なにひとつ実現しない
ただのキャラクターでしかなくて、実際に存在するはずのなかったこの人たちが、いつの間にか大切な存在になってしまった。
私が過ごしてきた1年という時間の中で、この人たちやこの世界が、ひどく大切で、失いたくないものになってしまっていた。
大切な人が増えるというのは、きっと普通なら、とても喜ばしいことなのだろう。
けれど私にとっては不安でしかなくて、恐怖でしかなくて、それに気付いてしまった瞬間から絶望が広がっていった。
この世界に大切なものが増えるたび、情が移って、息苦しくなって、身動きがとりづらくなる。
そんなの、この世界に来たばかりの1年前には、ちゃんとわかっていたことなのに。
私はいつの間に、そんな当たり前のことを忘れてしまったのだろう。
そのことに気が付いてしまった、あるいは思い出してしまったからなのかはわからない。
けれど、何だか気分が悪い。
「…おい、大丈夫か?」
「……はい、大丈夫です」
顔色でも悪かったのか、怪訝な表情で平和島さんが問いかけてきた。
こんなにタイミングよく声をかけてくるだなんてまるで臨也さんのようだ、とは絶対に言えないけれど。
《…本当なのか?》
「…はい。セルティさんがどうしてこの池袋にいるのかも、岸谷さんがいつセルティさんに恋をしたのかも、…平和島さんの過去も弟さんが俳優で、本名が平和島幽さんだっていうことも。…みんな、知ってます」
私の言葉に息を呑んだ3人は、何を言ったらいいかわからず、言葉を選んでいるように見えた。
けれどその様子は、とてもじゃないけれど私の言ったことを疑っているようには思えなくて、少しだけ安心する。
「…本当に、俺らはキャラクターなんだな?お前がさっき言ったことは、ノミ蟲から吹き込まれたこととかじゃないんだな?」
「はい、違います。私は、みなさんのことをずっと前から、キャラクターとして知ってました」
改めてそう言えば、3人が3人ともうつむいた。
けれどすぐに顔を上げた岸谷さんは、
「わかった、信じるよ。…でも、帰ろうとは思わなかったのかい?」
相変わらずの真剣な目で、私が一度だって考えたことのなかったことを、平然と言い放った。
確かに普通ならそう思うだろうし、私だって、それに準じたことは考えた。
けれどそれは「どこに帰るの?」という臨也さんの言葉に考えることを放棄せざるを得なかったし、下手に行動したら私の存在そのものが失われる可能性があると臨也さんが言っていたから。
……臨也さん臨也さんって、私はどこまで子供なんだろう。
駒にはならないとか大口叩いたくせに、と内心苦笑を禁じ得なかったけれど。
「それ以上に、この世界でやりたいことがあったから」
恐らく質問の答えに一番近いであろう思いを伝えれば、岸谷さんと平和島さんは不思議そうに目を丸くし、セルティさんは首を傾げるようなしぐさをした。
「さっきも言った通り、みなさんはキャラクターです。そして私はこの世界における一部の人たち…っていうのが、まあみなさんなんですけど。…そのみなさんの未来を、少しだけ知ってるんです」
「…俺らの未来?」
「はい。これからどんなことが起きるか、とか」
平和島さんの言葉にそう返せば、彼は何だか納得したかのように「ああ、」と声を上げる。
そしてセルティさんも何かをPDAに打ち込んでいて、事態をよく把握していないのは、岸谷さんだけのように見える。
《あの女の子にしてた電話とか、全部未来がわかっていての行動だったのか》
「はい、そうです」
「でも何であんなに必死そうだったんだ?そんなに俺らの未来っつーのが悪いもんなのか?」
「……………」
これは、言っていいことなのか。
言われた瞬間こそ迷ったけれど、ここまで来たらもう、すべて話してしまってもいいのかもしれない。
「…臨也さんの思い通りには、させたくなかったんです」
「……ノミ蟲の?」
「臨也さんのもくろみが現実になることで、傷ついたり何かを失ったりする人が出てくるんです。…まあ、それが成長の機会になる人もいますし、決してすべてが悪いことばかりじゃないんですけどね」
だから一概に臨也さんを悪者にしようとは思えないけど…到底善人とは言えないよな。
そんなことを思い苦笑すれば、平和島さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、セルティさんと岸谷さんは呆れたように首を振ったり、ため息に似た息を吐く。
「でも、…失敗しちゃいました」
まさに東奔西走。
およそ1年間翻弄されて走り回って、得られたものがこんな結果だなんて、悲劇としか言いようがない。
「今日が分岐点だったんです。今日の出来事の途中までだったら、怖い思いや痛い思いはしても、私が知る、臨也さんのもくろみによって誰かが傷つく未来は訪れなかったんです」
《…でも希未ちゃんが悪いわけじゃ、》
「わかってるんです、タイミングが悪かっただけだって。けど、その未来を知ってて変えられるのは、私だけだったんです」
ただ慰めようとしているわけじゃないってことはわかってる。
同情してるわけじゃないことも、事実であることも、ちゃんとわかってる。
それでもどうしたってやりきれなくて悔しくて、エゴだらけであることも、きちんと理解しているけれど。
「どうしても、嫌だったんです」
けれど一番嫌なのは、そんな自分にさせた臨也さんを、そんな自分になる原因を今も尚作り続けている臨也さんを、嫌いになれない自分なんだ。
空が鳴っている
(諦めさせてくれなかったのは、誰?)
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