夢 | ナノ

春はやさしく 1

 改札を抜けると、春の日差しに体が緩んだ。伊佐敷はポケットから紙を取り出すと、くるりと辺りを見渡した。

 銀行があっちに見えるから、こっちの道だな。

 紙に書かれた地図と目の前の風景を合致させ、目的に向かって歩き出した。方向音痴の伊佐敷は一人で出歩く際には必ず誰かに書いてもらった地図を持ち歩いている。市販されている地図や携帯のナビだと、なぜだか逆に迷ってしまうのだった。自分が進むのに必要のない道や目印が多すぎるからだろうと伊佐敷は自己分析している。だから、こうして人に書いてもらった地図の方が使いやすかった。

 が。

 今日の地図は小湊亮介作だ。亮介は高校に入って他の誰よりも先に伊佐敷の方向音痴を見抜いたチームメイトだった。その亮介の書いた地図は信用しきってはいけなかった。必ず亮介は一箇所だけ嘘を書くからだ。

 だって、地図に頼りきってたら、いつまでたっても方向音痴が治らないでしょ。かわいい子には旅をさせよっていうしね。

 と、にっこりと笑顔を向けられて、誰が反論できるというのだ。あの笑顔は曲者だと同年代のチームメイトで最後まで見抜けなかった伊佐敷はこれまでにもずいぶんと痛い目にあっている。それでもつい亮介を信用してしまうのは、やはり伊佐敷の中で信頼に足る仲間だと信じているからだ。

 道なりに歩いていく。春の暖かな陽気は伊佐敷の気分も軽くする。この春休みが終われば、三年になる。最後の夏への日々が本当にスタートするのだ。絶対に甲子園に行く。そのために努力は厭わない。甲子園に行く自分たちを想像すると顔が緩む。しかし、そこでふと一人の少女が頭をよぎる。

 アイツ、泣くんだろうな。

 青道のライバル校稲実のマネージャー、花沢葉子。青道が甲子園の出場となれば、当然稲実は敗退するということになる。甲子園を目指して頑張っているのは自分たちだけではない。どの学校も、どの部員も。そして部員たちを支えるマネージャーも。

 花沢の泣き顔を想像して伊佐敷は頭を大きくふった。

 バッカじゃねぇ。

 昨年の夏は自分たちが敗退し、稲実が甲子園へ行ったのだ。今年は負けられない。たとえ気になる女がそのチームのマネージャーだからって、そんなことに囚われてしまっていてはいけないのだ。

 甲子園と彼女の笑顔と。それは秤にかけるようなものではないのだから。

 もう一度、大きく頭をふった。気持ちを切り替えるために何か飲もうと、ちょうど目の前にあるコンビニに入ろうとした、そのとき、

「あ、青道のスピッツ」

 ボソッと後ろから聞き捨てならない言葉を聞いて、あんだとコラァと振り向くと、そこには稲実の制服姿の花沢葉子が立っていた。ついさっきまで考えていた女の登場に伊佐敷は激しく動揺して声も出せなかった。そんな伊佐敷の様子を尻目に葉子は気さくに話しかけてくる。

「何してんの?」
「え、あー、病院行くんだよ」
「市立? 私も行くとこ」

 奇遇だねぇとにっこりと笑顔を向けられて、スピッツと言われた事に文句を言う気もうせる。

「でも、そこコンビニだけど…」
「飲むもん買うんだよ!」

葉子は伊佐敷が方向音痴だということを知っているので、一応確認ね、と笑った。うるせぇと吐き捨てて伊佐敷はコンビニに入る。葉子はその姿を見送って、コンビニの前で伊佐敷を待っていた。その姿を店内から目にして、伊佐敷は逡巡したあげく水とお茶のペットボトルを一本ずつ手にレジを済ませた。

「おら」

 葉子の目の前に二本のペットボトルを差し出す。

「二本ともくれるの?」
「んなワケあるか!」
「ゴゴティがよかったな」
「てめぇ…」
「うそ、ありがと」

 葉子はひょいとお茶を手にする。伊佐敷は残った水のペットボトルを開けた。それを横目に葉子は歩き出した。

「しょうがない、連れて行ってあげますよー」
「別にそんなつもりじゃねぇ…」

 とはいいながら、伊佐敷は内心では助かったと思っていた。ちょうど病院に行く道で一番ややこしいところに差し掛かるところだったのだ。亮介の地図もその辺りで嘘が書かれているような予感もあった。

「病院に何の用?」
「けっ、稲実に情報もらせるかよ」
「あー、そー、そうですか。ふりきってやる」
「あ、待て…、おい!」

 スタスタと早歩きになる葉子を伊佐敷は追いかける。実際に走られたって、伊佐敷が振り切られることなんてないだろうけれど。それでも葉子は早歩きを続ける。そしてそれを追い越さない速さで伊佐敷はついて行く。と、ふいに葉子が笑い出した。

「何、笑ってんだよ」
「ううん、ほんとに心細いんだなぁと思って」
「…うるせぇ!」
「でもそんだけ歩けるなら足の怪我じゃないよね〜?」

 してやったりの葉子の笑顔に伊佐敷はちっと舌打ちをする。実際隠すほどのことではないのだが、葉子が病院へ行く理由も気になる。

「オマエはどうなんだよ」
「監督の胃のお薬もらいに行くんだ」
「あー…そう」

 自分の監督よりも幾分かひ弱で神経質そうに見える稲実の監督を思い浮かべた。もっとも片岡と比べてひ弱に見えない監督を思いつくほうがなかなか難しいことだが。

「片岡監督は若いもんねー。かっこいーし」
「あぁ?!」

 あの監督をかっこいいと言った女子は初めてで、伊佐敷は驚いて大きな声をあげてしまった。そんな伊佐敷に葉子は力説する。

「かっこいーじゃん。たくましいし!なんつったって甲子園投手だもんね!」

 きらきらと目を輝かせる葉子を見て、あぁ、コイツはほんとに甲子園が好きなんだなと伊佐敷は思った。うっかりその様子に見惚れてしまう自分を振り切るように悪態をつく。

「テメェんとこのチビだって甲子園投手じゃねぇかよ」
「チビってメイちゃんのこと?」
「そうだよ、あのドチビ。御幸よりくそ生意気だしよ」

 伊佐敷は話しながら簡単に手玉に取られた試合を思い出して腹がたってきていた。何がメイちゃんだ、クソォと地団駄を踏む伊佐敷に葉子は苦笑する。

「確かにドチビでくそ生意気だけどねぇ。でも、メイちゃんも努力してるからね」
「…努力はみんなしてんだよ」
「スピッツも?」
「誰がスピッツだ、オラ!」

 伊佐敷の怒号にも動じることなく葉子はケタケタと笑い出す。それはまるで、先ほどまで伊佐敷が考えていた、どちらかしか甲子園へと行けない事実から目をそむけるように、わざと明るく振舞っているようにもみえた。







20071024


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