その一瞬にすべてを賭ける


「残念だったねえ」


セルティさんが去ったリビング。
ソファーの隅っこで体育座りをし、クッションを抱き締めながら俯く私の目の前に、うやうやしく紅茶を置きながら臨也さんが笑った。


「…………」

「連れて行ってくれると思った?…ま、俺自身も少しひやっとしたけどね。希未には話したことなかったけど、なんせ首無しは俺たちが一緒に暮らしてるのを快く思っていないらしいから」


今現在、セルティさんのいないこの場所に臨也さんと2人ということからもお分かりだろうが、私は連れて行ってもらえなかった。

あの後――…私の言葉を聞いたセルティさんは、少し迷って首を横に振った。
その瞬間の私といえば、ある種の絶望のようなものを感じながら向けられたPDAに目をやったわけなんだけど――…そこに書かれていたのは、


《私は、あなたがこいつと暮らしていることを、良いことだとは思っていない》

《どういう事情があるのか知らないし、あなたのこともよくは知らない。でもこいつのことはよく知ってるからね》

《だから、もしあなたがここを出たくて連れて行けと言っているなら、私はそれに快く協力するよ》

《けど、…どうしてかはわからないけど、あなたは何か目的を持って、ここを出ようとしているように思える》

《そしてこれから私がしようとしていることには、恐らく危険が伴う。それがわかっている以上、無責任に連れて行くことはできない》


なるほど納得するしかない、あまりにも常識的な答えだった。
簡潔に言ってしまえば、臨也さんのもとを離れたくてそう言ってるなら連れてくけど、別にそういうわけじゃないなら、怪我させたりする可能性を無視してまでは連れてかないよ…っていうことなんだけど。
…本当、きっとこの世界で生きる、私の知り得る誰よりも常識的なその言葉に、私は何も言うことができなかった。

内容が何であれ、嘘を吐けば連れて行ってもらえたのかもしれない。
たとえば――臨也さんのもとから離れたいとか。
でもなぜだかその時の私はそんな簡単な嘘も吐けなくて、この後起きる出来事の重大さをきっと誰よりもわかっているのに、一音だってつむぐことはできなかった。


「…っていうか、希未テンション下がり過ぎ」

「…仕方ないじゃないですか。放っておいてください」

「園原杏里って子がそんなに気になる?電話で忠告できたんだからいいじゃない、自分の言った通りにしてくれるって信じてあげなよ」


友達なんだから。
その部分をわざと強調したように思えるのは、きっと勘違いじゃないだろう。

杏里ちゃんが襲われなければ、それでいいってわけじゃない。
むしろアニメや原作通りにいけば、杏里ちゃんはすんでのところでセルティさんや平和島さんたちによって助けられて、その時点では無傷で帰宅することができる。

けど、問題はそのあとだ。
帰宅した杏里ちゃんの元を訪れる人、そのあとに起きること。
この斬り裂き魔騒動の結末がつむぐ、新たな騒動のきっかけを思い浮かべると、どうしたって不安にならずにはいられないの、だけど。


「…そうですね、」


臨也さんの本当の目的はそこにある。
それを知っている以上自分の感情をさらすことなんてできなくて、私はひとつ嘘を吐いた。


「わかったって言ってくれたんですから、信じればいいんですよね」

「…今日はやけに、すんなり納得するんだね」

「セルティさんに連れて行ってもらえなかったんですもん。私がいくら悩んだところで、考えるだけ無駄ってやつです。信じるしかありませんよ」


よくもペラペラと嘘が吐けるな、と自分のことながら驚いた。
最初は電話口でしか吐けなかった嘘が、大願を前にという条件はあれど、次第に本人を前にしても吐けるようになった。

そこに罪悪感がないわけじゃない。
けれどいくら罪悪感にさいなまれようと、私の天秤がどちらに傾くかなんて、はっきりしているのだ。


「そういえば、波江さんはどうしたんですか」

「荷物を出してもらいに行ってるんだよ」

「それにしてはずいぶん遅い気がしますけど」

「ついでに食料品を買ってきてもらうように頼んだからね」

「ああ、なるほど」


もう気になどしていない。
そんな自分を必死に装っていることが、臨也さんにばれているのではないかと怖くなった。
けれどばれているにせよなんにせよ、私にはこれしか残っていないのだから。


「それなら、波江さんが戻る前に家事済ませておきたいんですけど」

「うん、いいよ」

「じゃあ洗濯してきます。何か新しく洗うものってありますか」

「特にないよ。洗濯機に入ってるものだけで大丈夫」

「わかりました」


念には念を入れて、邪魔をされないように。
そう思いながら臨也さんに問うたけど、気付いているのかいないのか、いつもと変わらない表情で淡々と言う。


「ついでにお風呂も洗っちゃうので」


出された紅茶に口をつけないまま腰をあげれば、「お願い」と臨也さんも立ち上がる。
…うん、デスクの方向かうみたいだし、どうやら仕事をするようだ。


「……ふう、」


脱衣所の扉を閉めて、ひとり大きく息を吐く。
そうして足を踏み入れた浴室で勢いよくシャワーを出した私は、“は行”にいる彼の番号を呼び出した。


水音と彼に最後の希望を


(諦めたらそこで終わりだと、誰かが言ったから)

 



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