All I want for Christmas is you
〜御幸一也
外は雪が降りそうな曇天だ。入試の日にこういう天気だと、それじゃなくても楽しくもなんともない日だというのに、いっそう気分が滅入る。
前の席の女子が小刻みに震えているのに気付いた。寒いのかと思ったけれど、この教室は暖房が効いていて学ランを脱いだセーター姿でちょうどいいくらいだ。つまり、彼女は緊張で震えているのだ。
高校入試はオレたちにとって一大イベントだ。これから先の人生の中でも大きな分岐点には違いない。その分岐点をオレはスポーツ推薦という形ですでに約束手形をもらっている。おかげでオレは周囲の緊張とは無縁のところにいた。だから、彼女が震えていることにも気づいたんだ。
別に自分は落ちないという優越感があったわけじゃない。ただ、心に余裕があっただけだ。だから、つい、魔が差したように彼女に声をかけてしまった。
「大丈夫?」
彼女は両腕で自分を抱きしめるようにしたまま、恐る恐るオレを振り返る。周囲はやはり緊張に包まれていて、そんなオレたちの様子に注意を払うヤツは一人もいない。
「寒いの? 震えてっけど」
「え、あ、ううん」
彼女は首を横に振った。緊張していることを隠す気はないらしい。
「最初の科目…不得意だから」
そう言うと少し口の端をあげた。無理をしてでも笑おうとしたのが見て取れて、その姿がとても健気に映った。オレは鞄の中からカイロを取り出した。
「これ、お守りに。やるよ」
カイロには「一也 頑張れ 絶対合格」なんてマジックでぶっきらぼうに書かれている。書いたのは親父の工場で働いている工員さんたちだ。オレが生まれたころからいる人や小さいころからいる人たち、みんな、とにかく親父以上にオレの親父をしたがる人たちばかりだ。
彼女はカイロを受け取ろうとして、その文字に目をとめた。
「こんな大事なものもらえない」
「いいって、オレ、落ちねぇから」
青道にはスポーツコースがないため、受験も入学後のクラスもスポーツ推薦をもらっているヤツも一緒になっていて、誰がスポーツ推薦かなんて言わなきゃわからない。だから今わざわざ彼女にオレはスポーツ推薦だからとは言わない。それは余計なことだとさすがにわかっている。
「それに、ほら」
と、鞄からたくさんのカイロを取り出した。そのすべてに「一也 頑張れ 絶対合格」と書かれているのだ。それを見た彼女はさすがに表情をゆるめた。
「すごいね」
「ま、こんだけあればおすそ分けした方がご利益ありそうじゃん?」
そう言って笑うと、彼女はそうだねと笑った。その笑顔を見て女子を笑顔にするのって悪くないなと思った。
「じゃあ、一つもらっていい?」
「もちろん」
ひとつ、彼女に手渡した。彼女はとても大事な物のようにカイロを手のひらでそっと包んだ。
「ありがとう。頑張れる」
「お礼期待してる」
「うん、ちゃんとする。終わったらメール教えてもらっても…」
「いや、入学式でちょうだい。それまで待ってるから」
なかなかいい台詞だとオレは心の中で自画自賛だ。彼女にもオレの言葉の真意が届いたらしい。うんと力強くうなずいて、ありがとうと、しっかりとオレを見て言った。その目を見て、きっと彼女も受かるだろうとオレは確信めいた予感をもった。
試験が始まる5分前の予鈴が鳴った。彼女はもう一度だけオレを見て笑顔を見せると、ゆっくりと前を向いた。もうその背中は震えてなんてなかった。
*
合格発表はネットで見ることができた。私の番号はちゃんとあった。そして、私のすぐ後ろの番号も。それを確認して私は青道高校へとむかった。彼が来ているかもしれないと思って。ううん、来ていてほしい。会いたいと願ったからだ。
入試のとき、私にお守りと言ってカイロをくれた彼、一也くん。人懐っこい笑顔と気の利いた言葉ですっかり私の緊張を解いてくれた、いわば私が青道に合格した恩人といっていい。今となっては恩人っていうよりも、私にはそれ以上の気持ちも芽生えてしまっているけれど。
お礼は入学式でいいと言われたけれど、会えるなら会いたかった。けれど、残念ながら合格発表を見に来た人の中に一也くんの姿をみつけることはできなかった。
入学式前の制服採寸の日にも周囲に意識をはらった。一也くんをみつけたかったからだ。けれど、その日も一也くんの姿はみつけられなかった。
顔を覚え間違っているのかと不安になったけれど、正直、一也くんの顔はイケメンといって差し支えない。そんな顔を間違えたりしない。もしかしたら眼鏡をかけていないかもと、思ったけれど、仮に眼鏡をしていなくても間違えたりきっとしないだろう。それくらい彼の顔はしっかりと覚えている。
入試は専願の日だったし、受かってるし、他の学校に進学するなんてことはないはずだ。だから絶対にいるはずなのに。
もしかして夢だったのかと、そう思うたびに、「一也 頑張れ 絶対合格」と書かれたカイロを見て、夢なんかじゃなかったことを確認した。この手の中にこのカイロはちゃんとあるんだと。
そうして、ヤキモキした春休みを過ごして、迎えた入学式の日。ついに彼に会えると思うと、朝から気持ちが落ち着かない。高校生活の始まりへの期待と彼に会えるだろうという期待で胸が張り裂けそうだった。
使うことはなかった、もらったときのままの状態のお守りのカイロを持って、私は青道高校へとむかった。
正面玄関での受付を済ませると、クラス分けの名簿が手渡された。すぐに「一也」を探す。ありそうで意外にもない名前なのか、名簿にはたった一人「一也」くんがいた。
御幸一也くん。
クラスはA組だ。彼のクラスを確認してから自分の名前を探した。私の名前はE組にあった。同じクラスじゃないどころか、端と端だ。彼の名前を見つけた興奮は瞬時にしぼんだ。
でも、ついに会えるのだ。クラスが違っても、これから毎日この同じ校舎に通うのだ。覚えていてくれたらきっと、話もできるはず。
一也くんにお礼を早く言いたい。お礼にと用意している小さなプレゼントも渡したい。私の心はただ逸るばかりだった。
*
入学式よりも前に入寮したオレは、すでに野球部の洗礼を浴びている。練習量はもちろん、食事の量もだ。さすがにキツイ。それでもやっと甲子園へと続くはずのこの場所にこれたという達成感みたいなものが、ただオレを突き動かしていた。
そんな野球に特化した日々に、少しだけ思いをはせるのは、入試のときにオレの前の席にいた女子だ。合格発表をネットで見て、自分の一つ前の番号があることを確認した。これで間違いなくまた会える。ただの気まぐれに近い行動だったのに、いつのまにか彼女のことが気になって気になって仕方がなくなっている。
入学式の今日、彼女に会えるだろうか。彼女はオレをみつけてくれるだろうか。淡い期待が胸に宿る。
ネクタイの締め方を先輩に教わって、真新しい制服に身を包む。入寮してから初めて制服に袖を通すと、不思議と改めて青道の一員になったのだと感慨深い。
寮生は何となくかたまって校舎へと向かった。入寮してから校舎に入るのも初めてになる。みんな、少し浮き足立っているように見えた。正面玄関で受付をすませて名簿をもらう。みんな誰と一緒だと騒いでいる中、オレは自分の名前をすぐにみつけると、彼女が何組なんだろうとぼんやりと思った。せめて名前くらい聞いておけばよかった。
自分のクラスとなるA組へと向かいながら、彼女をみつけたくて、きょろきょろと周囲を見ていた。すると
「なんだよ、落ち着きねぇな」
オレと並んで歩いていた倉持が眉をひそめる。倉持は足が速くて飲み込みが早く魅せるプレイを時折してみせる、それ以上に知っていることはない。今はまだその程度だ。それでも十日もあの生活を同じくこなしているという不思議な連帯感のようなものは芽生えはじめていた。
「べつに」
受験の日のことを言うほどの親しさはもちろんまだない。もっともオレはそういう話を親しくなってもするタイプでもないけれど。
「おまえ、何組だよ」
「オレ、E組だから、お、こっちだな」
階段を上がると一年の教室階になる。二人して左右を見る。右手にE組が見えた。左手にD組からA組までが見える。
「オレ、あっちの端だ。向こうの階段使った方が近いんだな」
B組とC組の間にも階段があった。たぶんこれからは向こうの階段を使うことになるだろう。
「じゃあな」
倉持は手を少し挙げてE組へと向かう。近いからすぐに教室の中に入って姿は見えなくなった。オレも自分のクラスへと向かおうとして、足を止めた。ちょうど、今、あの彼女が階段を上がってきたのだ。
階段を上りきるところで、ぱっと彼女が顔をあげる。オレと目があった。その瞬間、彼女は足を速めてオレへと向かってきた。
「よかった、会えて、私…」
「久しぶり」
彼女はよかったの言葉通り、うれしそうな表情でオレを見る。何となくこそばくて、少しカッコをつけてしまう。
「な、落ちねぇって言ったじゃん」
「うん、ほんと。ありがとう」
彼女は真新しい鞄から小さな紙袋を取り出した。お礼だろうか。かわいい水色の袋は少し控えめで彼女の性格が見えた気がした。
「これ…」
思った通り、オレにその袋を渡そうとしたとき、彼女に後ろから来た生徒がぶつかってしまった。その衝撃で彼女は紙袋を下に落とした。落ちた紙袋からはさらに小さなリボンのついた包みと封筒がこぼれるように落ちた。
「こんなとこで突っ立ってんじゃねぇよ」
「あ、ご、ごめんさない」
「悪ぃ」
オレは悪いとは言いつつも、そこまで言う必要ねぇんじゃねぇのと目で、その生徒を軽くねめつける。彼女は謝るとあわてて落ちたものを拾おうとする。
オレもちょうど足元にきた包みを拾った。彼女はオレが拾ったのを見ると、恥ずかしそうにする。
「それ、お礼だから、もらって」
「律儀だなー」
「だって、恩人だよ」
彼女は封筒と紙袋を拾いながらはにかんだように笑った。恩人とはまた大げさだな。でも彼女のそういうところがひどくかわいく感じた。
「じゃあ、まぁ、ありがたく」
「うん」
そこでちょうど予鈴がなった。やべぇ、オレ一番遠いんだった。初日から遅刻なんてことになったら、監督や先輩から何を言われるかわかったもんじゃない。
「オレ、A組だけど」
「あ、私、E組だから」
「そっか。じゃあ」
「うん。ほんとにありがとう」
「こっちこそ、これサンキューな」
慌ただしく行き来する生徒たちの中、オレたちも慌てて、それぞれの教室へとむかった。どこか後ろ髪がひかれるような思いを抱きながら、彼女にもらったプレゼントをポケットの中で大切に握りしめた。
*
御幸が何気ない顔をして外を見ている。この2年B組の教室の窓から見えるのは特別教室棟への渡り廊下だ。御幸が気にしてませんよという顔をしながら、意識して外を見るのは決まって、月曜日の3限目の前後と水曜日の2限目の前後だけだ。その時間は2年A組が選択教科で移動するために渡り廊下を歩いている。
ほんの少し、注意をはらっているオレだからこそわかる程度の変化で御幸は表情をゆるめた。オレも気づいてないふりをしつつ、チラリと見る。いや、見なくったって、そこに誰がいるかなんてとうにわかっているけれど。
花沢ことりだ。
1年のときオレは花沢と同じクラスだった。花沢と御幸のことを知ったのは入学式の日早々だ。花沢は教室に入ってくると、自分の席を探すために、たまたまオレの席の横で立ち止まったのだ。そして、その手にしていた封筒がオレの目に入った。
「一也くんへ」と書いてあった。入学式のその日は受付で名簿が配られていたので、すぐにその「一也くん」が御幸以外の誰でもないのだとわかった。
「御幸と知り合い?」
「えっ…」
気安く声をかけてしまったのは、やはり入学式で少し浮き足立っていたせいかもしれない。花沢はオレを見ると、はっとして封筒をすぐに鞄にしまった。見られたくなかったのだろうか。
「それ、一也って御幸だろ」
「…うん。あ、でも、知り合いってわけじゃなくて…えーと」
「あぁ、オレ野球部で一緒だからさ。御幸と」
「野球部なの…!」
野球部ときいて驚く花沢にあれっと思った。御幸と知り合いなら御幸が野球部だと知らないはずもない。なら知り合いじゃないっていうのは嘘じゃないってことだ。いったいどういう関係なのかと不思議に思って当然だろう。その時はすぐにチャイムが鳴ったので、話は切れたが、結局気になったオレはその日のうちに花沢から御幸との入試での出来事を聞き出した。
「ふーん、そういうわけね」
「うん、でもあの、もうお礼はしたから」
「その手紙は渡すんじゃねぇの」
「渡しそびれちゃったんだけど、もういいの。ちゃんとお礼は言えたから」
花沢は満足そうに笑った。オレが渡してやってもいいと言ってもきかなかった。だから、かもしれない。なんとなく花沢の遠慮がちなところが歯がゆくて、何かにつけてオレは花沢に御幸のことを話したり、仲を取り持とうかともちかけた。けれど花沢は、いつもただ首をふるだけだった。
花沢が御幸に惚れているのは、入試のとき話を聞いてすぐにわかった。何せわかりやすく顔を赤くしていたからだ。その後も御幸と偶然すれ違おうものなら、体全体がピンク色になったんじゃないかと思えるほど、空気が変わった。
一方の御幸も花沢を見ていることに気付いたのは、オレとよく目があったからだ。1年のときのオレは花沢とよく一緒にいた。花沢の友達とそこそこいい感じだったからだ。オレたちは御幸と花沢のように一切の進展がないのとは逆に、早々にうまくいってるけれど。
最初は何で御幸とばっかり目が合うんだろうと、気持ち悪ぃなと思ったけれど、なんてことはない。御幸はオレではなく花沢を見ていたのだ。あの野球しか興味なさそうな顔をしながら。
体育祭に文化祭、野球部の夏大、秋大の全校応援。あげたらきりがないほどに花沢と御幸が近づくチャンスなんていくらでもあったはずなのに、気づけば、もう一年以上何もないまま経っている。信じられない。
移動する花沢をほんの少し見かけるだけで満足そうにしている御幸にいいかげん腹がたってきてもいる。御幸が一言好きだといえばすぐにお互いの片思いなんて終わるのに。
花沢の友達でもあるオレの彼女と前から話していたことを御幸にしてやることにした。この一年以上の中で最大の爆弾だ。
「なぁ、御幸、知ってるか。花沢…告られるらしいぜ」
*
ことりちゃん。
オレは心の中で彼女をそう呼ぶ。話なんて入学式の日以来、ほとんどしていない。それでもいつだってオレの心の中にいる。見てるだけでいい。一年のときからずっとそうしてきた。好きと分類するよりもそれ未満の淡い気持ちだということにしている。だからそれで十分満足していた。
なのに倉持が突然信じられないような言葉を発した。
「なぁ、御幸、知ってるか。花沢…告られるらしいぜ」
倉持の彼女がことりちゃんと仲がいいことは知っている。その伝手で倉持も意外とことりちゃんと仲がいいことも知っている。だからってどうしてオレにそんなことを言うんだ。そんなオレの心の内をわかったのか倉持は冷え冷えとした視線をオレに向けた。
「バッレバレなんだよ、テメェ―は」
「…何言ってんだよ」
何とか平静を保とうとするけれど、少し剣呑になったかもれない。オレの態度に倉持はチッと舌打ちをする。
「別にオレはいいけどよ」
「ことり…花沢っておまえの彼女の友達だろ。オレに何か関係あんの」
ことり…と口にした時点でオレの負けだ。それでも一応最後まで貫いてみた。倉持はさすがに呆れたようにオレを見下した。
「バッカじゃねぇの。取り返しつかなくなっても知らねーぞ。一応、教えてやったからな」
ひらひらっと手をふると倉持は自分の席へと戻っていった。もうすぐ次の授業が始まる。ちらりと窓の外を見れば、すでにもう渡り廊下にことりちゃんの姿はなかった。
告白されるって? 誰に?
だからって、オレがどうこうって話でもないだろう。オレが一方的に淡い気持ちを抱いているだけで、ことりちゃんが告白してきたヤツを気に入れば…それで終わりだ。
どうやったって、野球が最優先になる。だから彼女とか作るつもりは一切なかった。好きな子への気持ちを、本気になってしまわない程度にほどよく自分の中で都合よく弄んでいるだけで十分だった。
そのはずだったのに。
ことりちゃんが誰か他のヤツのものになる?
腹の底から湧き上がってくる、熱くて苦いものをオレは抑えられなくなってくる。嫉妬だ。ひとたび、嫉妬を自覚してしまえば、心の中は穏やかではいられない。
どうする、どうしたい。そんなことわかりきっている。ことりちゃんをオレのものにしてしまえばいい。それはとても簡単なようで何よりも難しいことなのに。
*
二学期の最終日は12月25日、クリスマスだ。今年もあげることなどできやしないのに、一也くんへのクリスマスプレゼントを用意してしまった。誕生日もクリスマスもバレンタインも、いつだってプレゼントを用意して、渡せないままだ。
今年の一也くんの誕生日は頑張るつもりだった。秋大を優勝して、春の甲子園が決まったからだ。そのお祝いもふくめて絶対に渡そうと思ったのに、結局ダメだった。直前に一也くんがケガを押して試合に出ていたことを知ったからだ。そんなことを知ってしまったら浮かれてプレゼントなんて渡してはいけないような気がして。
学期末の大掃除で学校中はバタバタとしている。おまけにクリスマスだし、冬休み前だし、みんなどこかウキウキとしている気がする。置いてけぼり感が半端ない。
「ねー、日直誰?」
「あ、私」
「ゴミ捨てよろしく〜」
「はーい」
最後の最後にゴミ捨てなんて、ついてないなぁ。みんな最後の日だから、持って帰るのを嫌がって、捨てなくてもいいものまで捨てすぎだ。重いゴミ箱を持って、教室を出た。
隣はB組で一也くんのクラスだ。前を通るだけなのに、一也くんが私を見ることなんてないのに、緊張してしまう。B組を通りすぎたところで後ろから声をかけられた。
「お、ゴミ?」
ちょうど、一也くんもゴミ箱を持って出てきた。すごい偶然。一也くんと言葉を交わすのは久しぶりだ。友達が倉持くんと付き合っていることもあって、時折倉持くんたちを含めた4人で会話することはあった。でも、二人っきりでっていうのは、もしかしたら入学式以来…かもしれない。
「うん、今日日直なんてついてないよね」
「ははっ。そうだよな」
一也くんは片手で自分のクラスのゴミ箱を持つと、私の持っているゴミ箱にも手を伸ばした。
「持ってってやるって言いたいとこだけど、さすがに重いから、半分持って」
「そんな、大丈夫。一人で持てるし」
「いいって、いいって」
そう言って、ゴミ箱を離してくれない。優しく笑いかけられて、胸がときめきでいっぱいになる。ありがとうとお礼を言うのが精いっぱいだ。一也くんはいつだって優しい。私にだって優しいのだから、クラスの女の子たちにはきっともっと優しいに違いない。勘違いしないようにしないと、と自分に釘をさす。それに、途中すれ違う女の子たちの視線が突き刺さった。一也くんがもてることなんてとっくに知ってる。だから見ているだけでいいって、そう思ってたんだから。
廊下から中庭に出ると、風が強く吹いていて思わず立ち止まる。一也くんも寒ぃなーと首をすくめた。ゴミ捨て場の大きなコンテナの中にゴミを捨ててしまうと、一也くんは私のクラスのゴミ箱も手にした。
「いいよ。持つよ」
慌てて手をのばすけれど、一也くんはゴミ箱を手にしたまま動かない。一際強い風が吹いてきて、髪とスカートを押さえた。
「ことりちゃん」
一也くんの声に息を飲む。今、私の名前を呼んだ? 今まで名前を呼ばれたことなんてなかったから驚いた。
一也くんはゴミ箱をその場に置くと、足先がふれそうなほど近くに寄ってきた。あまりに近すぎて顔を見上げることができない。どうしたらいいかわからなくて一也くんの足を見てた。
「顔上げてくんない?」
そう言われて、ほんの少し上げた。でもなんだか一也くんの顔は見れない。視線をさまよわせてしまう。近すぎて、息が詰まるほどに胸が苦しい。
一也くんが腕をあげたのがわかった。その手でそのまま自分の頭をかいたのもわかる。なのに、どうして今私の名前を呼んでこんなに近くにいるのかわからない。
「オレさ」
こくんと頷く。何を言われるんだろう。
「日直でもなんでもねーの、今日」
苦笑交じりの言葉に思わず顔を上げた。じゃあ、なんでゴミ捨てなんて…。ばちっと目があって、一也くんはやっと顔をあげたと笑った。そのあまりの近さに恥ずかしくなって思わず一歩下がる。
「ことりちゃんがゴミ捨てにいくの見えたから」
逃げないでよと手首を掴まれて、下がった以上の距離を引きもどされた。腕を回せば抱きしめあえるほどの近さだ。一也くんの制服の冷えた空気が頬に伝わった。
「ずっと好きだったんだ」
言われた言葉がすぐにわからなくて、私はただただ一也くんを見つめてしまっていた。一也くんはもてる。普通にイケメンで野球部のキャプテンで。もてない要素を探す方が難しい。そんな一也くんが、私のこと好きって言った? 何か違う意味があるのかと考えようとするけれど、言われた言葉が私を甘くしびれさせて思考を止めた。
しばらくすると一也くんがふっと表情をゆるませたのがわかった。笑ったというよりもあきらめた、そんな感じだった。
*
腕を回せば、抱きしめることができる距離で、固まったみたいにそれができない。ことりちゃんはオレの告白に驚いたような顔をしただけだ。しばらくことりちゃんと見つめ合った。ことりちゃんは何を言われたのかわからないそんな顔だった。その表情にオレが先に折れた。
「ごめん、忘れて」
入試の日以来、特別に親しくしてきたわけじゃない。ただオレが彼女を好きになっていっただけだ。違うクラスだから、ただ見かけるだけの日々に、少しずつ、胸に気持ちを降り積もらせてきた。ことりちゃんにだって、そういうふうに思ってみているオレ以外の男がいたって不思議じゃないんだ。
いたたまれなくなって、早足で踵をかえす。ゴミ箱を取りに戻った。二つ持って、歩き出そうとしたときに、ことりちゃんが駆け寄ってきた。たかだか入試のときにカイロをやっただけのオレを恩人だと言う子だ。律儀に自分のクラスのゴミ箱を取りにきたのだろう。これを持ってさっと去っていくってくらいかっこつけさせてくれてもいいんだけどな。
「あの、私のこと名前で呼んだ?」
「え、あ、悪ぃ。なんか勝手に」
「ううん」
いいの、と小さくつぶやく。あれ、オレ告白したんだけど、気になったのそこ? ちょっとばかり拍子抜けする。
「私も、ずっと一也くんって勝手に呼んでて」
それはわからなくもない。あのカイロには「一也」と書かれていたのだから。でもそれを聞くと悪い気はもちろんしない。特別な存在みたいで素直にうれしい。特にオレのことを「一也」と呼ぶヤツはこの学校ではほぼいないから。
「私も、一也くんのこと、ずっと見てた」
「…それって、ことりちゃんもオレのこと好きって思っていいってこと?」
こくんと頷く。頬は赤い。鼻も赤くなっる。そりゃあ、そうか。こんな寒い中庭にいつまでもいたら体も冷える。でも、あともう少しだけ。
ゴミ箱を気持ちを落ち着けさせるようにそっと置く。でもやっぱり気持ちは逸ってしまって、ことりちゃんに足早に近づくと、そのまま、勢いよく胸の中に抱きしめた。お互いの冷えた制服が触れ合うと、高揚した気分にはその冷たさは気持ちがよかった。
「やべぇ、振られたと思ってた」
「…どうしてっ」
「困った顔して何にも言わねぇし」
ぎゅっと抱きしめる。オレの中にすっぽりと入ってしまうことりちゃんがかわいくて仕方なくて、離せない。冷えた髪をなでて、ことりちゃんには気づかれないように、そっとくちびるを落とす。
「か、一也くんが私のこと好きだなんて思ってもみなかったから」
「…それはお互いさまか」
ちょっとおかしくて、そしてはっとする。倉持にはバレバレだと言われた。ことりちゃんの方の気持ちもバレバレだったのだろうか。くそ、いいように倉持に動かされた気がしないこともない。
「告白されたってほんと?」
試しに確認してみる。
「え、うん」
「…誰に」
「一也くんに…かな」
ああ。なるほどね。脱力感が襲ってくる。
「なんで?」
「いや、なんでもねー」
ことりちゃんを抱き直すようにぐっと自分の体にひきつける。クリスマスだし甘んじて倉持の計略に気づかないふりをしてやろう。
離れがたくて、寒い中庭でしばらく抱きしめあった。ドキドキと高揚してたまらない気持ちとはうらはらに体はどんどんと冷えていく。
「寒い?」
当たり前のことを聞く。寒くてもまだ離したくないのに。
「いいもの、持ってる」
ことりちゃんはそう言うとポケットから「一也 頑張れ 絶対合格」のカイロ取り出した。
「まだ持ってたのか」
「うん。宝物だし」
「じゃあ、使えねぇな」
オレは自分のブレザーのボタンを外して、その中にことりちゃんを抱き込んだ。さすがに恥ずかしいのかことりちゃんはオレを押し返そうとする。そんな弱い力で押されたって、かえって煽られるばっかりだ。あきらめたのか、わずかにオレの体を預けたのがわかった。
「クリスマスプレゼントあるんだけど、もらってくれる?」
「んー。いや、いいや」
ことりちゃんがこの腕の中にいるだけで、今のオレには他に何もいらないから。
Thanx&Love!
リクエストしてくださいましたことり様へ
20141225