夢 | ナノ

甘いの甘いのとんでいけ

 土曜日の家庭科室は私たちの部室代わり。電子レンジに冷蔵庫、おいしいお弁当とおやつを食べることができる設備が整っているからだ。もちろんほんとはダメなんだけど、そこはそれ。家庭科の先生が顧問なのをいいことに私たちは我が物顔で占領していた。

 パァンと大きな音がして扉が開いた。びっくりして、林子はなぜかすいませんと立ち上がった。入ってきたのはパンパンのかばんを持った伊佐敷くんだった。伊佐敷くんはお弁当を広げている私たちとなぜか謝った林子を一瞥すると、ボンっと机の上にかばんを乱暴に置く。そのまま備品室に入ったかと思うと、アイロンとアイロン台を手に出てきた。

 バンとまた大きな音を立てて、机の上にアイロン台とアイロンを乗せる。アイロンのカバーを外すとドカドカと歩いてアイロンのコンセントを差し込みにいく。

 一つ一つの動作がどうしてと首をかしげたくなるほどに、大きな音を立てている。うわさ通り乱暴な人なんだと思った。

 伊佐敷くんは有名人だ。野球の名門校といわれるこの学校の野球部だから。それもただの部員じゃなくて、一軍ってやつだから。来年には主軸になるとかならないとか。こういう話も特別に私が野球部に興味があるから知っているわけではなくて、まぁ、この学校の誰もが知っていて当たり前な時事的うわさ話なのだ。

 私は伊佐敷くんとは同じクラスになったことがないからよく知らないけれど、今、同じクラスの林子と親しく口をきくそぶりも見せないあたり、無愛想で怖いということもうわさ通りなんだとわかる。

 でも、そんな強面三羽烏の伊佐敷くんが家庭科室でアイロン? もしかして、寮生なのかな。

「ね、伊佐敷くんって寮生なの」

 こそりと林子に聞くと林子はウンウンと無言で頷く。伊佐敷くんとかかわりたくないと思っているのがありありとわかる。

 伊佐敷くんはジーっとかばんのジッパーを開けるとわさわさと白いものを出していく。圧縮機能がついていたのかと思うほど、かばんから次から次へと白いもの −どうやら制服のシャツらしい− を取り出して、山のようにつみあげた。

 バサッバサッとその一枚をアイロン台に乗せた。そのまま腕組みをして動かない。たぶん、アイロンの温度があがるのをまっているんだろう。眉をしかめて目をつぶっている。

 怖い。

 本気で顔が怖い。

 うわさで近くの幼稚園児を見ただけで泣かせたとか、何もしていないのにすれ違った中学生が突然土下座して謝ったとか聞くけれど、あの顔なら仕方ないだろう。それでも結城くんや小湊くんほどではないけれど、ファンとかいうのもいるらしい。もっともその声援は黄色というよりは野太いらしいけれど…。

 カッと目を開くとアイロンを手する。シュワーと蒸気がアイロンから上がる。

「ぬおっ、熱っ!」

 蒸気にもろに手をかざしたらしい。伊佐敷くんはクソッタレとか汚い言葉を吐きながら、手をブンブンとふった。蒸気ってすごく熱いのにあれですませるつもりなんだろうか。そんな私の心配通り、そのままアイロン掛けを続ける。最初は怖いもの見たさだったけれど、だんだんと気が気じゃなくなってきて、目が離せない。

 はらはらしながら、様子を伺う。

「っし!」

 なぜか気合を入れてアイロンを掛け始めた。妙に猫背になって、袖口の細かいところに真剣になっている。アイロンってそんなに真剣な顔してするもんなんだろうか。

「あっっっっつ」

 またしてもアイロンに手を当ててしまったらしい。左手をフルフルとふると何を思ったか、人差し指をパクっと口にくわえた。

「えっ?!」
「あ゛?」

 伊佐敷くんの思わぬ行動に思わず声が出てしまった。伊佐敷くんは口に指をくわえたまま、私を見た。

「や、えーと、あの…」

 どうやってごまかせばいいか。別にごまかす必要なんてよく考えたらないんだろうけれど、微妙な空気が流れていることも事実で…。林子はバカっと声に出さずに私を責めた。

「て、手伝おうか」

 気まずさから出した私の結論だった。

「…でけんのか」

 ちゅぱっとかわいい音を立てて、人差し指を口から出すと、ふーふーと息をかける。怖い顔をしているわりにはすることが妙にかわいい。そのギャップに思わず笑みがこぼれる。

「何だよ」
「ううん、手伝う」

 突然の私の笑顔にうさんくさそうに片眉をひそめる伊佐敷くんに、小さく首をふって近寄っていく。

「すごいたくさんあるね」
「先輩たちのだからな」

 なるほど。こんなに強面でも三年の先輩からは使われる立場にあるらしい。野球部の縦社会って恐ろしい。

「寮のアイロン、壊れちまってよ」
「ふーん、大変だね〜」

 バサリと誰のものかわからないシャツを取り上げる。先輩のものってことは下手にかけたら伊佐敷くんが怒られる…のかな? 少し不安になった。私のせいで怒られたってことになったら、恨まれるだろう。この顔に恨まれたらきっと眠れない。

「ごめん、手伝おうかって言っといて何なんだけど…私、うまくはないかも」

 ちらっと上目遣いに伊佐敷くんの顔色を伺う。と、伊佐敷くんはニッと笑った。笑うんだ、この人! いや、人である以上いくら強面だからって笑うことだってあるだろう。けれど、予想外だったのだ。笑ったことが、ではなく、その笑顔が…。すごくいい笑顔だったのだ。子犬くらいの判断力なら懐いてもいいかなって勘違いしてしまいそうなさわやかさ。これもギャップ、か。

「女にしてもらったっつーだけでポイント高ぇから」

 頼むわとアイロン台の前を私に譲る。その動作にドキっとする。あれ、私、何ドキっとしてんの? 今、別にドキドキするようなこと何もなかったよね?

 アイロンを手にしてシャツに滑らせていく。出だしは順調。このまま上手くできるといいな。でも、どうしてこんなにドキドキしてるんだろう。

 伊佐敷くんは私の隣に立ったまま、話かけてきた。話かけてくるなんてことも私にとっては予想外。俺は硬派だ、女なんかと必要以上に話せるかって感じだと思っていたから。

「おまえ、何組」
「C組」
「増子と一緒か」
「あ、うん。増子くん」
「何でここでメシ食ってんの」
「仁志センセが顧問なんだ」
「あのセンセ、顧問なんかしてんだ」

 伊佐敷くんはポンポンと話す。会話続かないかなぁとか思っていたけれど、意外にも話やすい。話し方は乱暴だれど、その声のトーンは耳に心地いい。けっこう、好きなタイプの声かも。

「英語の小テスト、C組終わってんだろ」
「あ、伊佐敷くんとこ、まだ?」
「増子のヤロー、問題教えてくんねーんだよ、ヤベェのに」
「あはは、当たり前でしょー」
「なぁ、教えてくれよ」
「えー、ダメでしょ。却下」
「んだよ、つれねーなぁ」

 ポンっと軽い衝撃を頭に感じた。伊佐敷くんが、冗談めかして、叩いたらしい。その瞬間、アイロンを持つ手元が狂って、ピリっと刺すような痛みを指先に感じた。

「あつっ」
「! 悪ぃ!」
「だいじょ…」

 家庭科室には水道は当然ついていて。この机の横にもシンクがあるから、すぐに冷やせるのに、私の指は伊佐敷くんの口の中だった。やけどは冷やすものなんじゃないの? あ、さっき、伊佐敷くん本人がやけどしたときも手をふったり、口にくわえたりしてたっけ。…なんて、冷静に考えてるようで、私の頭の中はパニックだった。指を人になめられるなんてこと、易々とあるものじゃない。寒気、ではないけれど、ぞわりと未知の感覚が指から腕を伝っていく。この感覚に溺れてしまったら大変なことになると本能が告げる。

「…伊佐敷くん、離して」
「んあ?」

 これっぽっちも自分のしていることがおかしいなんて思ってもいないらしい。きょとんとしたまま、口から私の指を離す。

 私はすぐに蛇口をひねるとザーっと流れ落ちる水の中に指をひたした。

「何だよ、そんなに汚いと思ってん…」
「やけどは冷やすものなんです!!!」

 伊佐敷くんのツバが汚いとか汚くないとかそういう話ではないのに。もしかして本気でなめたら治ると思ってるの? 怒りよりも呆れてピシャリと言い切った。

 私の剣幕に押されて、あ、そ、と小さくなっていく。

「だから、伊佐敷くんの左手もかして」
「え」
「やけどしてたでしょ」

 グイっとその手をつかんで一緒に水の中にひたす。その手にかたい感触をおぼえた。

「これって、タコってやつ?」
「…マメだな」
「一緒じゃないの」
「違うだろ」
「じゃあ、違いを説明して」
「あぁ゛? 知るかよ」
「説明できないんなら同じじゃない」
「るっせぇ女だな、てめぇ…」

 伊佐敷くんはチッと舌打ちをした。ザーザーと水が流れる音の中、私が伊佐敷くんの手をつかんでいたはずなのに、いつのまにか私の手は伊佐敷くんの手に絡めとられている。

「おまえ、名前、なんつーの」
「…最初に聞きなさいよ」

 フンっとそっぽを向くと、かわいくねーと伊佐敷くんは呻いた。そんなに簡単にかわいい女になってなんてあげる義理はないもんね。

「指、なめんぞ」

 ガッと私の手をつかんで、ニヤリと伊佐敷くんは笑った。この顔は怖い。指をなめるという脅しよりもこの顔の方が怖いってこと、本人は知らないんだろうな。ちょっとかわいそう。仕方ないから教えてあげる。

「その顔、キモイよ」
「てめぇ…」

 グイっと力をこめて伊佐敷くんは私の手を自分の口元に持っていこうとする。それを阻止しようと力をこめて腕を下げると、顔を近くにもってきた。バカだ。絶対バカだと思う。水の近くに顔を持ってきた伊佐敷くんに私は空いた手で蛇口を少しふさいで、伊佐敷くんの顔に勢いよく水がかかるようにした。

「うわっ、ぷっ、て、てめぇ」
「あはは、バーカ」

 伊佐敷くんはぷるぷると頭をふって水気をとばした。犬みたい。そのうえ、バカだし。うわさの強面で怖い伊佐敷くんなんてどこにもいない。じっと見る私に片眉をあげた。

「何だ?」

 まさか、見とれてましたとは言えなくて、私はごまかすように曖昧に笑った。

「花沢」
「え」
「わ・た・し! 花沢葉子」
「花沢、葉子、か」

 伊佐敷くんは確かめるように私の名前をゆっくりと繰り返して、いいんじゃね?なんて少し笑った。

 何を思って伊佐敷くんがそう言ったのかわからないけれど、まぁ、いい、と言うならいいかと納得しておいた。私がそれを伊佐敷くん流の精一杯の好意を含んだ言葉だと知るのは、この山のようなシャツの持ち主の先輩たちから、ひやかされて、ひやかされて、真っ赤な伊佐敷くんの顔を見ることになる、もう少し先のこと。



20070501


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