夢 | ナノ

きいて

 クラブハウスにはマネージャー用の部屋がある。人数が増えたので、部室のように使える部屋を林田部長が作ってくれたのだ。他の部屋とはちがって、女子用にと、土足厳禁の絨毯にしてくれている。クッションもいくつかみんなで持ち寄って、かわいらしく、なかなか快適な部屋になっている。もちろん、男子部員は入室禁止だ。

 その部屋を昼休みに掃除していると、誰かがやってくる足音がした。扉が開くと同時に名前を呼ばれた。

「花沢」

 怒気の孕んだその声に私は知らずため息をついた。原田が私の名前を呼ぶとき、ほとんどといっていいほど怒気が孕んでいる。もちろん、その怒りの矛先は私ではなく、うちの絶対的エースのせいとわかっているけれど、あまり気分のいいものじゃないのも事実だ。こちらもつい、胡乱な目を向けてしまう。

「何? ノックくらいして」
「目薬さしてくれ」

 原田は一応、中には入らずに、外で立ってる。私は原田の言葉を理解できなくて、数秒、考えた。意味はわかるけれど、理由がわからない。

「自分でさしなさいよ」

 真っ当な返事だと思う。原田は苦虫をかみつぶしたような顔をした。

「オレじゃねぇ。鳴に決まってんだろ」

 成宮なら決まってるのか。それもどうなの。とにかく話の趣旨がわからない。原田ってちょっとそういうところがある。殿様然としているというか、戦国武将好きが変な方に影響してるんじゃないかな。

「目薬くらいいくら成宮でも自分でさせるでしょ」
「できるんなら頼まねぇ」

 即答された。ちょうどそこに左目に眼帯をつけた成宮とその両脇を逃がすまいと固めている神谷と平井がやってきた。

「葉子さんじゃなきゃ、やだっ」
「してくれるってよ」

 私の返事を待たずに、原田は成宮にそう告げた。成宮はぱぁっとうれしそうな顔をすると、神谷と平井をふりきって、靴を放り出すように脱ぎ捨てると私の元へ来た。

「言ってないし。自分でさしなさいよ。てか、部員入室禁止」
「えー、無理」
「だいたい、それどうしたの?」

 左目の眼帯は少し痛々しい。

「朝起きたらものもらいになってた」

 しゅーんと音がしそうなほど落ち込んだふりを成宮はする。ふりだとわかっているのに、うっかりかわいそうなんて母性本能がくすぐられそうなところを何とか押しとどめる。

「ちゃんと病院でもらった目薬ささないと治らないってのに、自分じゃさせないっていうんだ」

 平井が大きくため息をつく。

「オレやカルロスじゃヤダっていうし」
「治らねぇと危なくて練習にならねぇしな」

 確かに、片目で硬球飛び交うグラウンドは、いくらなんでも危険だろう。それこそ、何かあったら大変だ。

「そうよ、ブルペンにも入れないんじゃないの」
「わかってるけど、無理っ」

 ぷいっと横を向く。投球練習をエサにしてもダメってことは、ほんとに自分でさせないってことだろう。投げられないことは何よりも成宮にとって苦痛なはずなのだから。

「今までどうしてたの」
「目薬なんてあんまりさすことなかったし、姉ちゃんたちがさしてくれたし」

 成宮の弟大好きお姉さんたちを思い浮かべて、なるほどと思う。試合のときに何度か会ったことがある成宮のお姉さんたちは、ほんとに成宮のお姉さんだなぁと思う人たちだった。この人たちに甘やかされたら、こんな風に育って然るべきというか。成宮に至っては、お姉さんたちに世話をさせてあげることが孝行って思っているくらいの感じすらするし。

「神谷でも平井でもいいじゃない」
「男なんてヤダっ」

 まぁ、そうだろうけど。じゃなきゃ、私のところまでくるわけないもんね。

 成宮の世話をするのは嫌じゃない。というよりも好きだけど。それだけに近づきすぎるのは、私の心臓が持たないから困るんだ。けれど、そうも言ってられない状況のようだ。私が何とか何事もない風を装えればいいだけだ。

「わかった。すればいいんでしょ、すれば」

 半ばやけくそ気味にそう言うと、成宮は満面の笑みを浮かべて、自分の横にクッションを持ってきて、ポンポンと軽くたたいた。そこに来いってことだろう。

 そんなかわいい仕草にきゅっと胸が高鳴る。それを何とか無表情に押し込めて、成宮が指定した場所に座る。渡された目薬のキャップを外そうとして、突然の太ももへの重みと、その原因に驚いて、叫んだ。

「きゃー! 何っ、何っ、何す…!」
「いたっ!」

 ゴツンと大きな音をさせて、成宮は頭を床にぶつけた。

 成宮は座ってる私の太ももに頭を乗せたのだった。私はそれに驚いて、叫んで勢いよく立ち上がったため、成宮は頭を床にぶつけるはめになったのだった。

「葉子さん、何すんの」

 頭をさすりながら、成宮はも〜、なんてくちびるをとがらせる。

「それ、こっちのセリフだから」

 逃げるようにして部屋のすみで立ちすくむ。扉付近ではさすがに原田たちも目を点にしている。

「何って、目薬さしてくれるっていうから」
「目薬さすのに、なんでそんなことするのよ!」
「えー、目薬さしてもらうときっていつも膝枕だもん」

 だもん、じゃない!

「絶対無理!」
「どうしてっ!」

 どうしてって、付き合ってもいない男子を膝枕できるほど、私の肝はすわってない。付き合ってたってそんなに簡単にできるとも思えないし、いくら成宮をかわいいと思っていたって、というよりも、好きだし、かわいいと思っているだけに、なおさら無理だ。

「恥ずかしいじゃない!」
「なんで〜?」

 成宮はほんとに理解できないというふうに頭をさすりながら首をかしげる。これだ。信じられないくらいのわがままをきいてもらえて当然だと根拠のない自信を持っている。それはまちがいなく成宮のお姉さんたちの存在があるからなんだろう。

 でも。だからって。

「人前ですることじゃないでしょっ!」

 まだ成宮の重みを足に感じて、心臓はドキドキしているし、恥ずかしさから耳まで赤くなっている自分がわかる。

「人前じゃなかったらいーんだ?」

 ぱあっと成宮の顔が明るくなる。その顔に私はとんでもない失言をしたことに気づいた。

「だって! 雅さんたち、出てって!」

 ほらほら早くと成宮は扉付近で様子をうかがっていた原田たちを追い立てる。

「違う違う! そうじゃなくって!」

 あわてて、それを止めるけれど、成宮は聞き入れない。原田たちも微妙に私に同情する目をむけつつ、その場を去ろうとする。

「ちょっと、原田! 待ってよ! 平井も!」
「観念しろ」
「まぁ、ほら、何が優先って鳴に目薬さすのが優先だからさ」

 私の悲鳴に近い懇願は全く無視されて、じゃ、よろしくっと軽く手を挙げて神谷は扉を閉めてしまった。パタンと思いのほか静かに扉が閉められる。

 部屋に残されたのはものもらいの成宮と立ちすくむ私。

「葉子さんっ」

 弾むような声音で成宮は、また自分の隣に置いてあるクッションをポンと叩く。いや、もうそこには座れない。

「そのクッションに頭、置いて」
「えー、やだー。葉子さんがいい」

 この期に及んでもまだ駄々をこねる。かわいいんだけど、かわいいんだけど、ほんとに無理だから。なんとか切り抜けようと頭を働かせる。

「そうだ! 私、膝枕で目薬なんてさしたことないから…」
「ないから〜?」
「平井で練習するわ!」
「なんでそうなるの!!」

 成宮はつかみかかる勢いで立ちすくむ私に寄ってきた。それからさらに逃げるように部屋の逆方向へと走ると、成宮はもう追いかけてはこなかった。ちょっと傷ついたような顔をする。その顔に胸がしめつけられる思いがするけれど、でもやっぱり、膝枕はハードル高すぎる。

 成宮はその場で座り込むと、頭をガシガシっとかきむしる。

「もう! わかったから」

 そう言うとあぐらをかいたまま、眼帯を外すと顔を上にむけた。

「ほら、早くしてよ」

 思いのほかあっさりとあきらめた成宮にほっとする。それでも恐る恐る、目薬のふたを取りながら、近づいた。

 あぐらをかいて上を向く成宮の後ろに回って、膝立ちをする。顔を覗き込むと、腫れた目元が痛々しい。そこに目薬をたらした。

 ただこれだけのことに、どれほどの気力と体力と時間を消耗したことか。

 ほっとして、一息つく。そして、まだ下から私を仰ぎ見るかたちで成宮がニヤニヤしているのに気づいた。

「何?」
「えへへっ。膝枕よりいいね。胸があたって、気持ちよ…っ痛っ!」

 成宮の言いたいことに気づいて、遮るように言い切る前に額を上から叩いた。確かに目薬をさすときに胸が成宮の頭にあたったような気はしたけど、まさかそんなこと思ってたなんて、恥ずかしくてたまらない。

「痛いよ、葉子さん、首ありえない方に曲がるじゃん」
「そんなに強く叩いてないから。あー、もう昼休み終わっちゃうじゃん」

 首をさすりながら立ち上がる成宮に置きっぱなしの眼帯とを手渡した。

「有意義な昼休みだったねー」
「どこがよ」

 結局、掃除も中途半端にしかできなかったし。ため息をつきながら成宮を背に扉を開ける。外にはまだ原田と平井と神谷が立っていた。いたの、と私が言う前に成宮の声が響いた。

「だって葉子さんの胸触れたし!」

 ちょーラッキーなんて口笛ふくほどご機嫌の成宮に目を見開く原田たち。

「あれ、雅さんたちまだいたの」

 成宮は自分の発言がどれほどの爆弾なのかわかっていない。原田たちの目が私を見る。思いっきり首をふる。違うって、ふってふってふりまくった。けれど、誰も聞いてくれない。みんなニヤニヤしているだけだ。そして、この誤解が解けるのにはずいぶんと時間を要することになる。


20140907


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