夢 | ナノ

3話

 二学期の最初の行事は体育祭だった。台風の進路が予想から外れて、秋晴れというよりも残暑という言葉の方がふさわしい中、行われていた。午前中の競技が終わって、いつものように林子たちと教室でお弁当を食べている時だった。

「花沢、伊佐敷見なかった?」

 そう声をかけてきたのは体育委員の二岡くんだった。なぜ私に伊佐敷くんの居場所を聞いたのだろうと首をかしげていると二岡くんはプログラムを掲げて続けた。

「次、競技一緒だろ」
「あ、そっか」

 男女合同の大縄跳びが午後の競技の一番目で、それに私と伊佐敷くんは出る予定だった。大縄跳びは大人数での競技だったが、教室には私以外で出場する生徒がいなかった。

「大縄跳びの時に、伊佐敷にオレんとこ来るように言っといて。リレーのことで話あっからって」
「わかった。大縄跳び終わってから行くように言えばいいんだね」
「おう、頼むわ」

 拝むように私に手を合わせた二岡くんがいなくなると、林子たちは口々に伊佐敷くんの話をしだした。

「葉子も災難よね〜。チョビヒゲが大縄のリーダーなんでしょ?」
「いるだけでうるさいし暑苦しくなんない?」
「でもあれも野球エリートなんでしょ? あのヒゲは高野連的にOKなのかね?」
「しばらく甲子園出てないから関係ないんじゃないの?」
「まぁ、確かに、うるさいけどね〜。…でも、あれで意外に優しいよ?」

 私がかばうように言うとみんな目を見開いた。

「どこが?!」
「そうよ! あれのどこが優しいのよ」
「大縄跳びの練習の時、怒んなかったもん」

 そう、ホームルームで大縄跳びの練習をした時、明らかに足を引っ張っているだろう運動音痴の数人に対して、一度も怒ることがなかったのだった。それどころか、そんな彼らに苛立つ他の生徒たちに注意したくらいだった。

 うるさいので有名な伊佐敷くんだけに、ガミガミとどやされる練習になるのではと思っていただけに、それには本当に驚いたのだった。

 そのことを話すと林子たちは、まぁ、ねぇと気まずそうに濁す。

「結局のところ、運動バカだから、スポ根とか熱血とか好きなんだって」
「そうそう」
「そうかもね〜」

 確かに運動部特有のものがあるんだろうけれど、あれだけギャンギャンとうるさくて横暴な態度をとっているにも関わらず、絶えず周りに人がいるというのは、そういうところが理由なんじゃないだろうかと思った。同性に好かれる人は根がいい人だってよくいうけれど、伊佐敷くんはまさにそれなんだろう。

「じゃ、私、大縄跳びの練習少しすることになってるから、先に行くね」

 昼休みの残りの時間が少なくなってきているのに気づいて慌てて、残りのお弁当を口の中に詰め込んで、行く用意にかかる。

「うん、頑張ってね」
「いってらっしゃーい」
「伊佐敷くんに吼えられないようにね〜」
「うん、頑張ってくるよ〜」

 みんなに見送られて待ち合わせの体育館の前へと向かった。そこは日差しが一段ときつかった。夏かと錯覚するほど、みんなの影が色濃く地面に落ちている。暑いことに特別苦手意識はないけれど、台風の予報もあって、日焼け対策は全くしていなかった。ジリジリとする暑さにさすがにため息のひとつもつきたくなる。突然、ふと視界が暗くなった。

「何だ、気分悪ぃのか」

 額に手を当てて、ため息をついた私に伊佐敷くんが横にきて声をかけてきた。視界が暗くなったのは伊佐敷くんの影が私におちてきたからだった。

「平気。暑いだけ」
「そっか。水飲んどけよ。熱中症になんぞ」
「うん。あ、さっきね、二岡くんがリレーのことで話があるから、大縄跳び終わったら来てほしいって言ってた」
「おう、行くわ。サンキュ」
「うん」

 そのまま、話は終わったけれど、全員が集まるまで伊佐敷くんは私の隣から動くことはなくて、誰に話しかけられても、その場で大きな声で返事をするだけだった。近くに行って話せばいいのに変なの、私はそう思っていた。居心地が悪いわけではないけれど、隣に伊佐敷くんがいることで、妙に落ち着かないのも事実だった。

 ちょうど目線の高さにくる伊佐敷くんの鍛えられて日に焼けた二の腕から肘を目の端にとらえて、すごいなぁと素直に感心した。こんなに鍛えるまで、日に焼けるまでどれほどの努力をしているんだろうか、私には想像もつかない。

 そしてしばらくすると、クリスくんが伊佐敷くんを呼んだ。手招きしたまま全く動く気配のないクリスくんに、伊佐敷くんは小さく舌打ちして、ちらりと私を見た。それを私は気配で感じていた。

 何だろう?

 そう思って見上げた瞬間に私は眩しさに目を細めた。伊佐敷くんが呼ばれた方へと動いたからだった。

 影にしてくれてたんだ…!

 伊佐敷くんは私の体調を気遣って、自分の体で影を作ってくれていたのだった。それに気づいて私の顔が紅潮していくのがわかった。胸がはりさけるように高鳴った。さりげないといえばあまりにもさりげない優しさで。離れる時に私を見たことに気づかなければ、きっとわからないままだった。

 私は伊佐敷くんに好きだと言われたわけではないし、まして彼女でもない。単なるクラスメートで今は大縄跳びのチームメイトでしかない。けれどその優しさは大事にされたと私に錯覚を起こさせるほどだった。そして、その優しさを私だけのものにと強く願うようになる出来事がこのすぐ後に起きることになる。

 暑かったせいなのか、昼食をかきこんだすぐに縄跳びなんかしたせいなのか、練習を終えると胃の辺りに違和感を覚えた。

 ヤダ、気持ち悪いかも。

 もうすぐ午後の競技が始まる。一番手は私たちの出る大縄跳びなのだ。気持ち悪いなんて言っている暇はなかった。

 音が割れるスピーカーが大縄跳びの入場を告げた。それを聞くと伊佐敷くんは「オラぁ!行くぞぉ!」と大きな激を飛ばす。伊佐敷くんがこんなにもやる気があることは不思議なことではなかった。スポーツ校と名高い青道は体育祭への本気度が違うのだ。運動部同士の力関係から部内の力関係にまで体育祭の結果は影響をあたえるのだった。特に伊佐敷くんは去年の体育祭で増子くんのクラスに負けたせいでしばらくプリンばかり買いに行かされた苦い経験があるらしく、そのリベンジに燃えていた。

 グラウンドに他のクラスのチームと入場する。所定の位置につくとスピーカーからルールの説明が流れてきた。3回勝負で合計の多いチームの勝ちだ。練習の時に決めた位置につく。大きなピストルの音がして掛け声と共に縄が雲ひとつない空に大きく弧を描いた。





20070415


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