不純すぎる牽制
放課後の来良学園。
正臣と2人、教室で過ごす私の顔からは、日に日に笑顔が消えて行った。
「…つーか希未、最近元気なくね?」
「え」
「いや、まあ俺の気のせいかもしんねえけど…何か前と比べて笑わなくなった気ぃすんだよな。何かあったのか?」
夕日が差し込む1年A組の教室。
目の前に座り、真剣そうな顔でそう問いかけてきた正臣に、私は愛想笑いを返すことしかできなかった。
これから起こる斬り裂き魔騒動、そしてそのあとに起きる抗争。
それらが私から笑顔が消えた原因で…つまり、ひいては正臣が原因と言っても過言じゃないんだよ。
…なんて言えたらどんなに楽だろうと思いはするけど、当然言えるわけもなく。
「ここ最近、事故の時の傷がちょっと痛むんだよね」
「まじか、そんな痛ぇの?」
「んー、たまにずきっとする感じ」
なんて、適当なことを言ってみたり。
いや、まあ事故の傷じゃなくて胸だとすれば否定はできないんだけど。胸が痛い的な意味で。
「とりあえずは大丈夫だよ。でもすごいね正臣、同じクラスの帝人にも杏里ちゃんにも何も言われなかったのに」
「チッチッチ、舐めてもらっちゃ困るぜ希未。俺が愛する希未の変化に気付かないわけないだろ?それに、大丈夫ならいいけどあんま無理すんなよ?傷だっていうから仕方ないとは思うが、この俺がそばにいて元気がないだなんてことは本来許されないわけだし――…」
「っていうか杏里ちゃん遅いね」
「……あしらってすらくれなくなったッ!」
希未が冷たいだとかなんだとか言ってる正臣は放っとくとして…本当に遅い。
トイレに行ってくるだとかって言って教室を出たのはもう10分くらい前だし…デリカシー的な意味で深く考えることはやめておくけど、それにしても遅い。
「あ、」
戻ってくるところだったりするのかな。
確認すべく廊下の様子をうかがおうと教室の扉のところから顔を出せば、なんてことはなく、お目当ての杏里ちゃんはすぐそこにいた。
けれど、その手前にいたのは。
「…あー、那須島か」
「厄介な人につかまったね…」
那須島。
確かC組の担任だった気がするけど――…なんてことは今はどうだっていい。
あいつはただただ、杏里ちゃんから遠ざけなきゃいけない。杏里ちゃんに近付かせたくない。
放っといた結果よろこばしいことが起きないのはわかってるし、杏里ちゃんの日常生活って意味でも距離は置かせたいから、私のすぐ頭上から顔を出して様子をうかがっていた正臣に、「行ってくる」と声をかけようとしたんだけど。
「那須島センセー。セクハラっすかあ?」
「ちょッ」
正臣の軽薄な声と、焦る私の声が廊下に響く。
その瞬間那須島は体を硬直させ、肩に手を乗せられていた杏里ちゃんは「あッ」と小さく声をあげた。
「(…ばか正臣)」
正臣は那須島への言葉による牽制を行っているし、私は物理的に杏里ちゃんを救い出すことにしよう。
本当ならもっと穏便にいきたかったんだけど…と内心ため息を吐いて、正臣の下からのそりと抜けだした。
「杏里ちゃん、遅かったから心配したよ」
「…あっ、希未さん…」
「もう暗くなっちゃうし帰ろ、最近物騒だからね」
色々と。
あんたのことも含めて言ってるんだよ、という思いを込めて那須島を軽く睨めば、正臣の言葉のせいもあってか、わずかにひるんだように見える。
出来ればこういう面って杏里ちゃんには見られたくないんだけど…と思いながら彼女の方を見れば、こちらに歩いてくる正臣の方に目を向けていた。一安心。
「杏里ちゃんは先に正臣のところ戻ってて」
「あ、はい…」
「ごめんね、すぐ戻る」
戸惑いがちに頷いた杏里ちゃんに小さく手を振り、『杏里ちゃんのことは任せた』という意味を込めた視線を正臣に送る。
最初こそどういうことかわからなかったらしい正臣だけど―…きっと彼には、私の性格なんてバレているのだろう。
「先生」
「なっ…何だ柴崎、どうした?」
笑顔から一転、嫌悪にまみれているであろう表情を隠すこともなく振り返れば、那須島はわずかに肩を揺らした。
けれどその口から出てくるのは、杏里ちゃんに向けていたのと同じ甘ったるさをはらんだ声で。
「先生、杏里ちゃんのこと大好きなんですね」
「な…何を言ってるんだ柴崎。俺はあくまで教師として―…」
「そうですよね。先生は、教師として杏里ちゃんのこと気にかけてて、その結果嫌がらせから助けてあげることができて、これから先も何かないといいって思ってるんですよね」
「そ、そうだ。なんだ、柴崎はちゃんと―…」
「はい、ちゃんとわかってますよ。那須島先生があわよくばって思いを抱きながら、杏里ちゃんに近付いていることくらい」
嫌悪の色をわずかに消して言えば、那須島の顔が引きつった。
「先生に助けてもらえたっていうのは杏里ちゃんにとっても良かったことでしょうし、私も杏里ちゃんの友達として感謝はしてます。だからこんなことを言うのはちょっと心苦しいんですけど…いつまでも例のことを引き合いに出すのは、それこそ“教師として”恩着せがましいだけですよ。そんなに杏里ちゃんのことが気にかかるなら、あのねっちょりしたスキンシップとか、その恩着せがましさに彼女が困ってるってことにも気付いてあげた方が、彼女のためだと思いますけど」
先生に向かってこんなこと言うべきじゃないとか、そんなの今はどうだっていい。
私はもともとこの世界の人間じゃないんだし、どう思われようと、成績が下がろうと、どうだっていい。
ただ今は、杏里ちゃんの身に及ぶかもしれない危険を排除したい。
だって、私という異質がこの世界に訪れた今、私の知っている通りのことが起きるとは限らないもん。
「…贄川先輩のこと、忘れてないですよね?」
「おっ…お前ッどうして贄川のこと…っ」
そこまで言って口を閉じた那須島は、きっと混乱しているのだろう。
それ以上何も言ってこないのをいいことに、一瞥して「それじゃあさようなら」と言った私は、軽く頭を下げて踵を返す。
「お疲れ」
「うい」
那須島に、何か言ってやりたいことがあるのだろう。
教室から出てきた正臣と短い言葉を交わし合い、杏里ちゃんの待つ教室へと入る。
その瞳は未だ不安げで、なんていうか、仕方のないことだけれど――…原作とアニメで描かれている部分しかわからない自分が、とても嫌になった。
あんなのはほんの一部でしかないんだから、もっと普段から注視しなきゃいけなかったようだ。
「杏里ちゃん」
「あ、はい…」
「那須島には気を付けて、本当に」
何が起きるかなんて、わからないんだから。
彼女に向けた言葉なのか自分に向けた言葉なのか、私は知らないふりをする。
いくつかの願いの交錯
(迷い始めていることに、今はまだ気付かない)
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