痛いの痛いの飛んで行け
「さち」
「あ、仁王くんだ」
「もう注射終わったか?」
「うん、やったよー」
授業をつぶしての予防接種。A組の教室に入ってきた仁王くんは、一直線にわたしの席まで来てそう言った。
右肘の内側に貼られた脱脂綿を見せると、安心したような笑顔の仁王くんは、よかった、と呟いた。
「ちょっと来てくれんか?」
「どうしたの?」
「ブンが注射嫌がっとる」
「へー」
「俺らじゃどうしようもないけ、幸村にさち連れてこいって言われたんじゃ」
俺らってことは、たぶんテニス部総出でブン太に注射受けさせようとしてるんだろうなあ。
なるほど、だから柳生くんも真田くんもいないんだ。まったく、ちいさい子じゃあるまいし。
ためいきをついて腰をあげれば、仁王くんがすまんと謝る。謝らなきゃいけないのはこっちだよ。
「ブン太痛いのきらいだからねー」
「あそこまで駄々こねるとは思わんかった」
「ごめんねえ」
保健室までの道のり、すれ違う人たちは口々に痛かったと話す。
まあ注射が好きな人ってのも珍しいだろうけど、嫌だ嫌だと拒む人もなかなかいないだろうに。
保健室の扉を開けばぎゃーぎゃー騒ぐブン太の声が聞こえた。
「ぶーんーたー」
「連れてきたぜよー」
「っさち!」
おうおう、珍しいこともあるもんだ。
普段は冷やかされるの嫌がって露骨にくっついてきたりしないブン太が、わたしの姿を見た途端にものすごい勢いで抱きついてきた。
「わざわざごめんねさちちゃん」
「いやいやこちらこそごめんねー」
「丸井、いい加減に観念しろ」
「注射ごときでたるんどる!」
ぎゅうぎゅうと抱きつく力の弱まらないブン太の頭をぽんぽんと叩けば、ちいさくうなり声が聞こえる。
痛いのが嫌いなのは知ってたけど、まさかここまでだとは思わなかったよ。
「丸井くん、痛いのは一瞬ですから…」
「一瞬でも痛いならやだ」
「わがまま言うなよブン太」
「うっせージャッカル」
ああ、ジャッカルくんかわいそうに。
…いや、かわいそうなのはお医者さんも一緒だ。
すこし困った顔をしたお医者さんと目が合って、ごめんなさいという意味をこめて頭をぺこりと下げれば苦笑された。
「いい加減にしろよ。お前がやらない限り俺のクラスも出来ないんだけど」
「……やだ」
「…へえ、」
うっわ、ブン太が幸村くんに楯突くところはじめてみた。どんだけ嫌なんだよ。
でもそっか。幸村くんはC組だから、順番を最後にしてもらったらしいブン太が注射してもらわないといけないわけね。
「ブン太、がんばろうよ」
「…お前までそんなこと言うのかよ」
「だって他の人に迷惑がかかるもん」
「……仕方ねーじゃん」
こえーんだから。
消えてしまいそうなくらいちいさな声が耳元で聞こえて、なんだかちょっとかわいそうになってきた。
ブン太、格好悪いとこを見られるの大きらいなのに。
「大丈夫だよ、怖くないよ」
「…こえーし」
「じゃあ手つないでてあげるから」
「……」
「予防接種やらないでブン太が病気になったら嫌だよわたし」
これは決して嘘じゃない。ブン太が苦しんでるとこは見たくないし、いつでも元気でいてほしい。
つかえてる後のクラスの人たちへの迷惑もあるけど、正直、そんなことよりもブン太が病気になることの方がわたしにとっては重大なんだ。
「だからね?」
「……わかったよ」
「え?」
「やりゃいーんだろ!」
ガバっとものすごい勢いで離れたブン太は、ただ一ヶ所、わたしの手だけをぎゅっと握って椅子に座る。
みんなの顔を見れば、呆れながらも安堵の表情を浮かべていた。
ほんと迷惑かけてごめんね。
「…ぜったい、手離すなよ」
「うん」
「ぜったいだからな」
「うん、大丈夫だよ」
力を増したブン太のそれに、自分の手がすこしだけ痛む。
けどブン太が抱いている恐怖を考えると、そんなのどうってことなかった。
痛いの痛いの飛んで行け
(うああぁ…)
(えらいよブン太、がんばったね)
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