いつからか、ぬし様の御髪に一輪の花が咲くようになった。
それほど前のこととは思わないが、はっきりといつとは言いがたい。

ただその花は、あまりに彼女に似合っていた。





「それじゃあみんな気を付けてね。刀装が壊れたら即撤退だよ、わかった?」

「わかってるさ、大船に乗ったつもりで任せてくれ」

「もう、主さんは心配性だなあ」


もう何度行われたかわからない、当たり前の光景。日常。
その中に一輪の花が加わったのは、鶴丸が顕現して数日後のことだ。そのかんざしは此奴がぬし様に贈ったものだということは知っているから、そこは間違いないだろう。

大きな菊に、小さな色とりどりの菊があしらわれたかんざし。
まるでぬし様のためにつくられたかのようなそれは、本当に本当に、この小さく優しい人間に似合っていた。


「…まる、小狐丸っ」

「 はい、ぬし様」

「もう、ちゃんとお守り持ってる?」

「もちろんです、ここに」


懐から出したそれをぬし様に見せれば、安心したように彼女が笑う。
髪に挿したかんざしにも負けぬ、花のような笑みだった。


「それじゃあ今剣と骨喰、作戦名は覚えてる?」

「いのちだいじに!」

「…いのちだいじに」

「そう、よくできました!」


笑顔を浮かべ大きな声で答えた今剣と骨喰の頭を撫で、無理はしちゃだめだよとぬし様が言葉をかける。
その姿はまるで親子や姉弟のようで、微笑ましさについ頬が緩んだ。


「同田貫、単身突撃は駄目だよ。鶴丸の指示にちゃんと従ってね」

「わーってるよ」

「なら良し。それじゃあ鶴丸隊長、よろしくね」

「ああ。驚きの結果を君にもたらすぜ」

「大怪我して帰ってきて、驚いたか?なんてのはやめてよね」

「はは、大丈夫だ。安心しろ」


冗談っぽく言ったぬし様に、それじゃあ行ってくると返した鶴丸を筆頭に、私を含めた第一部隊が歩みを進める。
今日向かう場所は新たな合戦場ということもありぬし様は大層心配しておられたが、まあいつものように私が誉を取って何事もなく終わりだろう。

そんなことを思いながら、ゲートの役割も果たす門へと向かっている時だった。


「…っと、」


突然声を上げた鶴丸が、その足をピタリと止めて振り返る。


「なんじゃ鶴丸、厠か?」

「いや、忘れ物だ。すまん、すぐ戻るから待っていてくれ」


そう言ったかと思うと、鶴丸はパタパタと屋敷に向かい駆けて行く。
その後ろ姿に忘れ物とはなんだろうかと一瞬思ったが、考えてわかるわけでもなし、すぐに思考を停止した。

すると、すぐそばに立っていた今剣が口を開き。


「すきなんですねえ、」

「…ん?」

「ほら、こぎつねまるもみてください」


いきなりなんじゃ、と今剣の指差す方を追う。
しかしそこには、にこやかに言葉を交わす鶴丸とぬし様がいるのみで。


「あれがどうした」

「すごくしあわせそうなかおをしています」

「…別にいつもと変わらんじゃろう」


いつもと同じぬし様じゃ。
言いながら、忘れ物とはぬし様への伝え忘れのことかと考えていると、今剣が目を大きく見開きながらこちらを見上げていたのに気付く。


「…こぎつねまる、あなた……」

「…………なんじゃ」

「……いえ、なんでもありません」

「言いたいことがあるなら言えば良かろう」

「いえ、いいんです」


こぎつねまるは、にぶいんですねえ。
上機嫌な今剣が呟いたが、その言葉の意味は、わからないままだった。










「光忠ー、ちょっといい?」

「うん、どうかした?」

「あのね、今日のご飯のリクエストなんだけど」


第一部隊が出発してすぐのこと。
玄関から炊事場へと移動した私は、ひょこっと顔を覗かせて今日の食事当番を務める光忠に声をかける。
すると白い歯を光らせて振り返った伊達男は、何が食べたいのと穏やかな声で私に聞いた。


「第一部隊のみんなの好物を出してあげてほしいんだけど、いいかな」

「第一部隊?なんでまた?」

「今日の合戦場は初めて行くところだから、きっと疲れて帰ってくると思うんだよね。だからご褒美に」

「なるほどね」


となると、と口元に手を当てながら、私と光忠は冷蔵庫に張られた紙に目を向ける。
小狐丸は油揚げ、今剣はプリン、堀川はきんぴら、骨喰はかぼちゃの煮物、同田貫は親子丼……今剣はご飯というよりデザートだから、食後の方がいいかな。


「あれ、鶴さんのが書いてない」

「ああそうだ、書かなきゃと思って忘れてた」

「鶴さんの好きな物ってなんだっけ?」

「獅子唐だよー」


マグネットに引っ掛けられていたペンを手にし、鶴丸→獅子唐 と紙に書き込む。
そうすれば光忠は驚いたように目を丸くし、そうなの?と不思議そうな声で問いかけてくる。


「鶴さんって野菜嫌いじゃなかった?」

「うん、でも獅子唐は好きみたいだよ。さっきわざわざ食べたいって言ってきたくらいだし」

「あ、鶴さんから言ってきたんだ」

「そうそう。送り出したと思ったら戻ってきて、誉を取るから夕食には獅子唐を出してくれって」


本当、わざわざ言いにきたくらいだから、よっぽど気に入ったんだな。
そう心の中でひとり笑えば、光忠がシャツの袖をまくる。


「じゃあ、今日の夕飯のメインは親子丼にしようか。おかずは獅子唐とかぼちゃの煮付けときんぴらごぼうに、小狐丸さんは油揚げも添えて…食後にはプリンだね」

「ごめんね、私も早く仕事終わらせて手伝いに来るようにするから」

「ありがとう、でも無理はしないでね」

「うん」


それじゃあ私は仕事に戻るから、と執務室に戻るべく踵を返した時だった。
あれば何かと便利だから、という理由で配置したダイニングテーブルに足がぶつかり、ぐらりと体が傾く。

そして、その瞬間。


「あ、」


パリンという軽い音に足元を見れば、テーブルの上に置かれていたグラスが粉々になっていた。
ああ、今の拍子で落ちてしまったのか。見るも無残なそれらがなんだかとても可哀想に思えて、しゃがみ込んだ私は欠片のひとつに手を伸ばす。


「あ、危ないよ主。僕が片付けるから、そのままにしておいて」

「ああ、うん、ありがとう。ごめんね光忠、割っちゃって」

「いいよ、片付けておかなかった僕も悪いから」


怪我はしてない?大丈夫?
そんな光忠の言葉に黙って頷いた私は、グラスだったものを眺めて。


「 …ごめんね、」


小さな声で呟けば、光忠が不思議そうな声を上げる。
それになんでもないと放って立ち上がれば、嫌な予感が、私の全身をぬるく包んだ。


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