新羅の家を出て10分。
相変わらず1人楽しげに笑う美尋を見て、俺は小さくため息を吐いた。


「あれ?どうしたんですかー?」

「お前のせいだっつの」

「? なんで?」

「15分くらい前のこと思い出してみろ」


自分でそう言ったものの、「なに言ったかなあ」と呟く美尋の声に、顔がまた熱くなった気がする。
そうだ、酔いだけじゃなく顔の熱をどうにかしたくてあいつらの申し出を断ったのに、何言ってんだ俺。
確かにそんな気持ちはあるのに、自分の中にひっかかる思いは、冷たい風に当たっても醒めることはないらしい。


「…お前、さっき言ってたこと本当か?」

「さっき?」

「何か悩んでたっつー話」


俺に言われて気付いたからだとか、俺は大人だからとか。
もしかしてこいつは、そういうことを考えていたから、言葉の割に行動をしてこなかったのだろうか。


「ほんとですよー」

「…………」

「たまにそのこと考えて、つらかったりしたんです」


数秒置いて言った美尋の声は、ついさっきの朗らかなそれとは違い、明らかに沈んだものだった。
それと同時に強くなっ首に回る手が、左手にある荷物のせいで触れてやれないことが、無性に歯がゆい。


「こわくていえなかったんです」

「………」

「もう1人になりたくなくて、きらわれたくないから、いえなかった」


暗さだけじゃなく、顔が反対側を向くような形で抱き上げてるせいで、今美尋がどんな表情をしているのかはわからない。
けどきっと泣きそうな顔をしているんだろうと、その声を聞いて思った。


「…お前、そんなこと気にしてんじゃねえよ」

「……そんなこと、じゃ、ないもん」

「そうかもしんねえけど」


俺にはつらくなくても、こいつにとってつらいことがある。
今回は微妙に違うが、1年くらい前だったか、美尋に言われた言葉がよみがえる。


「…いや、そうだな。俺が悪かった」

「?」

「そんなことっつってごめんな」


頭を撫でてやれない代わりに、肩口にある美尋の頬へ口元を寄せる。
少しだけ緩んだ首に回る手が何を思っているのかは、相変わらずわからない。


「でも俺は、お前のこと嫌いになったりしねぇよ」

「…ほんとに?」

「おう。だから、自分は気付かなかったのにだとか、俺が大人だからだとか、そういうことは気にすんな」


言葉だけでもそりゃ嬉しいけどな。
そう付け加えて言えば、やっと上げた美尋の顔が、街頭の光に照らされる。


「じゃあこれからは、わたしからくっついたりしてもいいんですか?」

「お前がしたいならすりゃいい」

「静雄さんは、いやじゃないですか?わたし甘えん坊だから、たぶんどれだけ経っても静雄さんにくっついてばっかだとおもうけど、いいんですか?」


わたしがそんなのでも、嫌じゃないんですか?
不安半分期待半分といった表情で俺を見る美尋は、わずかに残る舌ったらずな口調でそう言った。


「ばーか、嫌になるわけねえだろ」

「…そっかあ。えへへー」


一気に嬉しそうな声色になった美尋は、上機嫌に足を揺らして首に抱きついてくる。
それが何だかくすぐったくて、でもどうしようもないくらいに幸せで。
こいつのことを嫌いになる日なんて来るのか、と自分自身に問いただしたくなるほどだった。


「ほら、もう家着くぞ」

「ふふ、はーい」

「鍵開ける時は一回…」


一回降りろよ、と言いかけて、やっと見えてきた自宅のドアの前にある人影に気がついた。
とっくに日付を越えたこの時間に来るなんて誰だ、幽か?


「…っ」


目を凝らして正体を知ろうとしたちょうどその時、ドアの前に立った奴が振り返る。
そしてその瞬間、自分の表情が一気に強張るのがわかった。


「おやおや、ずいぶんと遅いお帰りだね?」

「…っ何でてめえが、っ」

「……へえ。噂には聞いてたけど、付き合ったって本当だったんだ」


俺の質問に答える様子もなく、俺と美尋を交互に見た臨也がニヤニヤと笑う。


「あれー、いざやさんだー」

「どうしたの美尋ちゃん、ずいぶんとご機嫌だね?」

「こいつに寄んな話しかけんな、ノミ臭がうつる」

「えへへ、お酒のんじゃいましたー」

「お前も正直に言わなくていいから」


美尋の顔を覗き込みながら言った臨也に腹が立つが、美尋の目の前で殺人を犯すのはどうなんだろうか。
っつーか殴ろうにもこいつを一回下ろさなきゃいけねえし、このまま蹴ったとして、衝撃で美尋が驚くかもしれない。
……あー、くそ。


「うわ、まだ未成年の女の子に酒飲ませるとかシズちゃんサイテー」

「るっせえな手前は!誰が飲ませるか!」

「美尋ちゃん、君の彼氏最低な人だよ?いいの?こんな人彼氏で。俺に変えた方がいいんじゃなぁい?」

「人の彼氏をさいていっていう人の方がさいていだし、そんなさいていな人は彼氏にはいりません」

「え、何でいきなり真顔で話し出すの」


そもそも間違えてのんだだけで、のまされてません。
心底嫌そうに顔をゆがめた美尋に、臨也が顔を引きつらせる。ざまあみろ。


「じゃあ俺もう最低とか言わないよ。だから俺と付き合おう?」

「えー」

「シズちゃんみたく他人に暴力を振るったりもしない。これからは優しくして、いつだって一緒にいてあげるよ?」


笑いながら言う臨也を不思議そうに見つめる美尋に、焦りとわずかな苛立ちが芽生える。
何で何も言わねえんだよ。何で、黙ったままこいつのこと見てんだよ。
そんな苛立ちから口を開こうとした時、美尋がわずかに動く気配がした。


「いざやさんは、優しいですよ?」

「え、」

「あ?」

「いつもじゃないけど、静雄さんの誕生日のときとか、斬り裂き魔のときとか、優しいときもあります」


へにゃ、と笑って言った美尋の言葉に、臨也はいやらしく笑い、俺は一層顔が強張る。
誕生日の時っつーのはいいとして、斬り裂き魔の時って何だ?
それにお前だって、臨也のことは良く思ってねえんじゃなかったのか。それをどうして、


「でも、やです」

「え、何で?」

「だって、静雄さんはこわくないけど、いざやさんはこわいから」


もういい、今すぐに臨也をはっ倒して家の中に入ろう。
そう思って、固まったように動かなかった足を無理やり動かした時に放った美尋の言葉に、足がまた止まる。


「何、俺怖いの?」

「こわい、です。だから静雄さんがいいです」

「じゃあこれからは美尋ちゃんの怖がることしないって約束するよ?」

「でも、静雄さんがだいすきだから、いざやさんじゃだめー」


ぎゅう、と強さを増した美尋の腕に、焦りと苛立ちが落ち着いていくのがわかる。
それでも“斬り裂き魔”と“優しい”が俺の中でつながることはなくて、理解できないそれらの言葉に、奥歯がギリッと音を立てる。


「あーあ、フラれちゃった」

「あはは、いざやさんふられたー」

「自分でフッた人間を指差して笑うとかどんだけ性格悪い子なの君は」


呆れたようにため息を吐くノミ蟲の声で、意識が現実に引き戻される。
…ああ、そうだ。今はもうとっくに夜中で、こいつはたった一杯の焼酎でこんなにも酔ってて、だから、


「美尋、もうこいつの相手すんな。キリねえし眠いだろ」

「ねむいのばれてたか、さすが静雄さんっ」

「はいはい」


目を丸くしている臨也の横を素通りし、数分前から見えていたドアにやっと到達する。
地面に下ろした美尋は「じゃあさよならー」なんて言いながら臨也に手をぶんぶん振ってやがるけど、とりあえずこいつを寝かせるのが先決だ。ノミ蟲は後日ぶっ殺そう。


「ただいまー」

「っおい、転ぶぞ。運んでやるから靴脱ぐまで部屋行くな」

「はーい」


上機嫌にふんふん歌いながら俺を待つ美尋は、それはそれは楽しそうに笑う。
…ったく、こっちの気も知らねえでこいつは。


「服はー?」

「今日はもうそのままで良いだろ。俺も眠い」

「ふふ、はーい」


死んでもあいつにはやらねえ。
「おやすみなさい」と呟く美尋をいつもより強く抱き締めながら、斬り裂き魔云々っつーのは明日こいつが起きてから聞こうと思った。

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