鶴丸は、これまで顕現したどの刀剣よりも早くここに馴染んだ。
昔馴染みの刀剣がいること、そして彼の持ち前の明るい性格を前に、緊張や集団生活への抵抗はなかったらしい。
そのせいか、はたまた刀としての血が騒ぐのか、彼は顕現した翌日には自分も出陣したいと私に言った。
野垂れ死にそうになっていた俺を助けてくれた君に恩返しがしたい、早く君の役に立ちたい。俺はもう大丈夫だ、だから。
そう言って、彼は出陣をせがんだ。
けれど私は許さなかった。
確かに怪我はなくなったけれど、その表情からは明らかな疲労が見て取れた。
どうして顕現したばかりでこんなに疲れた表情をしているのかわからなかったけれど、それを除いたとしても、この本丸には、顕現してから最低一週間は出陣しないという取り決めがある。彼だけに、顕現してすぐの出陣を許すわけにはいかなかった。
鶴丸は不服そうに眉をひそめた。
その表情が何だか子供のようでかわいく思えたから、少しからかうように、意地悪を言った。役に立ちたいなら、執務でもいいよね、と。
彼は驚いたように一瞬目を見開き、数秒考えたのち頷いた。そうして彼は、仕方ない、と言いながら微笑んだのだ。
鶴丸が来て5日。
彼たっての希望ということもあり今日も近侍を務める鶴丸は、書類から目を話して頬杖をつく。
「なあ君、いい加減俺も飽きてきたぜ」
「……あ、もうこんな時間か」
壁にかけられた時計に目を向ければ、時刻は15時48分を示していた。おやつの時間もとうに過ぎた時間である。
ふむ、とひとつ息を吐いて、自分の手元の書類と鶴丸のそばに積み上げられた書類を見る。
ここまで文句ひとつ言わなかったのが不思議なくらい、書類が山積みになっていた。
「わ、ずいぶんたくさんやってくれたんだね」
「おかげで肩が凝ったぜ。そろそろ休憩にしよう」
自身の肩をさすりながら、へとへとといった様子の鶴丸が呟いた。
考えてみれば、もう昼餉を食べてからずっとこの調子で仕事ばかりをしていた気がする。
鶴丸が休みたいと言うのももっともだった。
「じゃあお茶淹れてくるから少し待ってて」
「いや、俺も行こう」
「そう?」
疲れているなら休んでくれてていいのに、鶴丸はまるで雛鳥のように、私のあとをついてくる。
そしてそれは、今に始まったことではない。昨日も、一昨日も、彼はいつも私のそばにいた。
「お菓子は何食べよっか。甘いものがいいよね」
「俺は団子が食いたいな」
「お団子あったかな、光忠か歌仙がいたら聞いてみよう」
他愛もない言葉を交わしながら、炊事場へ向かう。
するとそこには、夕食の仕込みをする薬研の姿があった。
「ん、どうしたお2人さん。腹でも減ったか?」
「ちょっと根詰め過ぎたから休憩ー。お団子あるかな?」
「悪い、団子は八つ時にみんな出しちまった」
申し訳なさそうに眉尻を下げた薬研に、それなら仕方ないなと鶴丸が言う。
ちょうどその時、野菜の収穫に出ていたと思しき歌仙がおや、という声を上げて笑う。嫌な予感がした。
「ちょうどいいところに。主、米を買ってきてくれるかい」
「え、えええ…」
「注文するのをすっかり忘れていてね」
どうせおつかいだろうとは思ったけれど、米か。また重い物を。
しかもちょうどいいところに、って頼んでくるとかこの男は主という存在を何だと思っているのだろうか。
……とは思うものの、言えるわけもない。この男は、顔立ちの柔和さに反し怖い男なのだ。
「なら俺が荷物持ちをしよう。その時に団子を食べるってのはどうだ?」
「私はいいけど…鶴丸はそれでいいの?書類仕事で疲れてるんでしょ?」
「同じ疲労にしても、質が違えば大して気になるものでもないさ。さあ行こう」
「え、ちょっ」
「大将、忘れもんだぜ。ぼったくりには気を付けろよー」
私の手を引きずんずんと歩いていく鶴丸に動揺しながら振り向けば、どこから取り出したのか、薬研がこちらに向かって何かを投げた。
見事キャッチすれば鳴るチャリンという音、咄嗟に受け取ったけれど、どうやら食費用に分けたお金の入った巾着袋だったようだ。
「もう鶴丸ったら、そんなに急がなくてもお団子は逃げないよ」
「抹茶は逃げるかもしれないだろう?」
「逃げないよ」
からかうように言った鶴丸だけど、相変わらずの早足は変わらない。
その姿にそんなに町に行きたかったのか、と考えてハッとした。
そうだ。鶴丸はあの日から、この本丸を一歩も出ていなかったのだ。
「…ごめん、気付かなかった」
「ん、なんのことだ?」
「鶴丸、ずっと外に出てみたかったんでしょう?好奇心旺盛な鶴丸のことだからそう思うのも当然だろうに、全然気付かなかった」
ごめんね、言いながらわずかに苦笑すれば、彼の歩みがピタリと止まる。
そうして振り返った彼は、おもむろに私の顔を覗き込んで。
「君とだからだ」
「え、」
「君と一緒に、外を歩きたかったんだ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
けれど鶴丸の瞳が優しくて、彼の美しい瞳に映る私の顔がみるみるうちに赤くなっていくのがわかって。
この感情をなんと言うのかはわからないけれど、何やら恥ずかしくて、けれど嬉しくなる言葉をかけられたということだけは、確かにわかった。
「でもまあ君の言う通り、急ぐ必要はないかもしれないな。どうせ買い物から戻れば君はとられてしまうんだ、ゆっくり行こう」
「……………、」
何でもないことのように言う鶴丸が、少しだけ恨めしかった。
これまで当たり前だった、私の歩幅に合わせて歩いてくれる鶴丸の優しさが、ここにきてむずがゆく思えた。
今日は特別。目の前で揺れる白い髪の隙間から覗く赤い耳には、気付かないふりをしてあげよう。
「すごい人だ…」
小さな声で呟いた主が、俺の着物を軽く掴む。
はぐれてしまったらどうしようと不安なのだろう、確かに町にはたくさんの店が軒を連ね、あふれんばかりの人で賑わっていた。
歩き進めていくうちに、ある一軒の雑貨屋に目が行った。
軒先にはかんざしや櫛、根付などが置いてあり、ふと目についた一本のかんざしを手に取る。
美しいかんざしだった。
エゾギクと思しき花があしらわれたそれを彼女の髪にかざせば、緑の黒髪によく映え、一等美しく見えた。美しいかんざしと彼女が、互いに引き立て合っているように思えた。
「旦那、これを貰いたいんだが」
「え、鶴丸?」
「箱は結構だ、このまま挿していく」
さく、と彼女の髪にかんざしを挿して店主に声をかければ、それまでどこかを見ていた主が反応した。
俺がかんざしを見ていたことも、それを彼女の髪にかざしていたことも、今の今まで気付かなかったのだろう。自分のすぐ目の前に並んだかんざしと俺を交互に眺め、自身の髪に触れ、主は目を丸くした。
何かあったら使って、と顕現したその日主に渡された巾着袋を、襟の合わせ目から取り出し代金を払う。
ものの数秒のうちに行われたその行為に、彼女は困惑しているようだった。
「え、っいや、鶴丸、」
「よく似合っていたぜ。良ければ使ってくれ」
「あっ、ぅえ、あの、っ」
どうしようと迷っているのか、目をきょろきょろと泳がせた主が静かに俺を見る。
ほんのりと染まった赤い頬と何か言いたげに動く口を見ながら首を傾げれば、彼女は観念したかのようにへにゃりとした笑みを浮かべ、ありがとうと呟いた。
柔らかく、喜びに満ちた声だった。
「喜んでもらえたようで良かった」
「うん、ずっと、大切にする。本丸に戻ったらすぐに鏡見ようっと」
そうだ、私も何か、お返ししたいな。
髪に挿さったかんざしにそっと触れた彼女が、無邪気に笑って言った。
「それならちょうど欲しいものがあるんだが」
「何?私に買える物だったら買うよ」
「帳面と筆が欲しいんだが、この辺りに売っている店はあるか?」
「帳面?」
「あれだ、たくさんの紙が一冊にまとまった、まあ何も書いてない本と言った方がわかりやすいか」
「ノートって解釈でいいのかな。それならあそこに――…」
彼女の指差す方に向かえば、確かにそこには文具を扱っている店があった。
そういえば鶴丸、初日にも紙が欲しいって言ってたもんね。そんな彼女の言葉にああと返事をしながら中に入ると、早々に主が店の者へと声をかける。
「鶴丸、これだって。装丁も色々あるね」
「君が選んでくれ。俺に似合うと思ったものでもいいし、単純に君の好みでもいい」
「じゃあ……これがいいかな、」
そう言って彼女が手にしたのは、雪原に咲く一輪の花が印象的な帳面だった。
手渡されたそれを眺めているといつの間に離れていたのか、筆はどれも変わらなかったと不満気な顔をした主がとぼとぼとこちらに向かってきた。
「いいさ、洒落てるのは帳面だけで十分だ」
「そう?何だかごめんね」
私はきっと素敵なものを選んでもらっただろうに、と悲しげに眉をひそめる主の頭を撫でる。
筆なんてなんでもいい。この帳面だけで、本当に十分だ。そんな思いを込めて触れた彼女の髪は、指の隙間を通ってするりと逃げた。
「それじゃあ筆と合わせて買おうか。筆はそれに何か書くのに使うんだよね?」
「ああ」
「なら細いやつで大丈夫だね。ちょっと待ってて、買ってくる」
俺の言葉を聞いて、彼女は店主の元へと歩いていく。
これと、この筆ください。耳に心地いいその声を聞きながら店内の商品を眺めていれば、お待たせと言って彼女が戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう。大切にする」
「うん、でもどうしてこれが欲しかったの?」
「計画を練るのに使おうと思ってな」
「……一応聞くけど、何の計画?」
「十中八九、君が思っていることで合ってるぜ」
笑いながら言えば、驚きの計画かと主が苦々しい顔をする。
その表情を見ながら、当たらずといえども遠からずというところだな、とひとり心の中で呟いた。