企画 | ナノ

跪くだけの簡単なお仕事です

『明日出かけるから、予定空けときなさい。』そう言った本人が寝坊するとは、どういうことだろうか。

「仕方ないでしょ、昨日遅くまで飲んでたんだから。」

息子の前であるというのに、慌ただしく服を脱ぎ捨ててシャワールームに駆け込む母親の姿に、息子であるドルシネアは色んな意味で頭を抱えたくなった。

「荷物用意しておいて!」

「仰せのままに。」

女性の支度には時間がかかるものだ、そう、自身に言い聞かせる。気長に待つとして、言われたとおりドフラミンゴの荷物を準備する。実はこんな風に、約束をしたというのに寝坊で遅れるというのは何度もあったことで、母親がどのバッグで、何を入れていくのかをあらかた覚えていた。遅刻魔、というものではなく、ただ彼女は忙しい人なのだ―と、思うようにしている。
そう、たとえ、既に短針が11に近づいていても。




「髪がだめだわ。」

ショーウィンドウに映る姿を見て、ドフラミンゴはそう零す。
シャワーを浴びたあと、急いで整えたのだがどうにもイマイチだ。
だが、隣を歩く息子は不思議そうに首を傾げて。

「そうですか?可愛らしいと思いますけれど。」

その言葉を耳にしたドフラミンゴは、凄まじい勢いで息子を振り返った。

「あのね…どうせネアは、寝癖がついたままでも可愛いっていうつもりでしょ。」

「鳥の巣みたいで可愛いですよね。」

「馬鹿にしてるの?」

だめだこの息子全く女心がわかっていない、とドフラミンゴはため息をつく。しかし、女心を分かっていてもそれはそれでどこで学んだということになるのだが。

「で、お母様。どちらへ行かれるのです?」

やや機嫌を損ねてしまったことに気づいたのか、ネアが話題を変更する。ドフラミンゴもそれに答え、あそこよ、と少し先のカラフルな店を指差した。



そして、ドルシネアはまたしても頭を抱える羽目になった。

ドフラミンゴが荷物持ちの息子を引き連れて入ったのは、女性ものの下着店であったからだ。

なぜ、なぜ息子を連れて。これまで服や靴、化粧品といった買い物に付き合わされたことはあったが、下着を買いに行くのに付き合わされたのは初めてだ。それも年頃の息子を。
母親は久しぶりの買い物で嬉しそうに店員と話しているが、息子は周囲の女性から送られる訝しげな視線で針の筵状態だった。率直に申し上げて帰りたい。せめて店の外で待っていてはいけないのか。あまりの扱いに顔を青くする息子を余所目に、ドフラミンゴは選んだ数点の下着を持って試着室に入る。出てはいけないだろうか。目の前が真っ暗になった気がした。

「ネア、どっちがいいと思う?」

「…は?」

棒立ちするネアの眼前に、2つの女性ものの下着が突きつけられる。驚きのあまり仰け反ることもできず、ネアは呆然とその光景を眺め、次いでそれらを差し出す母親の顔を見た。とても、とても楽しそうだ。

「ねえ、どっちがいいと思う?」

「…両方買ったらいいのでは、」

ほぼ停止した脳を辛うじて動かし、妥当と思われる解を紡ぐが、母親は不服そうに唇を尖らせた。

「どちらか選びなさい。」

「は、えぇっと…」

―何故、僕がお母様の下着を選ぶ羽目に!?

わけもわからず、何か試されているのかとネアは硬直する。正直眼前の2つの下着の違いなど色しかないようにしか思えないのだが。

「えー、こっちの赤い方、でしょうか?」

「ふぅん、どうして?」

「ストラップが太いので、肩への負担が少ないかと…」

あれ、この選び方でよかったんだろうか。自信をなくして、ネアは口ごもる。
だが、ドフラミンゴは満足したようで、なるほどねと頷きながら選ばなかった方を元の場所に戻していた。これで良かったのか。とりあえず一波乗り越えた、と胸を撫で下ろした矢先、またしても母親が下着を2つ、ネアの鼻先に突きつける。

「じゃ、これだとどっち?」

ネアは思わず口を抑えた。何か出てきそうだ。魂とか。





「ネア、なかなかいいセンスしてるじゃない。」

そのくせ自分の服は地味よね、と褒めているのか貶めているのかわからない言葉をドフラミンゴは紡ぐ。だが言葉をかけられたネアは、そうですね、と曖昧な返事しかできなかった。未だに針の筵にいる気分だ。むしろおろし金の上か。

「もっとかっこいい服着ればいいのに。」

おおよそ身体によくなさそうな、派手な色のケーキをつつきながらドフラミンゴがぼやく。彼女としては、せっかくイケメンで、背も高い自慢の息子がいまいちぱっとしない服に身を包んでいるのは我慢ならなかった。
―もう少し派手でも良いんじゃない?
コーヒーを飲む息子を眺めながら、こうかしら、と脳内で着替えさせる。いつも黒い服が多いから、もう少し明るい感じで。

「そうね、このあとネアの服も買いに行きましょ。選んであげるわ!」

「やめてください遠慮します。」

母親の服のセンスを知っているネアは全力で拒否する。センスがないわけではないのだ。ただ、あまりにも人を選びすぎる。独創的、とでも言うべきか。

「遠慮しなくていいのよ?」

「良いですから、どうせ着る用事ないですし。」

「…遠慮しなくていいのよ?」

「本当に!本当にいいですから!!」





やっと王宮に帰りつき(ネアの服購入イベントはなんとか回避した)、見慣れたドアを開けた瞬間ネアは思わず目頭を抑えた。こうして買い物に付き合わされるのはよくあることだが、今日はいつもにも増してハードだった。何故。

「お疲れ様、お土産持って行ってくるわ。」

「はい…。」

まだ買い物の余韻を引きずっているのか、楽しそうな足取りで部屋を出ていく母親を見送る。彼女とは真逆に、ネアは寿命が半年ほど縮んだ気がする。
持っていたショップバッグを置き、手近なソファにネアは身を沈めた。母親の買い物に付き合うのは、彼女の笑顔が多く見られるので好きなのだが、今日のはきつすぎる。主に精神によくない。

一体今日は何があったんだ。何かの罰ゲームか、と悩むうちに、ネアの意識は緩やかに途絶えていった。



「ネア、戻ったわよ…あら?」

ドフラミンゴが息子のもとに戻ると、彼はソファの上で眠り込んでいた。朝が早かったからかしら、と早くから何かと支度をしていてくれたのであろう息子に、寝坊したことの罪悪感を覚えながら近づく。ネアは、形の良い眉を寄せて、気難しそうな顔で眠っていた。

(それとも、疲れてるのかしら。)

今日はいろんなお店に連れ回したから、自身の行動を思い出し、ちょっとはしゃぎすぎたかしら、と反省する。こんなに大きな息子を持った、いい年のお母さんなのに。けれどそんなことを言って行動を控えめにすると、この息子はきっと、『もっと好きなようにすればいい』と言って、許してくれるのだろう。

(良い息子を持ったわ。)

しわの寄った眉間を指で撫でる。しばらく指を往復させるうちに、息子の寝顔は年相応のものに戻っていた。

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