血液と焦燥の砂糖漬け


遅かったと言えばいいのか、ちょうど良かったと言えばいいのか。
目の前に広がる血や倒れる女の子、そして立ち尽くす杏里ちゃんを見て、私はただそんなことを考えていた。


「杏里ちゃん、」

「希未さ…あの、これは、」

「大丈、」


大丈夫だよ、わかってる。
口からそんな言葉が出そうになって急いで飲み込んだけれど、杏里ちゃんは困惑するばかりで、私の違和感には気付いていないらしい。


「…大丈 夫?」

「はい、私は…」

「よかった、怪我してなかったみたいで」


私がすべてを知っていることは、絶対に気付かれちゃいけない。
細心の注意を払いながら、安心させるように、彼女の手にそうっと触れる。

…案の定と言えば、案の定。
その手に震えなんてものは、微塵も存在していなかった。


「警察と救急車呼ばないとね」


杏里ちゃんから手を離し、ぽつりとつぶやいて携帯を取り出す。
着歴には臨也さんの名前がずらりと並んでいたけれど、それらは全部見ないふりをした。










《聞きましたー?今夜、とうとう来良学園の生徒が斬り裂き魔にやられたって!》

【え?まじですか?】

[物騒ですねえ]

《マジマジの大マジンですよ!一年生の女子生徒だって!》

【すいません。ちょっと電話するんでROMります】


内緒モード《安心しなよ。君の彼女じゃないらしい》

内緒モード【あ……どうも。でも、友達の女の子かもしれませんし】

内緒モード《柴崎希未でもないよ》

内緒モード【え、何で柴崎さんのこと知ってるんですか】
内緒モード【ああ、今はそれより】
内緒モード【やっぱり心配なんで、一応2人に連絡してみます】


[んー、どの辺かわかりますか?]

《えっと、南池袋の、都電の雑司ヶ谷駅から少し離れたとこですけど》
《あの辺りに行けば、まだパトカーとか集まってるからすぐわかると思いますよ》

[そうですか……。あ、すいません。ちょっと落ちますね]

《やだー!セットンさん、野次馬ですかー?》

[いや、そんなんじゃないですよ]
[とりあえず、またー]


――セットンさんが退室されました――


《あー。もう!》

【すいません、私もちょっと落ちます】

《えー、電話、つながったんですか?》

【それが、今警察だとかなんとか……現場を目撃しちゃったみたいなんで……】
【ちょっと行ってきます】

《ホントですか!?》


――田中太郎さんが退室されました――


《それなら、今日会うのは無理なんじゃ》
《あ、行っちゃったか》
《じゃあ、私も落ちちゃおっかなー》


――罪歌さんが入室されました――


{かた}

《おや》

{今日}
{斬た}

《あーッ、昨日も来てた荒らしの人ですねー!ダメですよ!プンプン!》

{斬るた}
{斬るッた}
{斬った}

《もう、そもそもどうやってここのアドレス探したんですか?》

{違た}
{違}
{弱い、違う、支配、できない}
{愛、足りない、愛}

《なんか、ほかの池袋関係の掲示板も荒らしてるでしょ、あなた》

{愛、したい、人間}
{斬った、だけど、違った、足りない}

《えいッ》
《強制アク禁かけちゃいました。テヘッ☆》
《これで安心ですね。それじゃー》


――甘楽さんが退室されました――



現在、チャットルームには誰もいません。

現在、チャットルームには誰もいません。

        ・
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チャットの画面を消して、大きく深いため息を吐いた。
不可解な終わりを遂げた数十秒の通話、何度かけてもつながることのなかった電話、来良の女子生徒が斬り裂き魔に遭遇したという情報。
この1時間以内に次々と起きたさまざまな出来事に、数日分に値する疲労感を感じているのは、きっと俺の気のせいなんかじゃない。


「はあ……」


まったく、どうして俺がここまで振り回されなきゃならないんだろう。
直接聞いたわけじゃないにしろ、希未の無事も確認できたこともあって少し余裕ができたからチャットを開いたのに、何であのタイミングで荒らしが来るかな。

どうせ今電話したって出られる状況にないだろう、そう踏んだからこそパソコンに向かって、やるべきことはすぐに終わったっていうのに…本当、どいつもこいつも俺を疲れさせてくれる。


「…っと、そろそろ連絡するか」


帝人くん曰く、連絡はついたらしいし。
そう思って携帯を手にした瞬間かかってきた希未からの着信に、俺はひとり笑った。


言い訳タイム


「もしもし、希未?」『…まず最初に、すいません』

 



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