夢 | ナノ

プロローグ 出会う

 オレは方向音痴なのだ。初めて来る場所で、たった一度通っただけの道をただ逆に戻ることすらできなくても、仕方ない。

 伊佐敷は開き直って青い空を見上げた。見上げたって打開策があるわけではないけれど、ほんの少し道に迷っていることがバカらしくなる程度に気持ちは落ち着くのだ。

 …ってもなぁ。

 はぁ、とため息をついて、かぶっていた帽子を取るとガシガシと頭をかいた。そう、自分はただ迷子になったわけではなかった。

 ここは稲城実業高校で、青道高校野球部が練習試合にとやってきたのだ。伊佐敷はその青道高校の一年生だった。練習試合とはいえ、夏前に、同じブロックのライバル校。一年の伊佐敷に出番があるはずもなく、役目といえば雑用だった。そして伊佐敷は先輩がした忘れ物をバスまで取りに行くという役目を担ったのだった。

 せめて誰か一人でも一緒に来てもらうようにすればよかった。そう後悔はしても実際にそれも叶わなかっただろうと思う。いくら一年が大勢いるとはいえ、たかだかバスに忘れ物を取りに行くだけのことに何人も必要はないのだから。もし、もう少し他の一年生部員と親しくなって伊佐敷の方向音痴を知っているものがいれば話は違ったかもしれない。まだ入部して1ヶ月ちょっと。シニアで対戦した相手で名前と顔を知っている者は少なくはない。けれどお互いの性格や特徴など野球に関係のないことを把握するにはまだ十分な時間は過ごしてはいなかった。

 伊佐敷はもう一度くるっとあたりを見渡した。稲実は幼稚園も隣接されていて、遊具が見える。土曜日の今日はお休みなのだろう。人影はない。

 やべーな。そろそろ戻らないと遅ぇって先輩にどやされちまう。

 来たはずの方向にひとまず戻ってみようと、実際にはまた違う道を伊佐敷は進む。少し進むと視界が開けた。そこは水呑場のようだった。

 …水呑場?

 今日初めて目にする風景に、また道を間違えたのだと気づく。吼えたくなるのをおさえて、しゃがみこんだ。すると水呑場の向こうに足が見えた。誰かいるのだろう。助かったと勢いよく立ち上がって、足の見えた方に進んだ。足の主は伊佐敷に背を向けて、大きなバケツに水をくんでいるようだった。声をかけるのを一瞬ためらった。女だったからだ。伊佐敷は女兄弟がいるにも関わらず、女の子を相手にすることを得意としてはいなかった。特に、同年代は苦手だった。けれど、今のこの迷子状態で、しかも他に人がいないのだ。道を聞く相手を選んでいる余裕はなかった。小さく息を吐いて、気持ちを落ち着けてから声をかけた。

「すいません…」
「はい」

 突然現れた伊佐敷にその足の主はびっくりしたのだろう。ゆっくりと振り向いて伊佐敷を見ると目を大きく開けた。その目には明らかに警戒心が浮かんでいる。それに気づいて伊佐敷は心なしか焦る。自然と口調が早くなる。

「駐車場に行きたいんすけど…」
「…駐車場ですか?」
「あ、あの、オレ、青道の野球部なんすけど、先輩の忘れ物をバスに取りに行かなきゃなんなくて…」

 怪訝そうな顔が青道の野球部と伊佐敷が口にしたところで、あぁ、と少しゆるんだ。

「じゃあ、一緒に行きます」
「いや、場所さえ教えてもらえたら…」
「私も駐車場に用事もありますし」

 ためらった風はなかったけれど、なぜか彼女はそこで言葉をくぎった。そして続く言葉に伊佐敷は彼女がなぜそこで言葉をくぎったか何となく察することになった。

「私、野球部のマネージャーなんです」

 先ほどの警戒した表情から一転、にこっと伊佐敷に笑顔をむけた。

 彼女は「花沢葉子」と名乗った。一年なのだという。伊佐敷は自分も同じように名乗った。そして葉子に連れられる形で駐車場へと向かう。駐車場につくと帰り方を丁寧に伊佐敷に告げて葉子は来た道を戻って行く。その背にあわてて伊佐敷は声をかけた。

「駐車場に用あるって…」

 そう、葉子は道教えてくれたらいいと言った伊佐敷に用があるからと一緒に来たのだ。何の用事をすませた様子もなく戻る葉子に伊佐敷は不思議に思う反面、もしかしたら、とも思っていた。そしてそれは当たっていた。葉子は少しちゃめっけのある笑みを伊佐敷にむけた。

「迷子の案内」

 そう言って伊佐敷を指差した。思わず恥ずかしさに顔を赤らめて口を尖らせた伊佐敷に葉子は「じゃあ、頑張って」と手をふると、軽やかに走っていった。

 敵に頑張って、なんてマネージャーが言っていいのかよ。

 練習試合だし、何よりも伊佐敷に出番がないことをわかっての発言なのか。それとも一年としての雑用を頑張れなのか。はたまた迷わずに戻るように頑張れということなのか…特に意図はないのか。何にせよ葉子の頑張っての真意は伊佐敷にはわからなかった。きっと、口にした葉子も特別考えてのことではなかったのだろう。

 けれど、これから二年の間に二人にとって「頑張ること」が二人の気持ちを近づけて、そして、隔てて苦しめることになるなんて、この時、伊佐敷も葉子も思いもよらないことだった。ただこの時の二人は出会っただけにすぎなかったのだから。




20070913


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