夢 | ナノ

狼さんもお手上げ


大学に入って一人暮らしを始めた。高校でも寮だったし食事の手間が増える以外はあまり変わらない。ただ静かだなとは思うけれど。

練習を終えて帰ってくると自分の家に灯りが灯っていることに気づいた。

また来てるのか…。

良いような、悪いような。

「亮ちゃん、おかえり」

家に入ると同時に玄関からすぐ横に設置されている小さなキッチンからひょいと葉子が顔を出す。

「また来てんの」
「だって…」

葉子はちょっとすねたように目をふせる。葉子は母親同士が学生からの親友で、オレたちも小さいころから顔を合わせていた。幼馴染というには近所に住んでいたわけではないので、どちらかというと血のつながらない少し離れたとこに住んでいるいとこといった感じだ。

大学に入って一人暮らしを始めるときもオレの近くだと安心だからと母親たちが葉子の部屋も向かいのワンルームに決めてしまった。オレの意見は一切聞きもせず、安心だからと合鍵までお互いに持たせる始末だ。

何が、安心なんだ。

こっちの気も知らないで。

でも高校の時の寮は賑やかすぎたし、それに慣れた身にすれば一人暮らしの部屋は静かすぎて、帰ってきて葉子がいることは少しほっとする。良い匂いもするし。美味しい匂いが空腹を刺激して、ぐうと鳴った。今日はおでんかな。

「ご飯作ったし」
「うん、ありがとう」

それは本当にありがたい。

ワンルームの狭い部屋のベッドの前に置かれた小さなテーブルにご飯を用意してくれる。その間に練習着を洗濯機に放り込む。シャワーは浴びてきたし手と顔だけ洗う。

気楽で安心してしまうけど、オレたちは別に付き合ってるわけじゃない。そこが問題なんだけど、母親たちも当の葉子も何とも感じてない。つまりオレさえ諸々我慢すれば今のところ問題はないわけで。

「ん、上手い」

葉子は嬉しそうに笑う。葉子の料理は母親譲りなのかうちの母親の味付けにも似ていて美味しい。

「あのね、亮ちゃん」
「何」

一緒に食べながら葉子は改まったように正座をしてオレを見た。

「今日、泊まってもいいかな」

んぐっ。

流石にのどに詰まらせるところだった。けれどおかげで感情を表情から消すことだけは成功した。言うべきことはたくさんある。何でとか何考えてんのとか。けれどその全てを排除した。聞いたところで答えは1つだからだ。

「ヤダよ。自分ち帰れよ」
「そんなこと言わないでよ〜。出たんだもん!」
「出た?!」

ホラー好きのオレとしては聞き捨てならない。どうせなら部屋を交換してほしい。そんな考えがわかったのか葉子はため息をついた。

「違うよ、そっちじゃなくて。ゴキちゃんが出たの」
「あぁ、なんだ」

嫌悪感があるくせになんでちゃん付けするのか理解に苦しむけど。

「そんなのうちも出るんじゃん」
「でも亮ちゃんいたら退治してくれるでしょ」
「…ホウ酸団子置いときなよ」

飛ぶからあんまり好きじゃないとは言わないでおく。寮はあちこちにホウ酸団子を置いてたおかげでほとんど見たことがないし。

「今日は泊めて。明日置きに行くの一緒に行って」

頑として譲らない葉子にため息も出ない。

「布団ないし、ヤダよ。ベッド狭いし」
「ゲームしようよ。徹夜で」
「春市じゃあるまいし、ホラー映画なら見てもいいけど」
「それは…わかった。亮ちゃんの好きなホラー見てもいいから泊めて」

怖がりでホラーなんて絶対見れないくせに、それでも帰りたくないくらいらしい。

「…わかったよ。今日だけだからね」

結局オレが折れた。春市にしても葉子にしても最終的に二人のワガママを聞いてしまう。そうして飯を食い終わって、片づけして、いい時間になった。

「あれ、見ないの?」
「もういいよ。寝る」

先に寝た者勝ちだ。だいたいホラー映画なんて見たら葉子が怖がってくっついてくるに決まってる。そんな拷問に耐えるくらいなら寝てしまった方がましだと判断したのだ。

ベッドに入って背を向ける。するとほぼ間髪いれずに葉子も布団に入ってきた。

はぁ?!

「亮ちゃん、電気消す?」

こともなげに聞いてくる葉子に呆れて怒りも出てこない。そりゃあ、子供のころは一緒にお風呂も入ったよ。でももう19才だ。

「何かね〜、こういうのソフレっていうんだって」
「ソフレ?」

無視して寝たふりしようと思ってたのに聞きなれない言葉につい反応してしまった。

「添い寝フレンド」
「…何それ」
「何にもしないで寝る友達? 友達以上恋人未満みたいな感じって言ってたかなぁ。キスフレってキスまでの友達もあるんだって昨日テレビで言ってた」

なるほど。確かにオレたちは友達以上恋人未満に近い関係だけどね。それはオレが我慢してるから成り立つんじゃん。そんな世間の草食系とバリバリの体育会系を一緒にするなよ。

「おやす…亮ちゃん?」

葉子の方に向き直った。顔がすぐ近くで、息もかかる。布団にはお互いの体温がすでに移ってて、その温かさは居心地が良すぎる。

「ソフレってどこまでOKなの」

狭いベッドだから、手を回すことなんて簡単にできた。腕を首と腰に回して抱き寄せた。葉子の息がちょうど自分の鎖骨にあたった艶めかしい。

「どこって…亮ちゃん」
「キスフレっていうのもあるんだっけ」

そう言って自分のくちびるを葉子の額に押し付けた。きゅっと葉子の体が硬くなったのがわかった。回した腕から少し力を抜くと、葉子は逃げるようにベッドから飛び出した。ほら、そうなるだろ。だからヤダっつったんじゃん。

「だから、帰れよ」
「…亮ちゃんの意地悪!」
「最高の褒め言葉だね」

余裕綽綽と受け流す。葉子は仁王立ちしたままむうっと頬を膨らませた。

「亮ちゃんがそんなことするなんて思わなかった」
「あのさぁ、オレをなんだと思ってんの。普通にやりたい盛りだからね」

ベッドの上であぐらをかいて腕も組む。威張ることじゃないけど、実際みんなそうだし。ほんとソフレを受け入れられる男が理解できないから。そこまで思って、あぁ、好きじゃない女だったらアリかと気づく。

「何それ、亮ちゃんセフレがいるの?」
「はぁ?! なんでそんな話になんだよ。いる訳ないだろ。ちゃんと好きな子としかしないよ」

ってほんと何言い合ってんだ、オレら。

「…好きな子いるの」
「…いたら悪い?」

おまえだよ、このバカ!

そう言えたらどんなに楽か。さすがにイライラしてきた。でも簡単に家族に近いこの関係を壊すわけにいかないことは好きだと気づいた中学の時からずっと考えてきたことだ。葉子の気持ちが自分にないうちはこの想いを伝えるわけにはいかない。

「ヤダぁ…。そんなのヤダ」

突然葉子がポロポロと涙を流した。泣き出すとは思ってなかったから驚いた。ベッドから立ち上がって葉子の側に寄るとオレのスウェットの端を掴んできた。

「…何泣いてんの」

いいようにとっちゃうけど。泣きじゃくるだけの葉子の背中に手を回す。回した手でゆっくりと葉子が落ち着くまで頭と背中をなでた。

「ソフレとかキスフレとか…フレとっちゃっていいよね?」

葉子のスウェットを握る手に力が入ったのを見て、いいのか悪いのか判断に迷う。強引にキスしちゃおうかなと思うとほぼ同時に葉子が顔をあげた。

「そういうこといちいち聞かないで、意地悪」

目をうるませたままそういう葉子の頬を両手で包むようにして親指で涙をぬぐう。じゃあ、遠慮なく。

葉子のくちびるに自分のくちびるを、試すように軽く合わせた。もう一度葉子の目を見て大丈夫だと確認して、愛おしいと思う気持ちを存分にくちびるを合わせて伝えることにした。





「つーか、なんで布団入ってきたんだよ」
「…亮ちゃんにくっついてたかったんだもん」

何それ、確信犯なんじゃん。

「じゃあ、なんで逃げたの」
「…亮ちゃん、思ってたより手早いんだもん」

ケンカ売ったね。今、間違いなくオレにケンカ売ったよな。今までさんざん我慢してきたオレに対してよくも言ってくれたよ。

「そう、オレ手早いから」

もう一度引き寄せて、さっきよりも少しだけ激しくくちびるをあわせてやった。息があがってさらに目を潤ませた葉子を見て、今日はここまでだなぁと思った。今更急ぐ気もないし。全くここで止めてやれるだけ優しいと思ってほしいね。




20160205


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