帰巣本能に近い何か
結局のところ、私の行ってきた行動はすべて無駄だったんだろうなあ。
何だか眠れなくて腰かけたソファーから眺めるのは、すっかり暗くなって星が輝く空だった。
「眠れないのかい?」
「…あ、」
暗闇から聞こえてきた声にドアの方を見るも、闇に包まれていて姿が見えない。
けど声的に岸谷さんで間違いないだろう。静かにしてたつもりだけど、起こしちゃったかな。
「すいません、起こしちゃいましたか?」
「いや、大丈夫だよ。何か温かいものでも淹れる?」
「あ、すいません。ありがとうございます」
そう言った私に微笑んでキッチンに入っていった岸谷さんだけど…本当に、ご迷惑おかけしまくってて申し訳がない。
あの後も話を続けていた私たちが最終的に行きついた話題は、私の今後についてだった。
まあ今後と言ってもそんな先々の話ではなく、とりあえずの直近で言えば今夜のことだったんだけど…
「泊まらせていただくことになっちゃって、本当にすみません」
「いいよいいよ、気にしないで」
こう言ってくれてるけど…気にしないわけにはいかないよなあ。
私が岸谷さんのお宅に泊まることになったきっかけにして最大の理由は、平和島さんによる「こいつのこと泊めてやってくれ」という言葉だった。
詳細は知らないものの何かしらがあったと知っているセルティさん、そしてセルティさんの頼みということもあって「もちろんだよ」と言ってくれた岸谷さんたちには、本当に頭が上がらない。
そして、迷惑かけちゃってるな、という思いはもちろんある(むしろそれしかない)から一応断ったんだけど、ほかに選択肢を有していない私は、申し訳ないという気持ちに苛まれながらここで一晩過ごすしかないらしい。
本格的な今後のことは少々頭を使う必要がありそうなので、明日の朝にでも考える予定である。
「はい、熱いから気を付けてね」
「あ、はい、すいません」
「今日の希未ちゃんは謝り過ぎだよ」
熱いコーヒーに少しだけ眼鏡を曇らせる岸谷さんは、私の向かいに座って薄く笑いながら言う。
…その笑顔に罪悪感が募るだなんて言ったら、気を遣い過ぎだとか言われるんだろうけど。仕方ないじゃない、相手は臨也さんじゃないんだから。
「落ち着いた?」
「…はい、さっきよりは」
困らせちゃってすみません、と軽く頭を下げれば、岸谷さんはわずかに苦笑する。
ここだけの話――…恥ずかしいことに、あの直後私は子供みたいに大泣きしてしまった。
そこにはもちろん自分自身への不甲斐なさや情けなさもあったけれど…一番はきっと、帝人や正臣、杏里ちゃんに対しての罪悪感などによる涙だったんだろうと思う。
「僕らも全く知らなかったしそんなことが有り得るとは思ってなかったから驚いたけど、話してくれて良かったよ」
「…私はまだ、話して良かったのかって、わからないでいます」
「え、静雄が帰る時に何か言われた?」
「あ、いや、それは大丈夫です」
数時間前に平和島さんがここを出て行った時のことを思い出し、手を振りながら否定する。
『つーか何で1年も黙ってたんだ、そういうことはさっさと言えよ馬鹿』…的なことは言われたけど、それだって私のことを心配してくれていたから出た言葉なのだろうし、事実私はその言葉が嬉しかったし、問題はない。
「ただ、何といいますか…話すことに意味なんてあったのかなあ、と思ったり」
「うーん…単に医学の問題でもないようだし、むしろこういうのはセルティ方面だろうね。もっとも、希未ちゃんが帰りたいと思ってるわけじゃない以上、僕たちに口出しする権利はないけど」
「それなんですよね。今はまだ自分のやるべきこととか目的があるからいいけど、私が知らない未来になっちゃったら、それこそどうしていいか本当にわからなくなりますし」
きっと抜け殻のようになるんだろうな、と漠然と考える。
あれだ、多分燃え尽き症候群的なやつね。
「…私、何のためにこの世界に来たんだろうって、何回も考えたんです」
「…へえ?」
「臨也さんはそれを、運命だって言って。俺を楽しませるためなんじゃないとか、色々言ってました」
「あいつらしいね」
苦笑してコーヒーをすすった岸谷さんは、何を思っているのだろう。
“反吐が出る”と臨也さんを評したこの人は、自分の好奇心に従って動くあの人を、そしてその人と一緒にいた私のことを、どう思っていたのだろう。
「でもそんなの嫌なんですよね、私」
「まあ、普通はそうだろうね。あいつは決して褒められた生き方をしてはいないし」
「それどころじゃないですよ。本人にも言ったことありますけど、非道です。クズです」
ふん、と鼻を鳴らしながら言えば、岸谷さんは一瞬目を丸くして、けれどそのあと静かに笑った。
何も間違ったことは言ってない(どころか、正しさしかないと思う)はずなんだけど…どうしたのかな。
「希未ちゃん、それ本人に言ったの?」
「あ、はい。言いました」
「すごいね、僕や静雄やセルティならまだしも」
「そうですかね。誰しも思うことだと思いますけど」
「思ったからって言えるものでもなかったりするよ。特にあいつに対してはね」
そういうものだろうか、と想像を巡らせてみる。
…波江さんも言いそうなものだけど、これはあれか。年齢とか立場とかそういうことも関係しているのかな。
「じゃあどうして、そんな非道な男と一緒に暮らしてこられたの?」
「…そういうところばっかりじゃないって、知ってるからです。それに、」
そのあとに続く言葉を放っていいのか迷って、私は一瞬口ごもる。
けれど私を見る岸谷さんの目は不思議そうで、いよいよ「それに?」と聞き返されてしまったから。
「…思ったことを包み隠さず言えるっていうのは、案外楽なものなんです」
「うん」
「そりゃ喧嘩っぽくなったりはします…しました、けど。それでも、」
それでも、私は。
「臨也さんとの生活が、思いの外心地よくて、楽しかったんです」
言い合いになったこともあった。
呆れられたり怒られたこともあった。
けれど、私がこの世界の人間じゃないと知る唯一の人で、そのうえで、普通に接してくれて。
それがきっと、私にはとても嬉しくて。
「いざや さん、」
どうしてだろう。
嫌わなきゃいけないはずの人なのに、何だか今、すごく会いたい。
さよならをした後に
(気付きたくなんてなかった)
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