「それじゃ、頂きます」
「……いただき、ます」
賑やかな広間からは少々距離のある、六畳程度の部屋。
どことなく薄暗い気がするこの部屋で向き合うように座った私達は、目の前の食事に手を合わせた。
…けれど、放たれた長谷部の声は心なしか震えているようにも思える。
うん、やっぱり鶴丸の時と同じで、こちらが明るく声をかければ相手も明るく返してくれるってもんでもないらしい。
と、なれば。
「それじゃあ、さくっと話しちゃおうか。ご飯は楽しく食べたいもんね」
「……はい」
「大丈夫、怒ったりしないから」
恐る恐る様子をうかがいながら話すより、さっさと話してしまった方がいいだろう。
安心させたいという思いもあって言ってみたものの、怒らないからというのは流石に良くなかったかもしれない。
一応の主従関係があるとはいえ、末席とはいえ、相手は神様で私は人間。私よりはるかに長い時間この世に存在し続けてきただけでなく、国宝であるものに対して投げかける言葉ではなかったか。
放って数秒でそんな後悔の念にさいなまれたけれど、どうやら長谷部は、そんなことこれっぽっちも気にしていないらしい。
「何があったかは、既にご存知ですか」
「ああ、うん、何が起きたかはとりあえず把握してる。どうしてそんなことをしたのかは知らないけど」
「……そうですか」
目を伏せて言った長谷部は、ついさっき持ち上げたばかりで、まだどの料理にも触れていない箸をカタンと置く。
どうしたのだろう。そう不思議に思う私に、彼は目をつぶって。
「この度は、申し訳ありませんでした」
凛とした声でそう言って、静かに頭を下げた。
気にしなくていい、なんて軽々しく言ってはいけないと思えるほど真摯なその言動に、私は息が止まったような感覚に陥る。
鶴丸の時もそうだったけれど、こんな風に、誰かに心から謝られることが、人の一生のうちにどれだけあるだろう。
ついさっき思ったように、彼は末席とはいえ神様で、国宝として大切に扱われる存在だ。
もちろん彼の性格だってあるのだけど、それでもやっぱり彼らにとって、主という存在はあまりに大き過ぎるものなのだと、改めて思わされてしまった。
「……ええと。とりあえず、頭を上げて。私は謝ってもらうんじゃなくて、ことの顛末だとか、理由を聞きに来たわけだから」
「…はい」
むしろ謝らなきゃいけないのは私の方なのでは、と思いはしたけれど、長谷部はこれっぽっちもそんなことを考えているようには見えない。
それどころか、眉をひそめ、唇を噛み締めて。
「……俺は、主に腹を立てているのではありません」
心を読まれていたのかと、錯覚してしまいそうになるほどのタイミングで長谷部が言った。
…私は、鶴丸の処遇について誰にも言わずに1人で決めてしまったから、それに対して長谷部が苛立っていたり、鶴丸を刀解しないという私の結論自体が不服なのだと思っていた。それを鶴丸にぶつけてしまったのだろうと、1人で勝手に考えていた。
けど、どうやらそれは違ったらしい。
「死ななきゃ安いのです。それと同時に俺は、主のためであれば死んでも構わないとも思っています。けれど同時に、それには相応の場所や、状況があるとも思っているのです」
「…うん、」
「部隊長が重傷であったにも関わらず強制的に撤退させられなかった理由はわかりませんし、進軍していたとしても、俺達には主から頂いたお守りがあります。しかし、それにも相応の使い方があるでしょう」
今回の鶴丸は無駄に命を落とそうとしたと、だから鶴丸を許せなかったと、静かな声で長谷部が言った。
この男の言うことももっともだ。
かと言って、鶴丸が自身の命を軽んじたが故の行動だとは思っていないし、事実彼は今回のことに関して後悔しているようだったから、難しいところなのだけど。
「主はお優しい方です。ここにいる誰が折れたとしても悲しむでしょうし、場合によってはご自身を責めるかもしれません。少なくとも俺はそんな姿を見たくないし、それは誰もが抱いている感情だとも思っています」
「…うん、」
「事実、鶴丸が目を覚ますまでの間のあなたは、見ていられなかった。だからそれほどまでにあなたを悲しませた鶴丸が恨めしく、許せませんでした」
けれど、それ以上に。
眉をひそめて苦しそうに呟いた長谷部が、ぐっと拳に力を込める。
「主が悲しみ、不安を抱えているというのに、情けないことに俺は何もできませんでした。…きっと俺は、その不甲斐なさから八つ当たりをしてしまったのでしょう」
苦笑する長谷部は悲しそうで、でもどこか安心したような表情を浮かべている。
……八つ当たりと言うには、少々物騒だったような気もするけれど。
「ありがとう、長谷部」
「……は、」
「鶴丸は、私を守るために強くなりたいって言ってくれた。単純に強くなりたいっていう刀の本能みたいなものもあるだろうけど、それでも嬉しかった。……けど、長谷部の言葉も、私を思って怒ってくれたのも嬉しいよ」
そこまで私を大切に思ってくれてありがとう。けれど、あまり自分を責めないで。
立ち上がり、長谷部のすぐ目の前にしゃがみ込んだ私が言えば、長谷部は目を丸くする。
「私も、長谷部の言う通りだと思う。いくらお守りを持たせているとはいえ、それを無駄に使っていいとは思わない。でも鶴丸だって、死んでもいいという気持ちを持って進軍しようとしたんじゃないと思うの」
驕りか慢心か、はたまた純粋な気分の高揚か。
そのどれかは鶴丸本人にしかわからないことだけれど、なんにせよ、鶴丸は反省したのだ。
「何事もなかったかのように接してあげて、とは言わない。怒られるようなことをしたのは鶴丸だし、もしあの一件で信頼を失ってしまったなら、それは鶴丸が自分で回復させなければいけないものだとも思ってる」
「………」
「でも私は、鶴丸が、みんなと同じように私を大切に思ってくれてるって信じてる。そこだけは、知っていてほしいかな」
それこそ驕りかもしれないけれど、不誠実な接し方をしているつもりはないし、自分の刀剣を信じずにこの環境で生きてなんていけない。
私がここで共に生活しているのは、ただの見目麗しい男たちじゃない。あくまで刀であって、彼らがその気になれば、私の命なんてあっという間に奪えてしまう環境なのだ。
「…鶴丸のことが、恐ろしくはないのですか」
「怖くないよ。だって、私の大切な刀だもん」
みんなと同じ。長谷部と同じ、大切な刀だよ。
膝の上に置かれた彼の拳に手を乗せて言えば、長谷部は呆れたように笑う。
「…俺の主は、本当に仕方のない方ですね」
「ん?」
「信頼してくださっているのはこの上ない幸福でもありますが、いつか身を滅ぼしてしまわないかと心配にもなります」
「そう?」
「ええ。主は平和な時代にお生まれになったからご存知ないのでしょうが、俺達がつくられた時代は、家臣に裏切られることも日常茶飯事でしたから」
けれど、そんなあなただから。
そう続けた長谷部は、やわらかく微笑んで。
「だから俺は、俺達は、裏切ろうなどとは露程も思うことなく、心服しているのです」
「し、心服って」
「冗談だとお思いですか?」
そんな大袈裟な、と笑ってごまかそうとするも、長谷部はそれを許さないらしい。
つい数分前の神妙な面持ちなんてどこへやら、恍惚とした表情で男は語る。
「冗談などではありません。主は常に優しく、時に厳しく、俺達を率いてくださっています。こんなことを言っては失礼かもしれませんが、女人でありながら、主は立派にご自身の役目を果たしていらっしゃいます」
「そ、そうかな…」
「ええ。…まあ、特に短刀に対しては少々甘いのではないかと思うこともありますが、そこもあなたの美点と言えます。なぜなら――…」
「は、長谷部!もういいから!」
これ以上聞くのは恥ずかしい、無理!
そんな思いで言葉を放てば、男は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに笑って呟く。
「忘れていました、俺の主は恥ずかしがり屋でいらっしゃった」
からかうように言った長谷部の声色に、顔が熱くなるのを感じて思わず手で覆う。
そうして指の隙間から覗いた男の表情は、この上なく幸せそうな笑みだった。