これは困ったことになったと、俺はシミひとつない天井を眺め息を吐く。
ああ本当に、本当に、俺はただ強くなりたかっただけなのに、力を得たかっただけなのに、どうしてこんなことになっちまったんだ。


「……不信感を抱かれただろうか、」


誰もいないのをいいことに、手入れ部屋の中でひとりごちる。
ついさっき薬研と青江が昼食を持ってくるついでに様子見に来たばかりだから、きっとしばらくはまたこの部屋で一人きりだろう。
そんなの普段の俺からしたら退屈で退屈で何度死んでも足りないくらいだが、今はそれどころじゃない。
主のことが気がかりで、そんなことは霞んでしまう程度には俺は参っていた。

あれから本丸に戻った俺たちをまず最初に迎えたのは、畑仕事を終えたばかりの薬研だった。
帰還する旨を伝えることなく戻ったため、あの時あの場所に居合わせたのは偶然だったのだろうが…落ち着いていながらも、的確な指示を出してきたのは流石と言うべきか。
主を呼ぶまでの間に、傷の深い者から順に手入れ部屋へ運び入れるよう言った薬研の言葉に、俺以外の全員が俺を手入れ部屋へ連れて行こうとしたのには内心笑ったが……あの彼女の表情を思い出すに、戻った際小狐丸が話したことを薬研から聞いたのだろう。
手入れ部屋の扉をスパンと開いて安堵した表情を浮かべたのち、すぐに眉をひそめた彼女の顔を見て、一瞬の和やかな気持ちなんてすっかり消えてしまったのだ。


「…小狐め、」


なんてことを言ってはみたが、小狐丸がなにひとつ悪くないことは俺自身よくわかっている。
あれについてはどこを切り取っても俺が悪くて、嫌になるほどに自業自得だ。

けれど流石に、叱るわけでも泣くわけでもなく、傷の箇所についてという最低限の会話をするのみで黙々と手入れをされるというのには参った。
いっそのこと罵倒してくれた方が楽だったというのは、気まずい空気を避けたい俺のわがままでしかないのだろうけど。


「…どうしたもんか」


自分の目的のためにあいつらをも危険にさらそうとしたんだ、主に叱られるのは当然のことだし、言い訳をするつもりは微塵もない。
どれだけ責められようと構わないし、ある程度の罰だって受け入れるつもりだ。

けれどもしも、その罰が出陣を禁止するものだったとしたら。
そうしたら俺は、どうするだろう。嘘に気付くこともなく俺を仲間として受け入れた奴等は、彼女は――…



「…死ぬことになるなあ、」



彼女には、どんな死が似合うだろうか。
目を閉じた瞬間抱いたそんな考えは、襲ってきた急激な眠気に飲み込まれた。










「彼、随分良くなったみたいだよ」

「……青江、」

「おっと失礼。入らせてもらうよ」


スッと開いた戸の音と声に振り返れば、いつも通りの柔らかい笑みをたたえた青江がいた。
それに安心したのは、彼が放った言葉のせいか、巡り続けていた思考から解放されたせいか。
きっとその両方なのだろうと内心苦笑すれば、机の上に置かれた書類を見て青江がくすりと笑った。


「おや、仕事中だったんだね」

「…嫌味?さっきからちっとも進んでないってわかってるくせに」

「ただの常套句じゃないか。せっかく落ち込んでいる主様を気遣って来てあげたっていうのに、随分な言い方だね」

「だとすれば、青江には気遣いは向いてないと思うよ」


苛立ちを隠すこともなく言葉を放てば、鋭くなった青江の左目が私を射抜く。


「主、刺々しいよ」

「…………」

「僕にはいいけど、短刀の子達にもそんな態度をとるつもりでいるのかい?」


ああ、やってしまった。
こんなことしても意味がないのに、比較的穏やかな青江にここまで言わせてしまうだなんて、何をしているんだ私は。


「…ごめん、八つ当たりした」

「いや、僕も間が悪かったよ。きつい言い方してごめんね」

「ううん、確かに青江が言う通り常套句だったもん。謝らなくていいよ」

「ならこの話はここでおしまい。僕も気にしないから、主も気にしないで」


わかったという思いを込めて小さく頷けば、青江が壁を背もたれに腰を下ろす。
なにか話したいことがあるのだろう。青江が私に許可を取ることなく座る時は、いつだってそうだった。


「鶴丸さんのことだけどね。さっきも言ったように、随分と元気になったようだったよ。2日近く眠っていたと伝えたら、いつも通り驚いたって」

「…そう、」

「……噂のことが気がかりかい?」


青江の言葉に返事はしなかった。
けれど青江はそれを肯定と解釈したのだろう、困っちゃうよねえと苦笑した。

噂というのは、端的に言えば、鶴丸が危険分子ではないかというものである。
敵の本陣が目の前とはいえ、自分自身重傷でありながら、仲間をも危険にさらしてまで進軍しようとした理由。
鶴丸本人から聞けていないこともあるのだろうけど、それにしても理解不能な彼の行動に、不信感を抱いているものは少なからず存在した。


「検非違使か遡行軍か、はたまたそれ以外の勢力なのか…そこに関しては噂している子達も考えあぐねているようだけど、いずれにせよ良い状況ではないね」

「……はあああ…」

「ただでさえ不可解な現れ方をしたんだ。それに加えてあんなことがあったんだから、ある程度は仕方ないんじゃないかな」


ただまあ、手入れの段階で鶴丸さんには話を聞いた方が良かったね。後の祭りだけど。
いつもと同じ柔らかい笑みを浮かべながら言った青江に、笑い事じゃないよと返す。

しかし彼の言葉は正論だ。
鶴丸の体調面への配慮3割、感情的になってしまうかもしれないからという自分自身への不安7割で後回しにしてしまったけれど、こんな噂が流れてしまうくらいならもっと早くに鶴丸の元へ行けばよかった。
たとえ感情的になって叱ってしまったとしても、私の言葉に鶴丸が傷ついてしまったとしても。
積み重ねてきた仲間からの信頼を失うより、その方がよっぽどましだったはずだと机に頭を預けて悔いた。


「おや、青江。もう来ていたのかい」

「…え、石切丸?」

「小狐もおりますよ、ぬし様!」


うんうん唸りながら後悔の念にさいなまれていると、突然開いた襖に驚いて顔を上げる。
するとそこには石切丸、そしてそのすぐ後ろには小狐丸が立っていた。

いきなりの訪問者に驚いたけれど、もう来ていたとはどういう意味だろう。
理解できない状況に壁際の青江を見てみれば、僕が呼んだんだと言って立ち上がった。


「なんじゃ青江、ぬし様に伝えていなかったのか」

「うん、揃ってからでも構わないと思ってね」


よいしょ、っと。
言いながら座った石切丸に続き、小狐丸と青江が私のすぐそばに腰を下ろした。


「2人ともどうしたの?」

「話をしなければいけないと思ってね」

「私は状況説明のためにと」


何を話さなければいけないのか、何の状況の説明のためなのかと、私は一瞬考える。
けれどそんなの、考えるまでもなかったことだ。ここに集まった3人の姿を見て、ああそういうことかと息を吐いた。


「察しているとは思うけれど、鶴丸のことだ」

「…うん」

「ぬし様もご存知でしょうが、昨日の朝から本丸内には鶴丸に関する噂が流布しておりまする。まだ手入れ部屋に入っているようですが、目が覚めたとなれば彼奴の耳に届くのも時間の問題ですし、このまま放っておくのは得策ではないかと」

「それは、うん。そうだよね」


となれば私にできることはひとつだ。
それはわかっているけれど、その前に聞いておきたいことがあった。


「私も現状を良く思ってはいないし、あとで鶴丸と話すつもりでいるよ。……けど、」

「…けど、何です?」

「3人は噂について、どう思う?」


誤解か、はたまた真実か。
それについては鶴丸に聞かなければ――…いや、鶴丸に聞いたところで、確実に私の望む答えしか返ってこないだろう。
彼が私達の命を脅かす存在だとしても、そうでなかったとしても、自分はお前たちの命を脅かすためにここに来ただなんて、言うわけがないのだ。

それでも3人に問うたのは、楽になりたかったからだろう。
鶴丸を疑い切れていないのは私だけじゃないと。自分がこの目で見たものを、かけられた言葉や与えられたものすべてを、嘘偽りだと思えないのは私だけじゃないと。
きっとそんな風に、噂を耳にしてもなお、鶴丸を信じたいのは私だけでないと思いたかったのだ。


「ご安心くだされ、ぬし様」

「…?」

「少なくとも私は、彼奴が噂通りの危険な存在とは思っておりませぬ」

「え、」


その言葉にパッと顔を上げれば、小狐丸は大丈夫ですよと言いながら笑顔を浮かべた。
そうして呆気に取られている間に、青江と石切丸が不満気に声を上げて。


「嫌だな。そんな言い方したら、まるで僕たちは疑っているみたいじゃないか」

「そうだよ小狐丸。私も青江も、鶴丸のことを信じているというのに」

「というか、本気で疑ってる子って少ないんじゃないかな。僕は近侍の仕事をしてるから、みんなの様子もそんなに見れていないし推測することしかできないけど」

「いや、実際のところ君の推測通りだよ。噂話こそすれど、必ず最後には“でもあの鶴丸さんが”と言っているし、私が物の怪や怪異の類ではなさそうだと伝えるまでもなく、皆が自分の見たものを信じようとしている」

「そうじゃのう。特に短刀共はよく鶴丸に遊んでもらっておったし、疑うに疑えないというところじゃろう」

「はっきりとした鶴丸さんからの言葉もなければ姿もまるで目にしていないから、そうだったら怖いっていう不安はあるんだろうけどね」

「ただ、噂がひとり歩きするのは好ましくないからね。早急に対応した方がいいとは思うよ」

「確かにそれはそうじゃ」


正直、驚いた。
刀剣たちの間で鶴丸に関する噂が流れていたのは当然知っていたし、その内容だってある程度は把握していた。
けれど私は、それらについてみんながどう思っているかを、まるで理解していなかったのだ。


「大丈夫だよ主。石切丸も今言ったように、穢れも怪しい気も感じられない」

「万一彼が危険な存在だったとしても、君を守るのは御神刀である私のみならず、ここにいる刀全員の役目だからね。安心するといいよ」

「ぬし様は、ぬし様の信じたい鶴丸を信じてやれば良いのではないでしょうか」


自分が信じたい鶴丸とは何かなんて、考えるまでもない。
私はこれまで自分が見てきた、明るくて面倒見がよく、時に悪戯をして叱られることがあっても、真面目なところだってちゃんと持ち合わせている、優しい鶴丸を信じたかった。
今も私の髪を彩っているこの小さく美しい花を、悪意のある者からの贈り物だなんて思いたくなかった。思えなかった。

けれど私は、不安で不安でたまらなかったのだ。
私がいくら鶴丸を信じようと、もし彼が悪意を持ってこの本丸に存在し、みんなにも害を及ぼそうとしていたのなら、私だけでなくみんなの命まで脅かされることになる。
彼を信じた結果として私ひとりが命を奪われるのであればまだいい。
もちろん死にたくはないけれど、それは私が信じたが故の結末だ。ある程度は仕方がないと思う。

でももし、みんなの命まで奪われることになったら。
鶴丸に対し疑念や不安を抱く子がいる中で、自分が見てきたものを信じたいからと彼をここに居させ続けるのは、あまりに勝手なのではないかと思っていた。
私は自分が信じたいと思った者を、自分の手で壊さなければいけないのかと思っていたのだ。
けれど、みんなは鶴丸のことを。


「……なんだ、そっか。そうだったんだ」


鶴丸だけでなく、みんなのことも信じなきゃいけなかったんだ。
今になって気付いた、忘れていたそんな当たり前のことにひとり自嘲すれば、青江がくすりと笑った。


「なんだか久々に笑った顔を見た気がするよ」

「…え、そうかな」

「そうだね。まあ起きたことを思えば無理もないけど、私達も心配していたんだよ」

「髪を梳いていただくこともできず、小狐は悲しゅうございましたぞ」

「ご、ごめんごめん」


困ったように笑う石切丸と、少しだけ不満気な顔をした小狐丸。
そんな彼らの姿に、やっと私は心から笑うことができた。


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