにとって兄とは、力の象徴であり、あの地獄のような日々を打破した英雄であった。端的に言うと憧れていたのだ。ロシナンテはいつも兄の背中を追うばかりで、その隣に辿り着けやしない。その差はきっと年齢とかいう容易いものではなく、もっと本質的な何かだ。

うん、そう思いたいんだが。

ロシナンテは今日も今日とて兄の背中を追っていた―娘の背中を追う、兄を追っていた。二重追跡である。
おかしいな、とロシナンテは首をひねる。自分の知っている兄、ドフラミンゴはこんなものだっただろうか?家族、それも数少ない血を分けた者たち―つまりロシナンテと、かの娘ドルシネアに関してはことさら固執しているのは知っている。だがこれは、方向性が違うような。

買い出しに出た娘とローとを、なぜ尾行しているのか。

「おいロシナンテ、足を止めるな。」

「いや待てドフィ、少し近付きすぎだ。」

更に距離を詰めようとするドフラミンゴを、同行するヴェルゴが制止する。二人はしばしサングラス越しににらみ合い、やがて諦めたのか、ドフラミンゴは足を止め、その長い背を屈めた。―少々屈んだところで、その長身は隠せるものではないが。



一方その頃、当の本人達は尾行されていることなど露知らず―などということはない。片やドフラミンゴの将来の右腕、片やドフラミンゴの実の子である。いくら経験値に差があるとはいえ、気を緩めまくっているドフラミンゴたちに気づかないほど鈍くはない。
しかし、その気づいてしまったことこそが二人の頭を悩ませていた。すでに言いつけられたものは全て買い揃えており、あとは帰路につくだけだ。だがここで一つ問題がある。帰ろうとすれば必然的にこれまで辿ってきた道とは反対方向に―つまり、尾行している父親達御一行の方へ向かわなければならないのである。

まず第一に噴出した問題は、向かって良いのか、ということ。どう見ても隠れられるような図体をしていない父親たちの前を素通りするのか、はたまた思いっきり鉢合わせてしまうのか。
どちらも避けたい、とローとドルシネアは思った。
ついで第二に、そもそも何故彼らは自分たちを尾行しているのか、ということ。初め、後ろに彼らがついてきていることに気づいたときは、てっきり追加で何か買ってこいと言われるのか、はたまた手が空いているから一緒に行くと言い出すのかと思った。だが一向に3人は近寄って来ず、もしや尾行なのでは、と気づいたのはローだ。二人して考えもしなかった可能性に顔を見合わせ、周囲には気取られないように顔を寄せ合って相談している。

「こうなったら前に退却しましょうか。」

「聞いたことがあるな。大軍に包囲されている状況で正面突破して退却したというワノ国の伝説…。まさか俺達がそれをやることになろうとはな。」

「ここはさらりと姿を眩ませて、何食わぬ顔で再会するのが最良でしょう。となればお父様方の巨躯を利用するために細い道を走り抜けるのがよいかと。」

そうネアが提案すると、ローは生来の悪人面をさらに歪めて笑い、言う。

「お前、随分と卑怯な手段を考えられるようになったな。」

「な……最適な方法を考えだしただけです!」

「いいんじゃねえか?」

「なんですかその意味深な笑顔は!」



帰りたい。心の底からそう思った。

「距離が近いだろ!?あぁ!?」

「うるさいぞドフィ。」

「言ってくれるな相棒。声にでも出さないと我を失いそうだ。」

―過剰ではないか、と思う。その娘に対する愛情とか、それに由来する被害意識とか。昔はここまでではなかったような…いや、娘をより大切に思うようになっている、と考えればこれは良い傾向なのか?少なくともこういった尾行―良い行いであるとは口が裂けても言えないがーをしてまでも娘の身を心配するというのは…いや、むしろ心の余裕がなくなっているんじゃないか?やっぱりこれは良くない傾向じゃないのか?

「クソッ、やはりローとネアは離して育てるべきだったか?だが将来のことを考えるとある程度馴染みのある方が…。」

「ああ、そうだな。」

ギリギリと歯を噛みしめるドフラミンゴ。対するヴェルゴはだんだん口数が減ってきている気がする。お前もそろそろ呆れてきただろ。

「ほぎゃっ」

足元の段差に躓き、兄から冷たい視線を頂戴する。俺もそんな目であんたを見てるよ!

などとは口に出せず、すまない、と小さな声で誤って身を縮こまらせた―ところで、突如としてネアとローが別々の方向へ走り出した。

「んなッ!?」

「チッ、追いかけるぞ!」

「どっちを!?」

「ロシーとヴェルゴはローを追え!ドジるんじゃねえぞ!」

「お、おお!?」

その言葉を聞くやいなや、ヴェルゴは路地裏のゴミ箱を飛び越え走り出す。慌てて、ロシナンテも走り出した。



しまった、悪手だったかもしれないとドルシネアは後悔した。
細い路地をすり抜ける戦法は、よくよく考えれば空を飛べる父には通用しない。今日は絶好の薄曇り。心なしか、背後から糸の張り詰める音が聞こえる気がする。捕まらないことは最低条件、できれば視認されることも避けたい。狙いを定めた蜘蛛から逃げ惑う蝶のように、右へ左へ飛び回る。多少の段差なら飛び越えてしまえ。時に背後を振り返って人影がないことを確認しながら、ネアは石造りの路地を駆け抜ける。


(全然見つかんねえ…)

雲に糸を引っ掛け、屋根の上を飛び回りながら眼下の景色に娘の姿を探すも、あの鮮やかな色彩が全く見当たらない。足が速いのは知っていたが、それ以上に逃げ方がうまい。全く規則性のない動きをしているが、それでいて行き詰まることがない。一体どこでこんなことを学んだのか。思わぬ娘の才能に嬉しいような悲しいような。ともかく見つけ出せない以上仕方ない、ここからローを追う一行に合流するのも難しいだろう。諦めて帰るしかないか。


そう判断して帰ってきたドフラミンゴを、しれっとした顔で出迎えたのはネアだった。

「あらお父様、どこかへお出かけでしたか。」

「まあな。お前も帰ってたのか。」

「ええ、つい先ほど。」

―あの状況で走り出したということは、十中八九尾行に気づいていた。それを指摘しないのは配慮なのか挑発なのか。

「ローはどうした?」

「何か欲しいものがあるとかで、まだ出たままです。」

流れるように嘘をつく。随分とうまくなったものだ。だからといって、娘と腹の探り合いなどしたくはないが。

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