ゆさぶって
202話辺りでの話です。(アニメ派の方はご注意ください)
「そんじゃー、お休みーー!!」
大きく手をふって、大部屋を後にする。
「さ〜、明日もさわがれるぞー!」
鼻歌まじりに行く先は女子マネージャーたちの部屋だ。部屋の前まで来るとさっきまでいた大部屋とは違う華やかな声がもれてきている。息を大きく吸って、扉をたたく。
「はーい」
「誰?」
中から何人かが問いかける声がしてきた。扉はオレの返事を待たずに開けられた。
「ぶよーじんっすよー」
女ばっかなのに。そんなオレの言葉はあっさりとかき消される。
「成宮」
「成宮先輩」
突然の訪問にきゃっきゃと騒ぎ出す。外にいるファンの女の子たちとこういうところは大差なくって、うれしくなる。親父が男はちやほやされて育ってこそだと言ってたけど、まちがってないと思う。全員の顔を見渡して、葉子さんがいないことにはとっくに気付いている。けれど、それを顔には出さない。だってそれはちやほやしてくれる女の子たちに失礼だから。
「明日、みんなを日本一のマネージャーにするからね!」
ぴっと人差し指をみんなの方に差し出すと、きゃーっと騒ぎ出した。口々に頑張ってとか信じてるとか言っているのを得意満面の顔で受け止める。みんながオレに期待していると改めて確認して力に変えるためだ。
しばらくすると葉子さんと仲が良くて、マネージャーの中でリーダー格の林先輩が騒ぎを抑えるようにパンパンと手をたたく。ちょうど頃合いだ。
「ほら、成宮も。明日のために早く体休めなさい」
「うん、お休み〜」
部屋を出るオレに林先輩はこそっと耳打ちする。
「電話しにいった」
誰とは言わないし、誰がとも聞かないけど、葉子さんのことに違いなくて、オレはへへっと笑って頷いた。林先輩はポンっとオレの背中を叩いて、いってらっしゃいと小さく言うと扉を閉めた。
いってらっしゃいってなんだかなー。てか、どこで電話してるんだか。何よりもこんな日に誰に電話してるんだって、そっちの方が気にかかる。
とりあえず、下のロビーに向かおうと階段にさしかかったところで、見覚えのあるタオルが見えた。下から葉子さんが上がってくるところだった。肩には今回の甲子園が決まって保護者会が揃いで作ってくれたタオルをかけている。白にえんじ色でINASHIROと大きく入っていて、個人の名前も刺繍されている物だ。
「何してるの?!」
「葉子さんこそ何してんの。せっかくマネ部屋でかっこよく決めてきたのに」
ぷうっと頬を膨らませると葉子さんは笑って手にした携帯を掲げる。
「親が急に明日来るって言うからさ〜」
「え、今まで来てなかったの」
「うん。仕事休みにくかったみたいなんだけど」
そこで言葉を切るとふふっと少し得意気に笑う。
「自分の子供が稲実の野球部でって言ったら決勝なのに何してんの、って言ってもらえたんだって。成宮のおかげだね」
「でしょ、でしょ。オレがんばってるもんね」
ふふんとふんぞり返ると、ほんとほんとと葉子さんが笑う。
いつもより、二人の間の空気がくだけているのがわかる。踊場にもたれかかった。もう少し話したいの意思表示みたいなものだ。葉子さんはわかったのか、特に気にしてないのか同じように隣にもたれかかった。
「そういえばさ、雅さんの彼女の話聞いた?」
「うん、知ってるよ。いろいろ聞かされてるもん」
「そうなんだ! ずるい、雅さんオレにはあんまり教えてくれないのに」
「私は彼女から聞いてるの。原田が言うわけないじゃん。てか、原田からそんな恋バナ聞きたくもないわ」
雅さんが甲子園の予選が始まる前に「甲子園決まったら告る」と彼女に言ったら「そんなに待てない」って言われたって話だ。さっき大部屋でちょっとその話で盛り上がったのだ。
「でも、姑息だよね。告るって言っちゃった時点で告ってるじゃんね」
「まぁ、甲子園に行ける自信があったってことじゃない」
葉子さんは笑って言う。
「オレなら…」
葉子さんの前に回り込む。まっすぐに葉子さんを見た。両手はポケットに入れたまま、ぐっと握りしめた。
「オレなら、言わない」
甲子園で優勝したら告るから、なんて。絶対に言わない。自分の中で約束していればいいことなんだ。決して低くはない目標だ。けど、ハードルは下げたくない。野球に対してもそうだけど、オレは好きなものに対してはかなりストイックになれるみたいだ。
だから絶対に明日、勝ってみせる。
葉子さんはオレの言葉の意味がわかってないのか、首をかしげてる。
「ま、それはいいとして!」
葉子さんに意味が通じても困るから、無理やり話を変える。一息吸ってから、左手の人差し指を葉子さんに差し出す。
「明日、勝つから。日本一のマネージャーにしてあげるから」
マネージャーたちに言った言葉と同じ。けれど、持つ意味はまったく違う。マネージャーたちを日本一にするのは彼女たちの期待に応えること。葉子さんを日本一にするのはオレの願い。葉子さんがたとえ望まなくても(もちろんそんなことないに決まってるけど)、オレは葉子さんをオレの手で日本一にしたいんだ。
「ありがと。明日が楽しみ」
葉子さんはとてもかわいい笑顔をみせると、突き出したオレの人差し指を握った。館内の冷房のせいか冷えていたオレの指は葉子さんの手のぬくもりが移ってきて気持ちよくて、一瞬でオレの今までの我慢をチャラにしそうな威力がある。
「…葉子さん?」
「成宮に日本一にしてほしい人、この指とーまれって」
なんて言って笑う。あぁ、もう! どうしてそんな簡単にオレの心をぐっと揺さぶって、まるで宙に浮いているような気持ちにさせるんだ。下っ腹に力を入れて、深呼吸をする。オレは今、過去最大級の我慢を強いられている。
「成宮、冷えてきてない?」
「えっ」
葉子さんはオレの指を握っていた手を、オレの肩に伸ばす。そっと触れられた手はやっぱり少し自分の体温よりも高くて気持ちいい。
「ほら、やっぱり! 冷えてきてる。肩冷やしたらダメじゃん」
一瞬で柔らかい空気が消えてなくなる。残念な気持ちとほっとした気持ちがまざって、ため息が出た。
「館内けっこう冷房きついんだよね。もう、早く寝な」
葉子さんは自分の肩にかけていたタオルをオレの肩にかける。ふわりと葉子さんの温もりも一緒に肩にかかる。
「葉子さん、ほんとオレのこと好きだよね」
「マネージャーとしての気遣いです」
「またまた、オレのこと大好きなくせにー。成宮明日がんばってね絶対勝つよね私のかっこいいエースだもんねってちゅーって感じでしょ」
いつものような軽口を叩く。それに葉子さんが冷たく返す。それがいつものオレたちだったのに。葉子さんは、はっとしたようにオレの顔を見た。いつもと違う様子に戸惑う。
「葉子さん?」
「その息継ぎなしのバカ発言も今日で最後かなって思っちゃって」
明日、勝っても負けても。
「まだ早いよ。明日の朝、試合前と試合後と、学校まで帰る間と、祝勝会と、ね」
思いつくままに明日からの行動を指折り数えて口にする。
「そっか、まだそんなに付き合わなきゃダメだったっけ」
「えー、何それ、ちょっとさみしくなったくせに」
「違うよ、せいせいするなって思ったの」
図星だったのか、葉子さんは少し顔を赤らめた。ほんとオレのこと好きだよね。オレもそんな葉子さんが大好きだから。だから明日まで我慢する。
「さ、明日に備えて寝るか〜」
「寝違えないようにね」
「わかってるって」
葉子さんにかけられたタオルの両端を両手でぎゅっと握る。
「これ借りといていい?」
「ダメ」
「うわ、瞬殺」
「成宮のもあるでしょ」
「洗濯出しちゃった。だから明日まで」
洗濯したタオルは明日の試合前にマネージャーたちがユニホームと一緒に大部屋に並べてくれるはずだ。
「…わかった。よだれ鼻水鼻血厳禁だからね」
葉子さんは釘をさすようにオレの鼻先に人差し指をたてる。オレはその指を見て、瞬時にいいことを思いついた。さっきまでオレを惑わせた意趣返しになると思って、顔が無意識にゆるむ。
「成宮…?」
「葉子さんが好きなヤツ、この指とーまれ」
葉子さんが好きなヤツ、葉子さんのことが好きなヤツ。どっちの意味も込めてオレはその指を、優しく握った。好きなものにストイックなオレは、今日はこれくらいで我慢しておくことにした。
―――明日のために。