土埃と赤い斑点で、ところどころが汚れた鞘。
その隙間から覗く白さを思い出し、私は震えながら息を吐いた。

これほど緊張したのは、初期刀である歌仙を顕現させた時以来かもしれない。
そう思いながらも刀から目を離せずにいると、私を安心させるためだろうか、石切丸が口を開いた。


「大丈夫、心配することはない」

「ううううん……」

「この子はきっと、僕たちと同じように君を守り助けてくれるよ」


だから何も心配することはないと、柔らかな低い声が囁いた。
依然として、特に怪しい気配はない。それどころか綺麗に汚れが拭きとられた鞘は白く輝き、斬られた傷のようなものは残っているものの、見つけた時と比べればその美しさは段違いだった。


「石切丸くんの言う通り、心配しなくても大丈夫だよ」

「…うん、」

「鞘は綺麗になってるけど傷はあるし、刀身だってところどころ刃こぼれしてるくらいだからね。もし万が一敵だとしてもきっと瀕死の状態だろうし、何より僕たちがついてる」


つい数分前に戻った第一部隊、その部隊長を務めていた光忠が言う。
確かに彼の言う通り、鞘のみならず刀身にまで傷がついていることを思えば、刀剣男士であろうと敵であろうと深手を負っているのは間違いない。
それにここには私ひとりじゃない、我が本丸でも練度の高い部類に入る石切丸と光忠がいるんだ。そう奮い立たせた私は、大きく息を吐いて刀身を鞘に納めた。


「……よし、それじゃあ顕現してもらおっか」


刀を持ち上げ、意識を集中させる。
どうか、どうか目を覚ましてください。目を閉じて心の中で呼びかければ、刀に触れた手がじわりとあたたかくなった。
そうして閃光のような光に辺りがつつまれたかと思うと、私の手から重みは消えて。


「…あ、」


まるで桜の花びらのようなひらひらとした光を帯びて、真っ白な男が現れる。
それは何度だって夢に見た、そして願った、鶴丸国永という刀の姿だった。

ただその着物は汚れており、頬には切り傷のような赤い線が何本も刻まれている。
本来であれば顕現したばかりの刀剣は綺麗な状態、まして傷がついているなんてことはないはずなんだけど――…けれど今は、そんなことどうだってよかった。

目の前に鶴丸国永がいる、ただそれだけが私にとって重要だった。


「…え、え、っちょっと主これっ」

「わ、わわわわわわ、どど、どうしよ、っ」

「おっ落ち着くんだ2人とも、とりあえず私が加持祈祷をするから、」

「石切丸が一番落ち着いて!」


ずっと待ち望んでいた。
演練で見かければ羨ましく思い、審神者会議で護衛として連れてこられた姿を目にすれば慰められるように近侍に肩を叩かれ、鍛刀部屋で打ちひしがれる私を元気づけてくれた刀剣は数知れない。
ずっとずっと、もう1年以上も求めていた刀だった。
だからこそ動揺しおろおろとする私たちの声に、鶴丸国永がゆっくりと目を開く。
痛みがあるのだろうか、一瞬眉間に皺を寄せたのち私と視線を絡ませた、その男は。


「……、」


驚いたように見開かれた目の、その金色の瞳がぐらりと揺れたのがわかった。
何か言いたげにはくはくと動いた口は明瞭な言葉を発することなく、私が首を傾げたのを見て、どうしようもなく嬉しそうに眉尻を下げた。目を細め、微笑んだ。

あまりにもイレギュラーな出来事に、私も石切丸も光忠も、誰一人口を開くことはない。
けれど彼だけが、口を開き問いかける。君が俺の主か、その問いに、私はぎこちないながらも頷いた。



「…鶴丸、国永だ」



驚いたか?
今にも消え入りそうな声で言った彼は、そう放ったきり、倒れ込んでしまった。










「…早く目を覚ましてね、」


布団に横たわりきつく目を閉じ眠る彼に、私は静かな声で語り掛ける。

あれからは大変だった。
私に覆い被さるようにして倒れた彼を光忠が手入れ部屋へ運び、必死の思いで手入れをした。
顕現して早々傷を負っているだなんてことはこれまでにもなかったけれど、一度の手入れに札を3枚も使うなどということは、あとにも先にもこれっきりだと思う。本当に、大変だった。


「……けど、来てくれてありがとう」


ずっと会いたかったんだよ。大倶利伽羅に、会わせてあげたかったんだよ。
その言葉は飲み込んだまま彼の前髪をさらりと撫でれば、4時間も眠ったきりだった彼が、ようやくその目を開いた。


「…あ、起きた」

「…………、」

「具合はどう?傷はもうないと思うけど、気分は悪かったりしないかな」


私の顔を見て目を見開いた鶴丸は、バサッと勢いよく体を起こす。
び、びっくりした。


「え、つ、鶴丸?」

「…あ、ああ、すまない。驚かせてしまったな」

「いや、うん、大丈夫だけど。具合はどう?」

「大丈夫だ。君が治してくれたのか?」

「うん、そうだよ」


目を覚まさなかったらどうしようと思ったけど良かった、そう言って笑えば、彼はありがとうと言って微笑んだ。
その姿に、これは夢じゃないんだと私まで笑顔になってしまう。


「具合が悪くないならご飯食べようか。鶴丸には初めてのことだから抵抗あるかもしれないけど、食事はこれから毎日とることになるからね」


私もお腹空いたし、と思いながらお腹を撫でれば腹の虫がぐうと鳴いた。
すると鶴丸はおかしそうに笑って、炊事場へと向かう私を送り出す。辿り着いたそこでは、カチャカチャというお皿を洗うような音がした。


「お疲れ様、光忠」

「あ、主。鶴丸さん起きたの?」

「うん、ついさっきね。それでご飯食べようと思って」

「それなら良かった。そろそろかと思って用意してたところなんだ」


なんと察しのいい男だろう。
あまりのタイミングの良さに驚きつつ渡されたお盆を受け取れば、主もお疲れ様と光忠が笑う。


「倶利ちゃんが遠征に行ってるのは残念だけど、来てくれて本当に良かったね」

「うん、すっごい嬉しい」

「僕も今晩はすぐに動けるようにしておくから、何かあったらすぐに言うんだよ。……あ、あと、さっきの戦で持ち帰ったものは資材庫に置いてあるから」

「わかった、ありがとう」


気遣いも仕事もできる、その上審神者思いの刀で主嬉しいよ、なんて心の中で呟いて炊事場を後にする。
そこから歩いて1分くらい、慣れた手つきで手入れ部屋の戸を開けば、窓の向こうを眺める鶴丸がいた。


「お待たせ。鶴丸には胃に優しいものを、って雑炊作ってもらったよ」

「雑炊、」

「うん。普通のご飯よりは食べやすいとは思うけど、無理はしなくていいからね。あと熱いから、こうやってふーって息をかけてから食べてね」


カタンという音を立ててお盆をおろし、器と匙を彼に渡す。
すると彼は私の真似をするように、すくった雑炊にふう、と息を吹きかけ匙を口に運ぶ。
よほどお腹が空いていたのだろうか、熱さをものともせず口に運ばれて行く雑炊は、あっという間に半分なくなってしまった。


「ねえ鶴丸、食べながらでいいから色々聞いてもいい?」

「ん、なんだ?」

「鶴丸は、どうしてうちの本丸の門の前にいたの?」


私の言葉に、匙を口に運ぶ彼の手が止まった。
ぴたり、そんな音がしそうなくらいだった姿にどうしたのかと眺めていると、鶴丸は困ったような表情を浮かべた。


「すまん、俺にもよくわからないんだ」

「よくわからないって、」

「気付いた時には君たちが目の前にいたんでな。俺が門の前にいたってのも今初めて知ったことだ」


なるほど、私が顕現させるまでの間鶴丸は眠ってたということか。
それはつまり持ち帰った刀剣と同じ状況で、ただ違うのは、傷だらけだったということと、戦場でなくうちの本丸の前にいたということだけ。
その2つが重要な気もするけれど、本人がわからないと言っている以上しつこく聞いても得るものはない。
きっとその言葉がすべてなのだろう、そう思い私は件の話を終わらせることにした。


「それなら仕方ないか。ちょっと例外的な出会いでびっくりはしたけど、何はともあれこれからよろしくね、鶴丸」

「ああ、こちらこそよろしく」


穏やかに笑った鶴丸に、私はほっと胸を撫で下ろす。

鶴丸が眠っている間こんのすけに聞いてみたけれど、どうして顕現前の彼が傷だらけで、うちの本丸の門前にいたのかはわからなかった。こんのすけ曰く、前例がないそうだ。
とはいえ石切丸をはじめとする刀剣男士たちもこんのすけも、皆一様に危険性はないと言っていた。
彼の笑顔に、その言葉は事実なのだと思えた気がした。


「そういえば君は審神者になって長いのか?」

「昨日でちょうど2年だよ。私、七夕に就任したの」

「そうか、道理で他の奴らとも親しいわけだ」

「ふふ、怒られることも多いけどね」

「それだけ互いに心を許しているということだろう」


そうだといいなと笑えば、きっとそうだと鶴丸も笑う。
なるほど、鶴丸国永という刀剣男士は人懐っこいとは耳にしていたけれど、どうやらそれは本当らしい。


「ところで、それは君の好物なのか?」

「ん、これ?」

「ああ。それを食べる時、幸せそうな顔をしていたぞ」


良かった、うまくやっていけそうだ。
そう安心しながら箸を伸ばせば、とらえた獅子唐を指差して鶴丸が言う。


「ふふ、そんな顔してたかなあ。これね、辛いのに当たるとぴりぴりするけど、おいしいの。鶴丸も食べてみる?」

「いいのか?」

「どうぞどうぞー」


はい、と匙の上に獅子唐を乗せれば、鶴丸がじっと獅子唐を眺める。
そんな時間が10秒ほど続いただろうか、私がどうしたのかと問いかければ、鶴丸が首を振り獅子唐を口に含む。
すると、


「 う、」

「あ、もしかして辛いの当たっちゃった?」

「こりゃ驚いた、口の中が痛い」

「お、お茶飲んでっ」


わたわたとしながら湯呑を渡せば、彼はごくりと獅子唐もろとも飲み込んだ。
あああ、どうしよう。初めて食べ物を口にした日にこんなことが起きちゃって、もう食事をするのが嫌になったりしたら。


「ご、ごめんね」

「君は何も悪くないだろう、少し驚いただけだから気にするな」

「でも涙目になって、」


なってるよ、と言いかけた私の頭を、鶴丸が撫でる。
そうして飲み込まれた言葉は放たれることなく、ただ私は、何事だろうと彼を眺めることしかできなくて。


「大丈夫だ、ありがとな」


言いながら笑う鶴丸の目が、涙に濡れてゆらゆらと揺れている。
そんなに辛かったかな、と今にも零れ落ちそうになる目元に手を伸ばせば、とうとう彼の瞳から雫が垂れた。


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