もうお加減はよろしいんですか。随分顔色が良くなったね。さぞ退屈していたことでしょう。ずっと心配してたんだよ。

手入れ部屋を出て、1時間半程経った執務室。
その中心に座り、久しぶりに手入れ部屋を出た鶴丸に気付いた者たちの声を聞きながら、私はここ数日まったくと言っていいほど進んでいなかった書類に向き合っていた。

そうして終わりの見えてきた紙の束にふうと息を吐き、この数日間を思い返す。
不安で心配で、どれだけ進めようとしてもまったく終わりの見えなかった山のような書類が、たった1時間半でここまで減ってしまうとは私もなかなかにわかりやすい。
もうじき終わると青江が知ったらきっと笑われるんだろうな、なんて思いながら、凝り固まった肩をほぐすように首元へ手を伸ばした時だった。


「主、入りますよ」


一声かけてからの入室なんて発想もないのだろう。
声が聞こえたと同時に開かれた背後の障子戸に、そんなところも彼らしいと内心笑いながら振り返る。
するとそこには悪びれる様子もないピンクの髪を揺らす彼の姿があって、ああやっぱり、なんて思ったりしたのだけど。


「食事ができたので呼びに来ましたよ」

「…ああ、そう。ありがとう」


宗三自らなんて珍しい、とは流石に口にしなかった。もう二度と来てくれなそうだから。
しかし、こういう時は大抵その日の近侍か長谷部が呼びに来ていたものだけど、一体どういう風の吹き回しだろう。
そう不思議に思っていると、私が問う間もなく、彼は口を開いた。


「にっかりは配膳の手伝い、長谷部は今反省中なので僕が来てみました」

「…え、反省中?」

「はい」


長谷部は一体何を反省しているのだろう。
突然の言葉にそんな疑問が浮かんだけれど、たまにはこういうことがあってもいいでしょう?なんて言いながら執務室内に入り込んだ宗三は、ゆらりと艶めかしい所作で私の向かいに腰を下ろした。


「え、何かあったの?」

「何かと言うほどのことではありませんが……殴りかからんばかりの勢いで鶴丸に詰め寄って、実際殴ろうとした、というところでしょうか」

「は!?」


そ、それって何かと言うほどのことじゃなかろうか。そしてなぜそんなことが起きた。
しれっと言い放った宗三は、私の焦燥も知らないといった風に書類をつまみあげ、いつも通りの涼しい顔をしている。
けれどそれもつかの間、頬杖をついて書類を眺めていた姿勢もそのままに私を一瞥した宗三は、静かに口を開いた。


「報告はしてもいいけれど、理由は話すなと口止めされているんですよ。小夜とにっかりに」

「な、なんで」

「この前小夜とにっかりが将棋をしたそうで、負けた方が勝った方のお願いを聞くという約束をしたんですって。それでにっかりが勝ったんですけど、その時点ではお願いの内容については決まってなかったようです」

「……それが今回の口止めに適用されたってことか」

「ええ、卑怯な男ですよ。小夜を使ってその場にいた者全員に口止めをさせたんですから」


宗三ほどの者であれば、口止めされたところで必要であれば容赦なく話すだろうと思ってたから、どうして理由を言わないのか気になってたけど…なるほど、小夜が絡んでいたとなれば納得だ。
どうしても今、どうしても宗三の口から聞かなければいけないことでもなさそうだし、無理に聞き出すのはやめておこう。


「私を呼ぶのもやめておこうってなったの?こういう時っていつも誰かが呼びに来てたけど」

「にっかりが止めたんですよ。鶴丸の件が落ち着いてやっと仕事に集中し始めたのに、また問題が転がり込んだらあなたの邪魔にしかならないと」

「…はあ、なるほど」


そんなことが起きたのにどうして呼んでくれなかったの、という思いもないことはないけれど、青江の思いもわからないことはない。
確かに彼の言った通り、このタイミングで呼ばれていたなら書類なんて放り出していただろう。


「…で。長谷部が反省中ってことは、みんなから見ても長谷部の方に非があったの?」

「そうですね。まああの男の気持ちもわからないでもないですけど、それでも物騒過ぎるんですよ」

「………とりあえずその件については、あとで長谷部に聞くことにするよ」

「ええ、そうしてください」

「で、鶴丸の方は大丈夫そうなの?」


頬杖をついたままの宗三に問いかければ、呆れたような笑みを浮かべながら口を開いた。


「最初は戸惑ってるようでしたけど、まあ大丈夫なんじゃないですか」


あなた、噂のこと言ったんでしょう?
口元に弧を描かせて言った宗三に、ぐっと心臓を掴まれたような感覚に陥る。


「…………いち、おう」

「距離感を考えないといけないかもしれないな、って言ってましたよあの人」

「…そっか」


あの賑やかな声を聞くに、心配し過ぎる必要はなかったのかもしれない。
けれど事実長谷部は鶴丸に対して思うところがあったわけだし、鶴丸が手入れ部屋を出てこれまで通りに過ごすようになった今、彼が傷つくような言葉を誰かにかけられる可能性は格段に上がるのだ。

それを思うと、何も言わずに手入れ部屋を出ることなんてできなかった。
仲間に厳しい言葉をかけられるかもしれない、けれどそれだけのことをしてしまったのだという自覚や覚悟を持った上で、みんなと接してほしいと思ったから。
そんなことを思いながら軽くため息を吐けば、宗三は私の目をじっと見つめて。


「なぜ刀解しなかったんですか」

「…なぜって、」

「別に刀解しろって言ってるわけじゃないですよ。僕は小夜や兄さんに危害が及ばなければ構いませんから、純粋に疑問に思ってるだけです」


だとしても、いささか直球というか物騒というか。
……とはいえ、この男相手にオブラートだとか配慮だとかってものを望むのも、それはそれで違うような気がしないでもない。これは彼の個性でもあるのだ。


「……単純に、したくなかったからだよ。色々な意味でね」

「あんなことをしたのに、ですか?」

「その理由を知りもせずに、罰だけ与えるなんてことはできない」


表情一つ変えずに淡々と言う宗三に、値踏みされているような気分になった。
自分の主に値する人間か、数多の刀剣を束ねるのに相応しい人間か、確かめているかのような。
私を見据える宗三の目は、そんな目に見えた。


「…鶴丸を疑っている者たちの気持ちを無視するのですか?」

「無視したらいけないと思ったから、鶴丸と直接話したんだよ。刀解することで鶴丸を慕っている子達の気持ちを無視することになるなら、その逆もまた同じだからね」


いくら刀であろうと、付喪神といえど、今の彼らには人格がある。
だから理由もわからないまま刀解できないという気持ちもあったし、そんなことをしたら、彼を慕っている者達がどんな感情を抱くか考えた。

ただそれだけで、私情がなかったとは言わない。
けれど私情がこれっぽっちもなければ、私はきっと、どうしたらいいかわからなくなっていただろう。
それこそ、鶴丸を刀解するか否かの多数決だなんてことになりかねない。
そんなの、この人を殺しますかどうしますか、なんて言っているも同然だと思ったから。


「私が知らないだけで、鶴丸のことを怖がっている子もいるかもしれないけど……それでも私は、自分がこれまで見てきた鶴丸を信じたいんだよ。だから噂のこともちゃんと話した上で、信頼は自分で取り戻しなさいって言ったの」

「あなたもたまには主みたいなことを言うんですね」

「一応主様なので」

「様まではつけてません」


ま、どっちかと言えば刀剣達の方が様をつけるに値する存在だもんね。
そんなことを思いながら宗三を見れば、彼は珍しく、ふんわりとした笑みを浮かべていて。


「…なぜ刀解しなかったのか、なんて言いましたけど。実際のところ、あなたが鶴丸を刀解しなくてよかったです」

「……え?」

「正確には、自分の主が簡単に刀解を選択するような人物でなくてよかった、というところですね」


安心しました。
静かな声でそう言った宗三は、どんな気持ちでその言葉を放ったのだろう。
彼がどうしてそんなことを言ったのかわからなくて、首を傾げたまま次の言葉を待つ。


「あなたは人間ですから、僕達の気持ちが理解できないこともあると思います。けれど信じてくれているのだと、理解しようとしてくれているのだと今回で改めて思いました」

「…そう?」

「ええ。だって正直、僕も鶴丸と同じ立場だったら進軍したくなると思いますよ。まあ実際進軍はしないでしょうし……というかそもそもできないような仕組みになってるようですけど、僕は戦に出されることは多くありませんでしたからね。長谷部の気持ちもわかりますけど、鶴丸の気持ちもわかるんですよ」


刀の性なんでしょうかね。
ささやくようなその声とたたえた笑みは、どことなく喜びを帯びているように見えた。

私の行動は、決して間違いではなかった。
正解かはわからないけれど、鶴丸に対しての疑念を持っている者はいるかもしれないけれど、私の結論に思うところのある者は少なからずいるかもしれないけれど。
それでも宗三は私の結論に安心してくれて、信じてくれていると、理解しようとしていると言ってくれて。

私にはそれが、とてつもなく嬉しくて。


「……何ですかその顔は」

「え、いや、なんか宗三にそう言ってもらえて嬉しい、っていうか」

「………………」

「…いたいいたいッ」


私、ぎゅうっと頬をつままれるようなことを言った覚えないんだけど!仮にも自分の主である者に対して手を上げる奴がどこにいるんだ!
ぎりぎりと痛む頬にそう言いたくなったけれど、言ったところで更に力を込められるだけなのだろう。
それにきっと、これは照れ隠しだ。
まだ審神者になって長くはないけれど、それでも毎日一緒に過ごしているのだからある程度のことはわかる。


「ごめんごめん、私が悪かったよ」

「…わかればいいんです」


ほら、早く食事に行きますよ。
そう言って私の腕を掴んだ宗三は、無理矢理に立ち上がらせそのまま歩を進める。
けれどそんな彼に、私は異を唱えて。


「あ、ごめん。今日は私抜きで食べてくれる?」

「どうしたんですか」

「今日は長谷部と一緒に食べるよ」


私に言いたいことも色々あるだろうし。
振り返った宗三に言いながら苦笑すれば、彼は振り向きざまに薄く笑った。


「そうですか。食事は持って行きますか?」

「自分の分は自分で持って行くけど、長谷部のはお願いしたいかな。流石に2人分の食事を持って行くのは大変だし」

「わかりました。今日は特別に、僕が手伝いましょう」


やけに特別の部分を強調するな。
内心笑ってお礼を言えば、宗三は私のお礼を否定する。


「今回はにっかりが止めたので免れましたけど、本来であれば主の執務を邪魔するようなことをしてしまったと落ち込んでいたんですよ。あの男」

「あ、そうなの」

「あの男があそこまで塞ぎ込んでいる姿は、初めて休みを与えられた時以来ですからね。珍しいものを見たという反面、じめじめとしていて気持ち悪いです。鬱陶しいです」


だから、さっさといつもの鬱陶しい長谷部に戻してください。
眉をひそめて素直じゃないことを言う宗三に、どちらにしても鬱陶しいんだ、なんて笑った。


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