いたいところはどこですか


…一体、どんなことを話しているのだろうか。

「あ、臨也だ」と呟いてすぐ電話に出た岸谷さんは、私のことをちらりと見てからあの人との会話を始めた。
かと思えばすぐにバルコニーの方に行ってしまったし…どういうことなのだろう、私には聞かせられないような話…というか、もろに私の話をしているのだろうか。ハラハラしちゃってお寿司が進まない。

ああ、私のことがいらないのなら、律儀に電話なんてしてこないでメールにするなりいっそ何も連絡なんてしてこなければいいのに。無駄に傷つきたくない。
そんな、自分の発言を棚に上げたことを考えていた私に、


「はい希未ちゃん」


岸谷さんは、薄く笑いながら自身の携帯を手渡してきた。


「…はい?」

「臨也だよ」

「…いや、それは、存じてますけども」

「代われってさ」


…いやいやいやいやいやいや。
ちょっと待ってください岸谷さん、私昨日の夜とか目が覚めてすぐにも話しましたよね色々と。そう、色々と。
だから当然、私がどうして臨也さんの元を出たのかとか、何でのこのこ帰れないのかとか、そういうこと全部知ってるはずなのにどうし、


『希未?』


……!!

どうしてそんなことをするんだという考えに至る直前、待ちきれないとでも言うかのようなタイミングで聞こえてきた、少しだけこもった臨也さんの声に心臓が跳ねる。
対する私といえばどうしていいかわからず、依然として携帯を差し出してきている岸谷さんに、つい助けを求めるような視線を向けたのだけど。


「どうしたの?」


…じゃ、ないですよッ。
どうしたもこうしたもあるもんか、という思いを抱きながらも、応対しなくては始まらない、そして終わらない。
そんな思いとともに覚悟を決めて、岸谷さんの手から受け取った携帯を、恐る恐る耳元に寄せる。


「……………もし も、し」

『遅いよ』

「す、すいませ…」


あれ、おかしい。
昨日までは普通に…どころか結構きついことというか、比較的はっきり物事を言えていたはずだし、私は割とそういう性格だったはずなのに、どうしてこんなに怯えてしまっているんだろう。

答えは簡単、“拒まれている”という事実だ。
それならそれでいっそのこと割り切って、「荷物などは早々に取りに行きますのでどうぞご心配なく」くらいの毅然とした態度をとりたいのに……連絡するという行為を以って現実のものとなった“いらない宣言”が、私には、相当こたえているらしい。


『今新羅のところだろ?』

「は い。…そうです」


わかりきったことを聞くなんて、臨也さんらしくない。
そんな“臨也さんらしい”という思考さえも、今の私にとっては、いかに臨也さんと過ごした時間が長かったかを思い知らされる要素でしかなかった。

だからもうこんな生殺しというか、それすらも彼らしいんだけど…ジリジリと攻められているだけの時間を終わらせるためにも、用件を言ってさっさと切ってくれ、と思った時、


『何時頃帰ってくんの?』


まるで当たり前のことのように、何ともない様子で、臨也さんがそう口にした。


「………は?」

『だから、何時頃に帰ってくるのかって―……』

「いや、聞こえてますッ。そこじゃなくて、」

『…ああ、』


捨てられたと思った?
電話の向こうから聞こえてきた楽しげな彼の声に、なぜだか、背中に冷たいものが走ったような気がした。
臨也さんがこんな人だっていうのはただただ今更でしかなくて、そんなの、ずっと前から私はわかっていたはずなのに。


『希未が勝手に言って逃げて、勝手に思い込んでただけじゃん』

「…そう、ですけど。でも私、」

『いいよ、それについては後で話そう。今食事中なんだろ?』

「…………」


臨也さんの口から出た『後で』という言葉に、拒まれてなんかいなかったんだ、という実感が少しずつ広がっていった。
もしかしたら、怒られるのかもしれない。あんなことを言った後だ、今は平気でも、実際顔を合わせたら不愉快に思われるのかもしれない。
それでも、


「帰って、いいんですか」


自分の思い違いではないのだと、確認したかった。
臨也さんは私に飽きたわけでも、少々のきつい言葉を原因に私を捨てるわけでもなく、戻ってきていいと言ってくれている。
むしろそれが当然くらいに思っているのだと、どうしても確認したかった。


『…別に俺は、出て行けなんて言ってないよ』

「……そうですね」

『それとも、こっちでの生活より新羅と首無しのところの方がいい?それならそれで―……』

「いや、別にそういうわけじゃないです。むしろご迷惑おかけしちゃいますし、お邪魔しちゃうなって思っていたところなので」

『そう』


電話の向こうから、クツクツと喉で笑うような声が聞こえる。
そう、か。私は、帰っても良かったのか。
普段だったら不愉快になってもおかしくないタイミングで笑う臨也さんだけど、今はなんていうか、どうでもいい。


『この時間だし、今日はもう学校には行かないだろ。俺もちょっと仕事があるし、眼鏡をかけた君の友達が入院することになったみたいだから、お見舞いにでも行ってから帰っておいで』

「…わかり、ました」

『それじゃ新羅に代わってくれる』

「はい」


じんわりと広がる安心感に謎の抜け殻感を抱きながらも、言われた通りに岸谷さんへ携帯を返す。
しかし…このタイミングで杏里ちゃんの話題を出してくるなんて、わかっちゃいたけどあの人も大概性格が悪い。どうしてこういう状況になったか忘れてるわけでもあるまいし。


《帰るのか?》

「…ああ、はい。帰ってこいっていうか…何か普通に、『何時頃帰ってくんの?』的なこと言われまして」

《やめておけ、あいつと暮らすことは希未ちゃんのために―……》

「いいんですよ、セルティさん」


きっと私を思って言ってくれていることなのだろうとわかっているから、少しだけ、心苦しいけれど。


「私がそうしたいから、そうするんです」


彼女に向かってそう言えば、視界の隅で、あの人と話す岸谷さんが苦笑した気がした。


あなたのところ


(ひとりじゃまともに家事もできなさそうだから)


 



第4回BLove小説・漫画コンテスト応募作品募集中!
テーマ「推しとの恋」
- ナノ -