一歩の手前で手を引いて


「じゃあ戸籍とか住民票を作るから、間違ってるところないか確認しといて」

「はい」


PCの画面に目を凝らし、数分前から始まったこのやりとりに食い違いがなかったか確認する。
名前の漢字…よし、生年月日…よし。両親の名前などほかの部分もみんな間違いはないし、とりあえずはこれで大丈夫そうだ。


「大丈夫です、全部合ってます」

「そう。じゃあこれで作るからね」

「はい」


作るとは言ってもこの場ですぐにできるわけではないらしく、やはりある程度の日数がかかるらしい。
あくまで私の予想だが、役所の人間にそういったことを頼める人間がいるのだろう。確かめたわけじゃないが、この世界で生きていく上で必要なのは間違いないから深くは聞かないことにする。


「そうだ希未、」

「…え?あ、はい、?」

「…何?」


いや、なんていうか。
私が寝てる間に調べたって言ってたし、そうじゃなくても今この場で私の名前を見たわけだから、折原さんがそう呼ぶのは、おかしいことじゃないんだけど。


「ああ、呼び捨て?」

「…いや、少しびっくりしただけです」

「っていうか、やっぱり希未も臨也って呼んでよ。俺のこと苗字で呼ぶ人間なんてそういないから気持ち悪いし」

「えー……」


そんなに嫌そうな顔をしていたのか、「ひどい顔」と言って折原さんが笑う。
そのひどい顔をさせたのはどこの誰だ、と言いたくもなったけれど、多分この人相手にはそんなことも無駄なのだろう。


「別にさん付けも必要ないよ。聞いててわずらわしい」

「いや、年上ですからそれはさすがに」

「…ふうん、名前で呼ぶことは認めたんだ?」

「…………いやいや、屁理屈っていうか揚げ足取りにもほどがありますよ」

「何とでも言えばいい」


PCを見ながら言った折原さんを軽く睨めば、こちらをチラリと見た彼の目と視線が絡んだ。
……何でチラッと見てきてるだけなのにこんなに威圧感あるの、この人の目。


「…ああもう、わかりましたよ。名前で呼べばいいんでしょう」

「素直なのはいいことだ」


なんて言いながら、私の個人情報の詰め込まれた書類(になるもの)を眺める、おり…臨也さん。
やっぱりイメージしていた通りというか、強引な人だ。


「…今失礼なこと考えなかった?」

「そんなまさか、あるわけがない」

「そう。じゃあちょっとこっち来て」


手招きする臨也さんに近寄って、何ですか、と小さく尋ねる。何か不備でもあったのだろうか。


「…希未は無用心だねえ」

「え、…わっ」


それはあまりに突然のことだった。
椅子に座る臨也さんに近づいて、その瞬間手を引かれて。

気が付いた時には、私の首に一本のナイフが突きつけられていた。


「……あーあ、不用心」

「…は、え?」

「警戒心が薄いね。俺がどんな人間か知ってるのにさ」


怪しく笑った臨也さんは、私の肌にナイフを当てる。
そうして感じた無機物的な冷たさに、私の体は緊張で熱くなった。


「……だっ、て」

「なに?」

「呼ばれたから、来たんですけど」


それは至極当たり前のことだった。
来てって言ってきたのは臨也さんだし、まあ…確かに危ない人っていうのはわかってるけど。


「もしかして、昨日今日のことでちょっといい人なのかも、とか思っちゃった?」

「………」

「なんだ、中身は普通なんだね。期待して損したかな」


つまらないと言っているのと同じだと思った。
けど、そう思われたからってどうすることも出来ない。
確かに今の私は異質な存在かもしれないけど、元々は変わった性格でもなんでもないんだ。


「…臨也さん、は、警戒して欲しかったんですか」

「さあ、どうだろうね。でも君が騙されやすいってことはわかったよ」


いちいちイラッとさせる言い方をする人だ。
私のそんな思いが顔に出ていたのか、臨也さんは綺麗な顔をほころばせ、ナイフをデスクの上に置いた。


「まあいいよ。ここに来るように言ったのはルールについて話すためだから」

「ルール」

「そう、ルール」


それまで掴んでいた私の手を離し、臨也さんが言う。
ゲームをするわけでもないだろうに、ルールとは、一体なんのことだろう。


「やっぱり他人同士が生活するのにルールは必要だからね」

「…臨也さんがルールだなんて意外ですね。縛られるの嫌いそうなのに」

「うん、俺は嫌いだけど関係ないよ。縛られるのは希未の方だからね」


…今すごい嫌な言葉が聞こえた気がするのは気のせいかな。
何だよそれ、ルールっていうか、臨也さんの性格的にほぼ私への命令じゃん。


「じゃあ1つ目。勝手にどこか行かない」

「…え、そんなことですか」

「大切なことだよ。ふらふらどっかに行かれて何かあったりでもしたら、せっかく見つけた新しいおもちゃをなくすことになるかもしれないし」


おもちゃって。
本人を目の前によく言えるなあと思いながらも、本当にあの“折原臨也”なんだと改めて実感する。


「納得したなら2つ目。俺が嫌がることはしない」

「嫌がることって」

「たとえば食事の時に冷凍食品やレトルトを使うとかー…仕事の邪魔をするとか」


1つ目と比べてずいぶんかわいいな、なんて考えたと同時に、自分が食事を担当するのだとわかった。
まあお世話になるわけだし、家事くらいどんとこいなわけだけど。


「3つ目。これは特に大切だから、ちゃんと覚えておいてね」

「はい」

「すぐに人を信用して、ついていったりしないこと」


私幼女とかじゃないんだけど。
頭の中でそんなことを考えながらも、さっき私の手を引いてあんなことを言ったのは、このためだったのかと少し思った。


「希未が何かに巻き込まれたりするのは面白いから大歓迎だけど、命が危なくなるようなこととかは勘弁してね」

「巻き込まれるの大歓迎って」

「まあ巻き込まれるように仕向けるのは俺だけど」

「おい」


やっぱりこの人は折原臨也なんだと、もう何度目かわからない実感を繰り返す。
後の祭りではあるし行き場なんてないけれど、臨也さんと暮らすの断ればよかったかもしれない。


「約束できる?」

「…善処します」

「まあ、今はそれで許そう」


絶対に破らないとは言えないから、約束はできないけど。
善処という言葉の前に付随したそんな思いは、胸の奥にそうっと閉まった。


「あとは随時追加していくかもしれないけど、とりあえず今はこれくらいかな」

「わかりました」

「あ、それと家事は頼むよ」

「はい」

「あと暇な時は雑務とか手伝って。それに対しての給料は払うから」

「…はい」


とりあえず、神経逆撫でするようなことしなければ特に怒らせることもないだろう。
期待はゼロ、不安80くらいでスタートする日々に、私は小さくため息を吐いた。

 



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