棘の中にある丸み
「え、臨也?」
「この前ぶり。ちょっと診てもらいたい子がいるんだよね」
私の背中を押してそう言った臨也さんに、白衣の男は目を丸くした。
「あれ?君この前の…」
「…すいません、先日はありがとうございました」
軽く頭を下げれば、家の中に通される。
うう、ほっぺが熱い。かすめた程度だと思ってたけど結構大事なのかな。
「それどうしたの?」
「シズちゃんが投げた標識がかすったんだよ」
「あーあ…」
濡れたタオルで頬についた血を拭き取るわたしから少し離れた、ダイニングテーブルの椅子に座る臨也さんが言う。
水が沁みる。…っ、消毒液がすっごい沁みる、痛いっ。
「痛いと思うけどちょっと我慢してね」
「は…いっ、」
「うん、この程度なら痕は残らないと思うよ」
まじか、本当ですかっ。
その言葉にホッと胸を撫で下ろせば、臨也さんが少しだけ眉をひそめたような気がする。
「はい、これで終わり。多分2週間も経てば完全に痕も消えるだろうから安心して」
「ありがとうございます、この前も今日も」
「どういたしまして、そういえば自己紹介がまだだったね。僕は岸谷新羅、闇医者だけど腕は確かだと自負してるから安心して」
存じてます。
あなたが首無しライダーと同居してることも、首無しライダーを好いてることも知ってます。
けどそんなことは当然言えないので、自分の名前を名乗ってから軽く頭を下げた。
「…希未ちゃんって臨也の親戚とかじゃないよね」
「違うけど」
「…ふーん、そう」
普通の人だったらもっと掘り下げるんだろうけど、彼はそれ以上のことを聞かない。
…さすが臨也さんの同窓生、っていうか友達。
「事故の傷は大丈夫?」
「あ、はい。おかげさまでもうだいぶ」
「えー、この前小突いたら痛いって言ってたじゃん」
「あれは明らかな悪意を持って小突いたからでしょう」
数日前のやり取りを思い出す。
…うん、あれは私に痛みを与えるためにわざとやったことだ。本当に性格が悪い。
「…あ、そうだ。岸谷さん、お金は…」
「ああいいよ、臨也にツケとくから」
言った直後に、そういえば私自分で自由に使えるお金たいして持ってないじゃん、と気付いた。
財布には諭吉さんも何枚かいらっしゃるけど、それだって臨也さんに渡されたお金だし。
「じゃあそろそろ行くよ」
「はい。すいません岸谷さん、突然お邪魔しちゃって」
「いいよいいよ。まったく、臨也にも希未ちゃんの姿勢を見習って欲しいよ」
少し肩をすくませて彼が言えば、臨也さんは顔に笑みを浮かべたまま、わたしの荷物を持って玄関の方に歩いていく。
「明日またおいで。今日は僕もこれから仕事だから無理だけど、明日なら夕方頃は空いてるから。事故の傷の経過も診てあげよう」
「あ、ありがとうございます。本当にすいません」
「どういたしまして。お大事にね」
ひらひらと手を振りながら言う岸谷さんに頭を下げれば、エレベーターのドアが閉まって臨也さんと2人きりになる。
…何を話したらいいんだ。
「…頬痛い?」
「え、いや…別にそこまでです、けど」
「そう。良かった」
あれ。あれあれあれ。
何臨也さん、ちょっと心配してくれちゃったり、してるのかな。
「ああ、ちなみに責任なんか感じてないから。実際俺は何もしてないし、希未に怪我をさせたのはシズちゃんだからね」
「…あなたはそういう人ですよね」
「事実を述べたまでだよ」
その状況を作ったのはどこの誰だ、という言葉は飲み込んでおこう。
シズちゃんに責任を感じて欲しくはないけど、それは確かに事実だもんね。
自分の中でそう結論が出たと同時に、チン、という軽い音とともにエレベーターのドアがゆっくりと開いた。
「じゃあ私先に帰りますね」
「え、何で?」
「え」
池袋にいたってことは、何か用事があったんじゃ。
そう思いながら歩き出したわたしの腕をつかんだ臨也さんは、何かに気付いたように「ああ、」と声を漏らした。
「池袋にいたのは、帝人くんに会うことが目的だったから」
「…帝人に?」
「まあ目的も済んだし、今日はもう仕事もないからさ」
ご飯でも行こうか。
私の腕をパッと離して、代わりにコートのポケットに手を忍ばせた臨也さん。
…わお、まさかこの状態で、そんなこと言われるだなんて。
「…ご飯はいいんですけど。私こんな顔ですよ」
「こんな顔の自分が俺の隣を歩くのはおこがましいって?そんなの今更じゃない」
「自分で言うのもなんですけど失礼ですよ」
怪我だ怪我っ。
ほっぺにでっかいガーゼ貼ってる状態なのにいいのかな、なんて思ったから言ったのに…くそ、言わなきゃ良かった。
「冗談だよ。ほら、ちょっと早いけど何か食べに行こう」
「……本当に冗談ですか」
「うん、本当に」
なら、行ってもいい。
その代わり高いもんたくさん食べてやると心にかたく誓って、私たちは歩き出した。
それならあなたの馴染みの寿司屋で
(あなたの好物だからじゃありませんよ)
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