悪魔がじわりとにじり寄る


「何か言うことは?」

「ご迷惑おかけして申し訳ありません」


深々と頭を下げてそう言えば、すぐ目の前に立つ人はあまりに深いため息を吐いた。


「今何時かわかる?」

「…21時です」

「21時9分だよ」

「…21時、9分ですね」


『迎えに行くから』。
警察署を出た瞬間私たちを迎えた帝人と正臣に杏里ちゃんを任せ、すぐさま臨也さんに電話をすると、間髪入れずにそう言われた。

…最初は杏里ちゃんの付き添いのつもりだったんだけど、私もがっつり事情聴取的なものをされてしまったなあ。
まあ何も話さなかった…というか、話せなかったけど。

しかし、改めて歯がゆい身だと思わされた。
絶対にその通りになるとは限らないけれど、簡単に言えば、私はこの世界における一部の人たちの未来を知っている。臨也さんの言葉を借りるなら、予言者と言ったところだろう。
けれど誰かに言ったところで信じてもらえるわけがないし…きっとそれが犯罪や被害者を生み出すものだとしても、変わらないのだろう。


「……すいません、本当に」

「いいよ、もう」


え、本当ですか。
今日はずいぶんとあっさりしてるな、なんて思いながら顔をあげて臨也さんを見れば、それはそれは、極悪な笑顔で。


「洗いざらい話してくれるならね」


一瞬でも“優しい”と思った私の気持ちを、返してほしくなった。


「仕事も終わって空腹な中希未の帰り待ってたのに、なかなか帰ってこないから電話したらわけわかんないこと口走ってるし、突然電話が切れたから心配して何度かけ直しても出ないし。そんな君の身を案じて迎えに来てあげた俺なんだから、それくらいの見返りはあってもいいと思うんだけど。俺何か間違ってるかな?」

「………」


相変わらずの勢いに圧倒されながらも、私は心から思った。
心配なんてこれっぽっちもしていないくせに、と。


「…ずっと電話に出られなかったのは、すいません。出られなかった状況があったっていうことを含めても、申し訳ないと思ってます」


あと、夜ご飯のことも。
ここに来て嘘を吐いたことに対する罪悪感のようなものが突然襲ってきたけれど、後悔はしていない。

あの時の私には、ああするしかなかった。
是非や行動の必要性なんて理性的かつ客観的な考えは私の脳内に入る余地もなく、足は動き出していたのだから。


「…でも、話せません。というより、話したくありません」


そして、話しません。
口にはしないまま心の中で強く思えば、臨也さんの眉間に皺が刻まれた気がした。
何だか目を見たくなくて明後日の方向を見ているから、真偽のほどはわからないけれど…きっと、そうなんだと思う。


「迎えなんて頼んでないとは言いません、そこまで子供じゃないですから。でも、それを交換条件に出されるくらいだったら、ひとりで帰りました」

「へえ、よくそんなことが言えたもんだね。最初のルールとして、勝手にどこかに行かないとか俺の嫌がることをしないだとか、もろもろ設けたはずだったけど忘れた?」

「臨也さんこそ、どうしても譲れないところは譲る気ないって私の性格忘れました?」


臨也さん相手に感情的になってはいけない。
そんなのずっと前から思ってたしもう何度も思ったことだったのに、どうしても話したくなくて。


「…場所変えようか。ここじゃ目立つ」

「は?」


いきなり何なの、という勢いのまま周囲を見渡せば、私たちを眺めるたくさんの人。
きっとカップル…には見えないだろうから、兄妹か親戚か、あるいはそれ以外での喧嘩に見えているのだろうけど…これは確かに、居心地が悪い。


「行くよ」

「…はい」


促されるまま動き出した足は、臨也さんは、どこに向かっているのかわからない。
けれど目の前で揺れるファーに、真っ暗な空にとけてしまいそうな黒い髪に、私の心がじわじわととけていくのを感じる。
そして生まれた――…気付いていないふりをしていただけの感情が、外に出たいと騒ぐのを感じる。

だからこれは、ご機嫌取りでも、許しを乞うわけでも、まして妥協でもなく。


「…いざや、さん」

「…何」

「いざ やさん」

「だからな、」


に。
コートの裾を掴み立ち止まれば、臨也さんが驚いたように私を見ているのがわかった。


「……何、どうしたの」


さっきよりもわずかに刺々しさを欠いた臨也さんの声が、裾を掴んでいた私の手をとらえてこちらを向く。
…悔しさが、ないわけではない。甘えだということは自分でもよくわかってる。

けれど、


「こわかった ん、です」


初めて見る多量の血に、未来がわかっているとはいえ、恐怖を感じた。
警察署を出た後にかけた電話で、機械越しとはいえ臨也さんの声を聞いた時に、安心している自分がいた。
目の前に臨也さんが現れた時、悔しいけれど、もう大丈夫だと思った。


「…怖かったって、斬り裂き魔が?」

「…もう、何か ぜんぶ」


何が怖かったのか、はたして私の中に蠢く感情は、恐怖だけなのか。
そんなことすらわからない私には、はっきりとした答えなんて言えるわけもなくて。


「ごめんなさい、臨也さん」


嘘を吐いて、置いてもらってる身なのに何も言わなくて、迷惑をかけて、ごめんなさい。
そんなぐちゃぐちゃな気持ちだって、きっと弱っている今だからこそ抱いている感情なのだとはわかってる。
けれどそれくらい、今の私はただの弱虫で。


「…仕方ないな」

「え、」

「帰るよ」


たったそれだけの短い言葉が、なぜか心に深く突き刺さった気がした。
私には、帰れる場所がある。迎えてくれる人がいる。
それが他人だとしても、どれほど非道なことをしている人だとしても、そのことに変わりはない。


「…はい、っ」


なぜだか涙が出そうになって、手を引かれながら空を見上げる。
私が見ているこの空と、あちらで見えている空が同じであればいいと、心の中で静かに願った。


はじめての弱さ


(優しさが嬉しくて)(どうしても遠ざけたくて)

 



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