夢 | ナノ

恋ふるふりおちる2

クリスマスなんてないのが野球部ってもんだ。

二学期の終業式の翌日から冬合宿が始まる。先輩たちの様子からかなりハードだということだけはわかる。彼女に電話もメールもしたくてもできないくらいになるぞと、先輩に脅しのような忠告をもらって少し心配になった。

終業式が終わって、部活が始まるまでのわずかな時間にひと気がなくなってきた教室で花沢と窓を背にして向いあう。12月の窓際はひんやりと背中の温度を奪っていく。花沢は指先が少し出るくらいまでセーターの袖を伸ばしていて、その頼りなさが愛おしい。

「そんなに大変なんだ」

事情を話すと花沢は、気の抜けるほど気楽な相づちを打つ。

いや、オレとしては、もっと残念がってほしいところだけど。

「しょうがないよね、春休みには甲子園だもん。応援行くの楽しみ」

目を細めて柔らかく笑う花沢が可愛くて見惚れてしまう。

けれど、まだレギュラーになれないオレとしては応援行くのが楽しみという言葉に現実が刺さる。練習がどんなにきつかろうと、応援してもらえることを糧にして頑張れる。彼女のためというよりは自分が彼女の応援が欲しくて頑張ることができるのだ。

「出れるといいよね」

また無邪気に可愛い顔を向ける。

「頑張るからよ」
「うん、ケガしないでね」

気付けば教室にはもうオレと花沢しか残ってなかった。背にした窓はひと気のない教室を主張するように外の気配を遮断していて、廊下も離れた階段を使う足音がわずかに聞こえてくるだけだ。そんな状態で手を伸ばせばすぐ届く花沢を我慢なんてできるわけもない。

夏前に付き合い出してそろそろ半年が経つ。デートする時間どころかふたりっきりになれることも多くない。もしかしなくても、今この時間はチャンスだ。チャンスだと気づくと急に胸が高鳴りだす。

引き寄せようと腕を伸ばそうとしたとき

「レギュラー取れたらお祝いしようね」

そう言って、オレより先に花沢はオレの手に自分の手を伸ばした。オレの右の手を自分の両手で包むように握る。そのそっと優しく艶めかしい感触に、愛しさがこみ上げる。



握られた手は自分から離すことは出来なくて、引き寄せることもできずにオレは一歩花沢へと近づく。

「取れたら」

キスしてほしい、なんて、さすがに飲み込んだ。

告白の時から、いつも一歩、花沢が先を行くのだ。本当はオレから、主導権を握って男らしくリードしたいのに、今日だってオレが手を伸ばす前に伸ばされた。そんな状態でご褒美みたいなお願いでキスを強請るのは、プライドにかかわる。もちろん花沢がそんなこと気にしてる風はないから、ただのオレの意地でしかない。

いや、そもそも、今、キスできるんじゃないか。空いた左手を伸ばせばいい。

「じゃあ、レギュラーになれるおまじないね」

ぐっと握られていた右手に重みがかかる。その反動でわずかに前にかがんだオレの頬に花沢の唇が遠慮がちに触れた。伸ばそうとしていた左手は行き場がないまま空をさまよった。

やわらかな初めての感触よりも、花沢からオレの頬にキスをしてきたという客観的事実が心を甘くしびれさせる。大胆なことをしたくせに、顔を真っ赤にさせて目をふせているのはずるいだろう。足元から溶けてしまいそうなほど愛しさがあふれてくる。

くそっ

口から出たのは、自分への情けなさ以外にない。

握られた右手はそのままに、さっき虚しく空を描いた左手を今度こそ背中に回して抱きしめた。

告白されたあの時に、尻にしかれそうと思った自分は間違ってなかったなと改めて実感する。

男らしくありたいと思うのに、頼りな気でやわらかな空気に隠された芯の強さにいつだって敵わない。

レギュラー取って、絶対にオレからキスをする。そんな決意を胸にしても、オレに預けるようにもたれかかった花沢の頭に自分の顔をすりよせて、髪をなでるのが精いっぱいだった。



20211222



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