従順な猫じゃいられない


「…あの子、どうしたのよ」

「さあ。反抗期ってやつじゃない?」


そこはかとなく重い空気に耐えかねたかのように、こそこそと波江が問いかけてきた。
ソファーに座る希未とデスクにいる俺たちにはそれなりに距離はあるが、一応聞こえないように配慮をしているのか、その声は確実に小さい。


「反抗期って…ついさっきまで普通に話してたじゃない。内容までは聞いていないけれど」

「うん、そうなんだけどね。何かよくわかんないこと言ってきたかと思ったらあれだ」

「またあなたがいらないこと言ったんじゃないの」

「あの程度であんな態度取られるんだったら、俺は毎日家庭内別居状態ってくらいのことしか言ってないよ」

「…たとえが微妙だけれど。つまりあんな態度を取られるほどのことを言った覚えはないってことね」

「波江だって今言ったばかりじゃない、さっきまで普通に話してたって。普通に話してたと思ったら一転、って感じだったんだよ」


希未が何ひとつ言葉を発しなくなってから、どれくらいの時間が経っただろう。
わけのわからないことを言ってきたと思えば突然TVのリモコンを手にし、スタイルは安定のソファー上で体育座り。
あれはたいていが拗ねてる時や不機嫌な時にとる姿勢だから、マイナスな感情を抱いているということは一目でわかるけど――…


「あなた嫌われてるんじゃないの」

「好かれてるなんて今の今まで一度たりとも思ったことないよ」

「良かった、自覚はあったのね。思ってたとしたら『それは勘違いよ』って言わなきゃいけないところだったわ」


波江さん、何か色々とおかしいよ、言っちゃってるよ。
口にはしないまま希未を一瞥すれば、生きているのか怪しくなるほどに微動だにしない彼女がそこにいる。
…さっきと全然姿勢変わってないんだけど、死んでるのかな。


「波江、ちょっと声かけてみてよ」

「あなたが先にやってみたらどうかしら」

「…俺の呼びかけには反応しないとでも思ってる?」


その問いに答えることなく希未を眺める波江は、どうしたって先に声をかける気はないらしい。
まったく馬鹿だな、波江は。
希未が何を意固地になってるのかなんて知らないけど、一応俺は希未の保護者みたいな立場であり、養ってやってる側なんだ。流石に無視は有り得ない。
ま、波江は詳しい事情を知らないから、そう思うのも仕方ないのかもしれないけど――…なんて思いながら、咳払いをひとつ。


「希未」


そういえば、何も考えずに呼んでみたけど、何を話せばいいんだろう。
いや、そんなのどうとでもなるしどうでもいいか。

そんなことを思いながら、いつも通りの感情なんてなくしてしまったかのような「何ですか」を待っていたんだけど。


「…希未?」


え、何で何も言わないわけ?
もしかして聞こえていないのか、なんて思って少し大きめの声で言ってみるも、やはり希未からの反応はない。


「あら」

「……………」

「あ、ら」


わざとらしい声に波江を見てみれば、まさしく嘲笑という言葉がぴったりな笑顔で口元に手を当てながら、椅子にかける俺を見下ろしていた。
…雇い主を前に、どいつもこいつも調子に乗り過ぎてやいないか。


「じゃあ私が呼んでみようかしら。――希未」

「はい、何ですか」


2秒と空けずにこちらを振り返って言った希未は、一瞬たりとも俺を見ず、波江さんを直視した。
それに少なからず驚いた俺なんて知る由もないといった様子で「どうしたんですか」と言う希未の白々しさったら、普段の俺も驚愕するほどだ。


「夕飯を作るから、手伝ってちょうだい」

「あ、はい」


恐らく数十分ぶりに立ち上がったであろう希未は波江さんの後に続き、キッチンに入る。
…ちょっと待てよ。なにこれ、どういうことだ。


「っていうか波江さん、今日は遅くまでいるんですね。定時とっくに過ぎてますよ」

「今日は誠二が夜から予定があるのよ」

「はあ、」

「定時で上がって寒い中ホテルに戻ってまた外に出るくらいなら、明日以降の仕事を減らしつつあたたかいところで残業代を得ながら過ごす方がよっぽどいいわ」

「…なるほど」


定時過ぎてるのに帰らないと思ったらそんな理由かよ。
そう思うも、依然としてよくわからない状況と普通に交わされてしまっている2人の会話を前に、入っていこうだとか口を挟もうとか、そんなことは思えない。


「残念だったわね」


デスクにつく俺に聞こえる程度の声で波江さんが言えば、一瞬だけ、こちらを向いた希未と目が合った気がした。


猫はこうして牙を剥く


「ねえ希未」「………」「やめなさい、空しいだけよ」

 



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