成宮鳴
鳴マト長男視点
家に帰ると、もう夜の九時を回っている。玄関を開ければ、騒々しいほどの賑やかさだ。ちょうど弟たちが風呂に入る時間帯だからだ。
オレがリビングに入ると、風呂上りの次男と三男は頭からタオルをかぶったままゲームに没頭していた。
「おい、風邪ひくから頭先に乾かせよ」
「あ、おかえりー」
二人の頭を小突くと、次男だけは頭をあげた。三男は生返事でゲームに没頭したまんまだ。だからといってオレもそれ以上どうこうは言わない。そこまで世話を焼くつもりもないから、長男として一言だけ言うだけ言っておく、それくらいのものだ。
「おかえりー。チンしてねー」
風呂場の方から母親の声がする。四男を風呂に入れているのだろう。食卓に用意されている料理を電子レンジに入れる。炊飯ジャーからごはんをよそう。コンロの方を見れば味噌汁があるので、スイッチを入れた。
中学に入ってまだ二週間だけれど、この生活パターンにも慣れてきた。
学校は家から私鉄で30分ほど先のゆるい中堅の中高一貫私立校だ。中学は高校よりも生徒数も少なく、運動部もさほど熱心じゃない。先生の面倒見が手厚く穏やかな校風が売りだ。
オレがそこを選んだのもサッカーのクラブチームに通うためだった。ちょうど家とクラブチームの練習場との間に学校があるのだ。学校には受験前に放課後に学校から練習場に行くことを了承してくれると確認済みでの受験だった。
実際、入学してみると、バレエや音楽や…それこそ野球のシニアチームに所属していてってオレと同じ事情で入っている生徒が意外に多いのがわかった。自分だけ特別じゃないとわかってほっとした。
けれど、二つ、誤算があった。
まず一つ目は部活動は全員参加だってことだ。どこかに所属しなくてはいけない。とはいえ、ほぼ毎日をクラブチームの練習に行くオレにはかなりハードルが高い。幽霊部員になって当然だからだ。最初は文化系でなら幽霊部員もありかと考えたが、実は文化系の方が熱心だった。
そしてもう一つが、入学して一番最初に親しくなったヤツが野球部に入ったことだ。シニアで野球するほどじゃないからと本人は笑ってた。そして、幽霊部員でもいいから野球部入ってよと誘われた。正直、野球とは関わりたくないから困る。でも仲良くなったとこだし、波風もたてたくない。
何より、親父があのMEIだと知られたくない。
親父は今季もメジャーでプレーをしている。昨シーズンはいまいちだったけど、中継ぎからクローザーに変わって、調子をあげているらしい。
夕食を自分でセッティングできたころに母親が四男と風呂からあがってきた。
「あ、お味噌汁もできた?」
「うん」
そう、と母親は穏やかに笑う。四男は風呂で暴れすぎたのか、湯だった顔でパジャマを着せてもらいながら立ったまま船をこぎ出した。三男もあくびをしている。それでもうちは誰一人として10時までは寝かせない。やさしい母親もこれだけは譲らないのだ。
鞄の中から今日出た宿題のプリントを出す。行儀が悪いのはわかっているけれど、とにかく時間がない。以前やらないよりマシでしょと言うと母親はあきらめたようだった。食べながら、英語のアルファベットを書いていく。4歳から小学校に上がるまではアメリカにいたから、英語はさほど苦じゃない。それだけに簡単すぎて面倒だけど。
ふと、部活のことが頭をよぎった。親父はシニアで野球をしていたはずだ。部活はどうしてたんだろう。
「ねぇ、親父ってさ、中学の時って部活何してたか知ってる?」
「え? 野球じゃないの?」
母親は首をかしげる。野球以外にできることあるかなぁなんて呟いたのが聞こえた。それ、親父が聞いたらけっこう怒るような気がする。
「本人に聞けばいいじゃない。もうすぐ時間だし」
と、テレビをつけてスカイプをつなげた。
毎日、夜の10時にボストンにいる親父とスカイプをするのが我が家の日課だ。もちろん、親父の都合でキャンセルされることはあっても、こっちの都合はお構いなしだ。
「あ、お父さん!」
眠そうにしていた三男が父親の姿に一気に眠気が飛んだらしい。
「おー、元気だな」
それこそ、まだ眠そうな親父は寝癖をつけたまま、それでも笑顔を見せた。テレビの前には次男と三男と四男と母親が並んでいる。カメラはテレビの上についているから、食卓にいるオレは映ってない。
まずは四男が言いたいことを支離滅裂な日本語で話す。4歳だから話は突飛だ。けれどそれを一人前として親父は扱う。決して赤ちゃん言葉で適当に相槌を打ったり、話を先回りして結論を言ったりしない。四男はそんな親父に満足して三男と交代する。
三男も今日あったことをいろいろ話している。親父もそれにちゃんと聞いていると思いきや、は?何それ、お前バカ?なんて普通に言うから三男もケンカ腰になる。親父と三男は一番性格が似ていると母親はいつも笑う。だから衝突するのだ、と。もういい!なんてすねたのは親父の方だった。おまえ、いくつだよ。三男か親父か、どちらかがすねて終わるか、妙に大盛り上がりで終わるかがこの二人のいつものパターンだった。
次男は穏やかに親父と話している。自分のことだけじゃなくて、親父の方の話を聞くのは次男くらいだ。親父はなんだかチームメイトのくだらない話をして笑ってて、次男もそれに笑っていた。
「あれ、アイツは?」
その声に全員がオレを見た。まだ食ってるから、まだ宿題あるから、なんていって拒否はできない。のろのろと立ち上がって、カメラの方へと行く。
「あれ、まだ制服じゃん」
「さっき帰ってきたから」
「ふーん」
と、話がとぎれた。最近親父と何を話したらいいからいまいちわからなくて困る。昔みたいに無邪気にお父さん!なんて言えなくなってる。と、母親が助け舟を出した。
「部活のこと聞きたいんじゃなかったの」
「あぁ〜、うん、まぁ」
「何、部活って」
そう親父が言ったところで四男がついに寝落ちた。母親は抱っこしてベッドへと連れていく。ついでに次男と三男にも寝るように促した。二人は親父におやすみと言うと、二階へと向かう。
気づけは親父とタイマンだ。他のヤツの目があるよりもまだ話やすいかな。
「部活しないとダメでさ」
「サッカーでいいじゃん」
「入れないんだって、チームの方があるから、迷惑もかかるし」
「ふーん」
つまらなそうな親父の相槌に、こんなやつに相談するなんて失敗したと思った。うつむいて、座っている自分の靴下を見る。
「お前さ、どこまで考えてんの」
真剣な声音に顔を上げた。
「どこって…」
「オレはねー、中学ん時は陸上部。オフん時に走りこめるしね。野球に役に立つことが前提で入ったけど。だって、体力いるじゃん。プロで先発だったら中5日だけど、甲子園だったら真夏に連投じゃん。先発完投が理想で目標だったしなー」
最初はオレに言い聞かせるような口調だったのが、最後は昔の自分を懐かしむ様子になった。中学の時、すでに親父には今の自分のビジョンがあったってことだろうか。ここまでたどり着く、中学の時からそんな覚悟で野球をやってたんだとわかって、少し尊敬してしまう。
「お前もさ、サッカーどこまでやる気かしんないけど、全部自分のためになることだけしてけよ」
「あ、うん」
そこに母親が戻ってきた。親父が目じりを下げたのがわかって、オレは食卓に戻った。
ねね、今度いつ来る。ゴールデンウィーク?なんて、親父の甘えた声が聞こえて鳥肌がたった。仲がいいのはわかってるけど、聞いてられなくて、急いで食べ終えて、プリントを引っ掴んで二階へと急いだ。
子供の前で男女の顔はしないでほしい。
ため息とともに自室に入って、風呂に入る用意をする。練習着を洗濯に出すのに持っていくために鞄から取り出す。
思い立って、タンスからユニフォームを取り出した。まだ下部組織とはいえ、憧れのチームのユニフォームだ。それを広げて、想像する。トップチームでこれを着てプレイする自分を。そして、初めて自分の明確な将来のビジョンに興奮した。それと同時に今まで覚悟を持ってサッカーに向き合っていなかった自分に気づいた。
今の自分と中学生の時の親父と。
比べてみれば、オレの負けだ。
さすがメジャーリーガー様だよ、ほんと。くそ腹立つし、あきれることも多いけど、それでもやっぱりプロなんだと思わされた。
明日、入部届を出しに行こう。親父は陸上部だったっていってたから、オレは水泳部に。アイツをプロとして尊敬してもコピーにはなりたくないから。
大人としては最低なくらい子供っぽいしな。
寝ぼけまなこで寝癖をつけて、それでもほぼ毎日オレたちと顔を合わせてくれるメジャーリーガーなんて世界中探してもアイツだけだ。
オレが水泳部に入ったって言ったらアイツはどんな顔するんだろう。少し愉快な気持ちになって、知らずに笑みがこぼれた。
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親父→アイツはライバルになった瞬間
20140926