白い障子の向こうに、寝返りを打つ影がうっすらと見えた。
その影は、こちらを向いたかと思えば窓の方を向き、またこちらの方へ向かって寝返りを打つ。もう、退屈で仕方ないと言葉にしているも同じだった。

けれどそれも無理はない。
目を覚まさずにいた2日間は別として、意識が戻ってからの彼はこの空間でのほとんどの時間をひとりで過ごしていたのだ。
退屈を嫌う彼のことだ、きっととてつもなく苦痛だったのだろうとは思うけれど、正直私はほっとした。
襖一枚隔てた場所から聞こえてきた溜息のせいで、伸ばした手に宿った不安や緊張が、すっかり紛れてしまったのである。


「………よし、」


彼には聞こえない程度の声でそう呟いて、緩んだ気持ちに気合を入れる。
そうして手をかけていた襖を勢いよく開き、彼の名前を呼べば。


「鶴丸」

「 ある、じ」


私の気配に気付かなかったわけでもないだろうに、通りがかっただけだとか、ただ立ち止まっただけで入ってくるとは思っていなかったのだろうか。
心底驚いたようなまあるい瞳、とび起きたせいか乱れた髪。普段よりも幼く見えるその姿に内心笑いながら、私は静かに襖を閉める。


「傷は?」

「 もう大丈夫だ、が」

「そう、なら良かった。ここ座ってもいいかな」

「あ、ああ。構わないが」


鶴丸が横になっていた布団のすぐ手前を指差せば、彼はわずかに緊張した面持ちで言う。
その声にも表情にもいつもの彼なんてこれっぽっちも感じられなくて、ついさっき湧いたばかりの勇気なんてすっかり消えてしまった。

私がいつも通りの態度を取れば、鶴丸もいくらか楽になるんじゃないかと思ったのに。いつも通りの鶴丸で話してくれるんじゃないかと思ったのに。
どうやらそれは、私の思い過ごしだったらしい。


「…ええと。とりあえず色々話したいことはあるんだけどね」

「…ああ、」

「元気になったみたいで、まずは安心した」


執務室からここに来るまでの間、何を話そうかずっと考えていた。
けれどそんなの片手で数えられるほどしかなくて、決まり切っていて、ただ、何から話し始めようかは全然決まらなくて。
結局決まらないまま、最初に思ったことを言おうということだけ決めてここに来たけれど……私のこんな下手くそな笑顔でも安心したような表情を浮かべてくれるのだから、どうやら私の考えなしの行動は間違いではなかったようだ。

そうひとりで安心していると、鶴丸は少し緊張した面持ちで口を開いて。


「あ、あのな、主」

「なに?」

「…悪かった」


手入れの時にちゃんと言えなかったから、まず言いたかったんだ。
静かな声でそう言った鶴丸は、悲し気に眉をひそめて目を伏せる。きっと鶴丸は、私が何か言うまでもなく自分の行動を顧みて、反省したのだろう。

けれど、どうしてだろう。
正しいはずのその姿に、行動に、言葉に、なぜだか私は少しカチンときて。


「…謝らないでよ」

「…は、」

「そんな風に謝られたら、私、なにも言えなくなっちゃう」


きっと私は、自分の思いを伝えることもなく終わってしまうのが嫌だったのだろう。
だって怒鳴りつけるどころかまだ理由すら聞けていないのに、そんなの私の気持ちが追い付かない。私の気持ちだけが、置いてけぼりにされていく。
申し訳ないことをしたという鶴丸の気持ちを否定する気はないけれど、どうしてか私は、整理しきれていないらしい気持ちを持て余していたのだ。


「すこしくらい、叱らせてよ」

「……すまない」


どうして無理に進軍しようとしたの。どうして、どうして。
そんないくつもの疑問が放たれる前に、私の口をついて出たのはそんな言葉だった。

そうして鶴丸はまた謝って、けれど私には、その謝罪は例の件に対してなのか私の発言に対してなのかもわからなくて。
でもその声は優しかったから、たったそれだけのことで私はひどく安心して、それまでの不安とか緊張は、今度こそどこかに飛んで行ってしまったのだ。


「……重傷だったのに。どうして進軍しようとしたの、」


俯く鶴丸を覗き込むようにして問えば、彼はわずかに瞳を揺らし、躊躇いがちに視線を合わせる。
その目はまるで、水面に映り波に揺れる満月のようだった。

そうしておずおずと口を開いた鶴丸は、相変わらず躊躇した様子で。


「…もう少しで、練度が上がりそうだったんだ」

「……………」

「あと一戦交えれば、恐らく俺は特になれた。それを得たいがために、進軍しようとした」


目を伏せたまま鶴丸が放った言葉に、私は何も返せなかった。
どうしてそんなことを。いや、彼らにとってそれはとても大切なことだ。わかっているけれど、それでも、自分や仲間の命を危険にさらしてまで得たいものなのだろうか。刀とは、そういうものなのだろうか。

予想外の言葉に、ごちゃごちゃとした考えが頭の中を支配する。
けれど鶴丸は、そんな私のことなんて知らないとばかりに口を開いて。


「強くなりたかったんだ」

「…強くって、」

「君をちゃんと守れるように、強くなりたかった」


恩に報いようとしているのだと思った。
私自身は感謝されるべきことをしただとか彼にとっての恩人だとか思っていないけれど、彼は顕現して数日経ったあの日、確かにそう言っていたのだ。

それに対して、悪い感情はない。
適性があったからとはいえ、普通の人間であれば会話はおろか見ることもできないような神様たち――…付喪神と一緒に共同生活してはいるけれど、私だって人間だ。
誰かに感謝されることは単純に嬉しいし、あの時ああして良かっただとか、そういうことを思う。

ただ、そこまで感謝されることをしたつもりはない。そういう気持ちもあるのだ。
そして私はにわかに、“神様に感謝される”恐ろしさのようなものを、心のどこかで感じたのである。


「……その気持ちは嬉しい。けど、それでもし折れたら、どうするの」

「…返す言葉もない」

「折れたらもう、鶴丸が私を守ることはできなくなるんだよ」

「…ああ。君の言う通りだ」


そうなってからでは遅いのだと、鶴丸だってわかっているはずだ。
だから真っ先に謝ってきたのだろうし、私はそのことを、ちゃんと理解しているつもりだった。

けれど口から出ていく言葉は鶴丸を責めるようなものばかりで。
でもそれは、同時に私の本心でもあって。


「心配、した」

「…………」

「もう目を覚まさなかったらどうしようって、すごく怖かったんだよ」


唇をぐっと噛み、握り込んだ自分自身の手を眺めながら言う。
するとすぐ目の前の鶴丸が息を呑むのがわかって、その直後には、私の手に鶴丸のそれがそっと重なった。
その手に溢れるぬくもりに、自分の存在をはっきりと伝えようとする鶴丸の意思が込められているような気がした。


「…ありがとう。心配かけてすまなかった」

「……本当だよ、鶴丸のばか」

「そうだな。君にそんな顔をさせて、俺は本当に大馬鹿者だ」


そんな顔ってどんな顔だ。
思いながら顔を上げれば、彼は言葉と裏腹に、それはそれは嬉しそうに笑っていた。


「……もう二度と、あんなことしないでよね」

「ああ、約束しよう」

「本当に本当に、絶対したら駄目だからねッ」

「大丈夫だ、ちゃんと肝に銘じておく」


言いながら眺める鶴丸は相変わらず笑顔で、本当にわかってるのかなんて思ってしまう。
けれどそんなこと反面、いつも通りの鶴丸の姿に安心している自分もいて。


「…うん。もうすっかり元気になったみたいだね」

「この通りピンピンしてるぜ。なんだ、部屋から出てもいいのかい?」

「大事をとってたけど、もう随分とこもりっきりだったからね。鶴丸が大丈夫なら、もう出る?」

「いいのか!?」


私の言葉にぱっと顔を明るくさせた鶴丸に、思わず笑みがこぼれてしまった。
鶴丸の性格を思えばそれも当然だし、きっと私が同じ立場でもこの男と同じように息苦しさを感じていたことだろう。


「よし、それじゃあ夕飯の前にお風呂に入っておいで」

「ああ、そうする」

「じゃあ私は執務室で仕事してくるね」


言いながら手入れ部屋を出るべく立ち上がれば、鶴丸も立ち上がり、自分が横になっていた布団を畳み始める。
そうして出入り口に辿り着いたところで、ハッと思い出して。


「そうだ、鶴丸」

「ん?なんだ?」

「誉。初めてとれたね」


おめでとう。
そう言って笑えば、鶴丸は心底幸せそうに笑った。


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